第53話 好きにしてくれよもぉ
教室に着くまで、僕と羽深さんとの間には気恥ずかしい空気が流れていて、無言のままひたすら歩いた。
教室に着いてからは、すぐに羽深さんはイヤホンを着けてしまい、恐らく僕が渡したデモ曲を聴いているようだ。その間もずっと真っ赤っかな顔をして俯いている。
これはやっぱりあれだったのか。つまりちゅ、ちゅうをされたのじゃなかろうか。信じられないけど、実際に見たわけじゃないけど、そうなんじゃなかろうか。
想像しただけでまたもう鼓動が凄いことになっている。喉から心臓が飛び出しそうなくらいに激しく鼓動が打たれている。
しょうがないので取り敢えず僕も自分で作ったデモソングを聴きながら、更にアレンジを煮詰めようと思う。
そこにメグからThreadで連絡が来た。
昨夜送っておいたデモソングの件だ。とてもいいと思うというような事が書かれている。メグも早速取り掛かっているが、まだそこまでできてはいないとのことだ。まぁ、普通そうだろう。メグもギターとベース、キーボードもコード弾きくらいならできるだろうか。なのでデモトラックの作成くらいは自宅でできる。僕の音源を聴いてベースを入れ直してもらったり、逆にメグの作ったトラックに僕が他のパートを入れたりもできる。
メグとやり取りしているうちに、そろそろ一旦退室した方がいい時間になった。相変わらず羽深さんと二人きりでいるところを見られないように注意を払うことにしている。相変わらずうるさい奴がいるからね。バンド一緒にやるのバレたら一体どうなることだろうか。知れ渡るのももう時間の問題だろう。
取り敢えず僕は教室を出て、いつものようにトイレへと向かうことにしたのだった。
いい時間になって教室に戻ると、メグが近づいてきた。
「おぉ、おはよう楠木」
「おはよう、メグ」
挨拶を返すと、メグは機嫌良さそうに僕の席の前に立った。
「お前相変わらず仕事が早いよねっ。まさか昨日のうちに曲作ってくるとは思いもしなかったわ」
そうだろなぁ。自分でも勢いでついつい集中してたらいつの間にかできちゃった感じだもの。
「つい、勢いでな」
「あの曲、いいよね。こっちも曲できたらベース弾くわ」
音楽分かってるこいつから誉められると素直に嬉しい。メグのベースが入るのも楽しみだ。
「おぉ、頼むわ。チャック・レイニーばりのベース入れてよ」
「まかして。超かっこいいダブルストップキメキメで弾くぜ」
ダブルストップというのはベースの奏法の一つだ。通常ベースは単音を弾くことがほとんどだが、要所要所で二音以上を同時に鳴らす、つまり和音を弾くという奏法のことを言う。チャック・レイニーというモータウンを代表するベーシストの得意技だったのだ。
と、そこへ何と羽深さんが近づいてきた。う、教室であんまり接触するとうるさい奴がいるから避けたいんだけど。
「もしかして、光旗君ももう聴いた? 拓実君が作ってくれた曲」
羽深さんのテンションはやはり高めだ。しかし僕が気になるのは周囲の目。案の定、遠巻きにこちらの方へ好奇の目を向けられている。それだけならまだいいんだけど、恐らく批判の目を向ける奴もいるだろう。そいつらがまた絡んでくるのかと思うと、僕は朝からちょっと憂鬱な気分になってしまう。
「あぁ、羽深さん。聴いた聴いた。なかなかいい曲できたよね。羽深さんの歌が入るのが楽しみだよ」
「わたしも超楽しみだよぉ〜。拓実君って作曲もできちゃうんだね」
まぁ、できちゃうんだけど、メグもできちゃうからあんまり僕のこと誉めないでほしいなぁ。恥ずかしいから。
「あぁ、メグも作ってるんだよな?」
「あ、もちろん! 俺も鋭意製作中だから羽深さん、楽しみにしててっ!」
「うわぁ、そうなんだっ! 楽しみだなぁ、うふふ」
羽深さんは無邪気に喜んでいる。だけど羽深さんがこうして笑うと、顔を引き攣らせる奴が僕の目の端に入ってくるんですが……。くそぉ、こいつはしつこいからめんどくさいんだよなぁ。そう、ご存知佐坂の野郎だ。やな奴だぜ。
「おぉ、それと林の奴だけどさ。話してみたら二つ返事で引き受けるってさ」
げ。林というのは林羅門のことだ。ギター担当する奴。
「あっ、そ」
「かぁーっ、つれない返事。羽深さん、どう思う? こいつのこの態度」
僕のあんまりなリアクションに、メグが羽深さんに訴えている。知るか。
羅門っていうのは女癖が悪くてトラブルメーカーなのだ。そりゃ学園一の美少女である羽深さんをボーカルに据えたバンドなんて聞きゃあいつとしちゃ二つ返事で引き受けるってもんだろうけど、僕は激しく心配ですよ。主に羽深さんのことがね。羅門の奴にちょっかい出されたらと思ったらめちゃ心配だもん。
「あと昨日話した本郷にも林から声かけてもらってる」
「あっ、そ。好きにしてくれよもぉ」
中学時代にやってたバンドは羅門の女性トラブルのせいで空中分解してしまったのだ。メグの奴はどういうわけだがもうあまり気にしていないようだが、僕としては未だわだかまりを拭えないでいる。だから今更あいつをバンドに加えようという気持ちにはどうしてもなれないのだ。まぁ、音楽面では文句はないのだけど、やはりバンドと言ったって音楽性以前に人として問題がある奴とはなかなかうまく行かないものなのだ。
「うん、楽しみだなぁ」
なんて平和に笑っている羽深さんは分かってない。羅門は鬼門。奴はとにかくトラブルメーカーだ。
「羽深さんは楽しみだってよ。楠木、お前もちょっとは楽しそうにしろよ」
メグめ。僕の気持ちを分かっていながら嫌味を言いやがって。腹立たしい。
「ま、そう心配するなよ。きっといいバンドになるからさ」
かーっ、このスットコドッコイめ。脳天気なことばっか言いやがって、知らないからな、どうなっても。
にこにこ嬉しそうな二人を前にして僕は途方に暮れるのだった。
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