夜叉
賢者テラ
短編
麻衣子は、深いため息をついた。
今月の給料のうち、自由に使える分はほぼ使い切ってしまった。
月末までまだ一週間半ある。残っているのは……雀の涙ほどの食費だけであった。
麻衣子は、女子大時代にブランド品あさりの虜になった。
彼女の容姿は、世間的物差しで言ってしまえば、『中のちょっと上』だった。中途半端に美人であることが、麻衣子をして最新の流行に身を飾り立てることに駆り立てたのかもしれない。
もともと自分というものに自信のなかった彼女は、ある日勇気を出してシャネルの服とエルメスのバッグを揃えて人前に出てみたところ、友人達から 『うわぁ麻衣子ちゃんいけてるぅ~ やっぱ、ブランド品も似合う人が持つと違うよね~』 などとしきりに誉められた。
それで何だかうれしくなってしまった麻衣子は、持ち金のほとんどをブランド品の購入に当てるようになった。きらびやかなワンピース、靴、アクセサリー、バッグ、コート……。彼女の欲しいものは尽きなかった。
一つ買っても、後から後から新作が出てくる。
例え前のがまだ使えても、やっぱりそれが欲しくなる。麻衣子の部屋には、着なくなった服や使わなくなったバッグや靴が山積みになっていた。
それほどブランド品というものに執着のない人からすると、「一体何でそこまでするの?」とあきれるのが麻衣子の今の状態であった。それはもう、『魔法にでもかかった』ようなものだと言う他ない。
麻衣子にはもはや、ブランド品を持たない自分というものは考えられなかった。
それを持っていて初めて、自分が自分として誇れるような気がしていた。
彼女は、最新号のレディース雑誌を開き、着もしない服の海と化した自分の部屋に腰を下ろして眺める。
「春の新色コスメ・本命買いリスト」
「春の新作ブランドバッグ超速NEWS」
挑発的な見出しが、麻衣子の胸を高鳴らせる。
シャネル・グッチ・フェラガモ・ディオール・エルメス・ルイヴィトン・プラダ・カルヴァンクライン、ブルガリ……。ページを繰っているうちに、麻衣子の中の購買欲は、限りなく刺激されていった。
ある日、彼女は銀行に現れた。
お金さえあればブランド品を購入してしまうため、貯金の残金も数万円しかない。
麻衣子の配分ミスで、給料日まで三日を残して食費がゼロになり、困り果てた彼女は『1万円だけ』と自分に言い聞かせつつお金をおろしに来たのだった。
「いらっしゃいませ」
自動ドアをくぐると、うやうやしく挨拶する女性店員の声が彼女を迎える。
決して愉快な用事で来たわけではない麻衣子は、フンとひとつ鼻息をついて、スタスタとATMコーナーに歩を進めた。
あれ?
通い慣れていた麻衣子は、違和感を感じた。
……いつもより一台、多い。
この銀行のATMコーナーは、通帳記入しかできない台をぬいて6台のはずだった。なのに、窓側のはじに他よりも一回り大きい、色の違うATMが異様な存在感をもってそびえ立っていた。絶対、今まではなかった。見るのも初めてだ。
「あの、すみません」
気になった麻衣子は、さっき挨拶をしてきた店員を捕まえて声をかけた。
そして、明らかに異様な、真っ赤なカラーリングのATMを指差した。
そんな毒々しい色を使う銀行など、あり得ない。
「あの機械って、いつから入ったんですか?」
「はぁ?」
女性銀行員は、それまでにこやかだった表情を少し曇らせた。
「えっと……どれのことでございますか?」
「これですよ、これ」
麻衣子は問題の機械のところまで行って、バンバンと叩いてみせた。
「何もございませんが? とにかく、当店が最近ATMの台数を増やしたなどということはございません」
どうやら、彼女には見えていないらしい。口調は丁寧だが、明らかに麻衣子の精神状態を疑っているような視線を送ってきている。
よっぽど、銀行員の手をつかんで機械に触れさせてみようかと思ったが、そこまですると問題になりそうなので思いとどまった。
釈然としない麻衣子は、真っ赤なATMの前に立った。
『無限お引き出しATM』 と書かれたプレートが、上部に付いている。
……なんじゃ、その『無限』っていうのは?
麻衣子は、タッチパネル画面から『お引き出し』のボタンに触れた。
画面が切り替わり、また選択肢が出てきた。
①無限お引き出し(預金必要なし)
②通常お引き出し
通常の精神状態ならかなりおかしな話だと思うだろう。
しかし。とにかくブランド品に飢えていて、月末が待ち遠しくて気が狂いそうだった麻衣子は、興味深々で『無限お引き出し』のボタンを押した。
するとまた画面が切り替わり、「金額を入力してください」という文章とともに、数字のボタンが現れた。
……ま、ダメだったらエラーって出てくるだけだし。試しちゃおう。
麻衣子は、そこに100万円、と入力して決定ボタンを押してみた。
我ながらバカなこと試したなぁ、と自嘲的に笑った。しかし、そんな麻衣子をさらにあざ笑うかのように、ATMの内部で札束を数えているようなバシャバシャという音とともに、タッチパネル場面に文字が点滅する。
しばらくお待ちくださいませ
麻衣子は、現金取り出し口を驚愕の表情で見つめた。
「ご利用ありがとうございました」という、パネル画面の表示。
口を開けた取り出し口には……1万円の束。恐らくは、100万円だろう。
表層意識では驚いていたが、本能的に彼女はその札束を無造作にバッグにつめた。
そして、念のために銀行の窓口に問い合わせた。もしかしたら、貸付になってはいまいかと。
対応した銀行員は笑って、そのような記録はありませんし、預金してないお金が出ることもありません、と答えた。どうもその機械は、銀行員に限らず麻衣子以外には誰にも見えないようであった。
その足で、麻衣子はブランドショップを駆けずり回り、瞬く間に100万円を使い切った。
数日前に雑誌で見て気に入った新作たちを、覚えている順から買いあさったのだ。
しかし、まだ3品しか買ってないのに、100万円などすぐに飛んでしまうのがブランド品の怖いところであった。麻衣子はさらに追加であのATMからお金をゲットしようと思ったが、銀行の閉店時間をゆうに超えていたため、その日はあきらめた。
100万円を使って買い物をしたのに、彼女はうれしいどころか、買いきれなかったターゲットのことを思ってイライラした。
明日は会社ひけたらゼッタイ買ってやる、と固く心に誓いながら床に就いた。
翌日。昨日と同じ銀行員に頭を下げられた麻衣子は、ATMコーナーに飛んでいった。果たして、あの真っ赤な『無限お引き出し』機は同じところにあった。
麻衣子は、震える指でパネルを操作し、『500万円』と打ち込んだ。
機械がうなりを上げて手続き作業をしている間に、麻衣子はゴクリと生唾を呑みこんだ。期待通りの500万円が、麻衣子の目の前に出現した。
そうして、とどまることを知らない麻衣子の物欲は、暴走する一方であった。
そんな、ある日の夕方。
仕事を終え、自宅マンションに帰宅した彼女を待っていたのは、一通の手紙であった。差出人の名前も住所もなし。切手すら貼っていない。
不気味に思って、自室で封を切って中を確認してみた。
『決済予告書』
荒井麻衣子 殿
お引き出し額 1800万円
肩代わり人リスト
東京都杉並区……
5名ほどの、名前と住所が記載されていた。
そのうちの3名を、麻衣子は知っていた。
一人は、彼女の会社の別部署の部長。
数日前から破産して夜逃げした、という噂が社内に流れていた。
二人目は、近所のよく行くイタリアンの店の店長。
最近、いつ行っても店のシャッターが下りており、一向に営業していない様子なのが気になっていた。
三人目は、大学時代からオフの時には遊び歩く仲の友人。
メールを送信しても一向に音沙汰がないので、こっちも気になっていた。
決済予告書、という意味が分からなかったので、麻衣子は送られてきた文書の全てに目を通した。
驚愕の事実が、目の前に突きつけられた。
『肩代わり無限お引き出しシステムのご案内』
①当ATMは、無制限に現金をお引き出しいただくことが出来ます。ただしその返済は、ランダムに選定された人物に肩代わりさせることになります。
②選定された人物が肩代わりできる限界を超えた場合、さらに他の人物が選定され、お引き出しの額に応じて以後これが繰り返されます。
③肩代わり対象が5人に達した時点で、借り出し人にはその人物たちの『不幸』をまとめてご鑑賞いただきます。その後で、借り出し人のそれまでの人生の上映会が行われます。これらが滞りなく行われることで初めて、借り出し人の責任がすべて果たされたことと見なされます。
④上記の『決済』 に関しては、本状が到着した日の夜7:00の決行とします。
麻衣子の心臓は凍りついた。
……まさか!
世の中そんなうまい話があるはずがない、って思うべきだったわー。
引き出し金額を入力する時に、そういえば何か説明文が表示されていたような気もする。しかし不注意な彼女は、興奮のあまり読み飛ばしていた。
そして、昨日買ったオメガの腕時計を覗き込んだ彼女は、さらに精神的に追いつめられた。
「えっ、もう7時!?」
突然、彼女の体は金縛りにあったように、固まって動かなくなった。
映画館のスクリーンのようなものが、目の前に出現した。
そして、見覚えのある人物が映し出された。
部屋の荷物をまとめて、夜逃げをする販売促進二課の部長。
続いて、闇金の恐ろしい取立てにあう親友の典子。
ドアからヤクザまがいの男に侵入された典子は、押し倒されてスカートを捲り上げられる。言葉に出来ないおぞましい展開の果てに、彼女の体は野獣に征服された。
「いやよ……いやよっ! 見せないでえええ」
麻衣子は映像を見まいとしてまぶたを閉じようとした。
しかし。どんなに目に力を込めても、閉じてくれない。
嫌でも、何者かによるコントロールが解除されるまでは、見続けるしかなかった。
その後もさらに映像が続き、都合5人分の、破産と不幸の末路を見届けさせられたのだった。
麻衣子の精神も限界に近付きつつあった頃。
やっとのことで全員のバッドエンドを見終わった彼女は、急に変な場所に転送された。周囲を見渡してみると、そこはあの『東京ドーム』の内部に似ていた。
広いグラウンドには、麻衣子ただ一人。
周囲の観客席は、人間でぎっしり埋まっていた。中には知り合いも含まれていた。
父母や親戚はもちろん、今までの人生で出会ってきた人間全てがそこにいた。
そして、天井から巨大なスクリーンが降りてきて、何やら映画のようなものが始まった。
観客席から、割れるような拍手が巻き起こった。
映像に、タイトルが浮かび上がった。
『荒井麻衣子のすべて』
!!!
最悪だった。
麻衣子が生まれてから現在に至るまでの全てが、公開された。
万引きしたことも、イジメをしていたことも、失禁したことも、集金のお金をごまかしたことも——。
友人の彼氏を色仕掛けで奪ったことも、実際の性行為のシーンを含め余すところなく映し出された。
誰も見ていないと思ってやってきたことが全て、あからさまにされた。
腹を抱えて笑う観客。顔を伏せる両親。
怒りに顏を歪める彼氏。あきれ顔の友人たち。
「……見ないで」
麻衣子はその場で膝を折って、頭を抱えた。
「いやあああああああああああああああああああああああああああああああ」
脳波が、一定レベルを超えて振り切ってしまった麻衣子は、大絶叫とともに白目をむいた。
そのまま、気を失った。
目を開けた麻衣子は、ハッとして顔を上げた。
あれ、ここは、自分の部屋?
ミニテーブルに突っ伏していた麻衣子は、よだれが垂れていた雑誌を見た。
「春の新色コスメ・本命買いリスト」
「春の新作ブランドバッグ超速NEWS」
そうか。夢だったのか——。
彼女はレディース雑誌で最新のブランド品をチェックしながら、うたた寝をしていたのだ。
麻衣子は、一心不乱に部屋を整理していた。
着なくなった服はリサイクル衣料の店に持って行く。使わず持っているだけになっているバッグや小物などは、ブランド物の買取専門店に全部持っていくためである。
彼女は、今回の夢を通じて悟った。
外見ばかりを飾って、自分の内面をあまりにもおろそかにしてきた、と。
着飾ること。お洒落をすること。それ自体は悪いことではないし、むしろ奨励されるべきことかもしれない。しかし、自分と言う人間の内面を見つめることなしに、外面ばかりきれいにしても——
……ホント恥ずかしい。
麻衣子は、心に誓った。
こういう服を着て「美しい」と言われるのに釣り合うくらいに、人間としても成長しなくちゃ。自分が自分に納得できるその日までは、ブランド品を買い漁ることは決してするまい——。
服の束を荷造りする彼女の瞳から、一筋の涙がこぼれ出た。
それは頬を伝い、ブランド物のきらびやかな服の生地の上に落ち、染み渡った。
夜叉 賢者テラ @eyeofgod
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