第42話 転んじゃったら痛いだろーなー
「拓実君、水族館って結構暗いよね。躓いちゃって怪我したらどうする?」
「怪我しないように気をつけるさ。水族館が暗いのは、魚からこちらが見えにくくするためらしいよ。魚のストレス軽減のためだ。魚のために受け入れてあげよう」
「そうなんだ……。うぅん……」
羽深さんは少し何か考えてから、手を差し出してきた。今度はなんだろうか。
「転ばないように念のため……」
「ん?」
「繋いでおいた方がいいかと……」
手を繋ぐ……だと? マジか。憧れの羽深さんと手なんて繋いじゃっていいの!?
いや、待て。まさか何か別の狙いでもあるんじゃなかろうか。何か裏でもなきゃ僕と手なんて繋ぎたくはないだろうに……。
繋いだ途端関節キメられてお巡りさん、この人です! とかないよね?
「あー、転んじゃったら痛いだろーなー」
言ってからチラッとこちらを窺う。あざとい。
しょうがないなぁ。
もうハニートラップだろうが壺売りだろうがどうとでもなりやがれだ。羽深さんがかわいすぎて理性など吹っ飛ぶってもんだわ。
言っとくが僕がプロのDTじゃなかったら、こんなことされてとっくに両思いだと錯覚してるところだぞ。
僕は羽深さんの手を握り、その思っていた以上に華奢で柔らかい感触によけいにドギマギしてしまう。
一方で羽深さんは僕と真逆のようだ。
「ふふ。これで安心」
なぁんて平和な顔しちゃって、僕のことなんてこれっぽっちもなんとも思っちゃいないようだ。
と思ったらあれ? またモジモジしちゃってるぞ。なんだこれ?
「じゃあ転ばないようにね」
「もし転んじゃったら?」
出た。必殺の上目遣い……。そんなかわいく転んじゃったらなんて言われても、むしろ僕が転んじゃうんじゃないかってくらい地に足がついてないんだけどさ。でもまぁ、ここは心を鬼にしてきちんと注意するように言っとかなきゃな。
「転ばないようにね」
頬がデレッと緩みそうなところを必死で留めて軽く睨みをきかせつつもう一回牽制しておく。本当に転んだら大変だからな。
「むぅっ。そこはもっとこう……なんていうか、王子様的な何かを言って欲しかったのにぃ」
また無茶言ってらぁ。この僕のどこに王子様要素があるというんだよ。ないもんは絞り出せないっての。
「王子様的な何かって、自分でも分かってないじゃん」
「酷いっ。拓実君の愛情の裏返しのツンデレが酷いわぁ。もういっそツインテにしちゃえばいいのにっ」
誰がツンデレキャラじゃ。デレデレだっつうの。油断したら今にも両思いかと勘違いしそうなところを鉄壁のDT力でどうにか持ち堪えているってのに。
か、勘違いさせないでよねっ!
「うわっ、見て見てっ、拓実君! サメだよサメ!」
ってDTの心、
「あー、あれは
「そうなんだぁ……。拓実君ってさっきから何気に詳しい? もしかして必殺のデートコースだったり!?」
「ちがうよー。女の子と二人で水族館なんて初めてだし……」
虚しくなるから言わせんな。てかちょっと見栄はっちゃったけど、ホント言うと水族館どころかデート自体初めてですけど何か?
かと思えば羽深さんはまた顔を赤くしてモジモジしている。これはなんでだ?
「初めての相手がわたしだったんだ……嬉しぃ……」
ってなんか別の意味を想像しちゃうからやめてぇ!? 頼むから。あんなことこんなことあれこれ具体的に想像しちゃうからやめてっ!
「でも鮫と他の魚一緒にいて魚減っちゃわないのかな?」
「だからこれ鮫じゃなくてエイだしね。でも鮫だって餌もらって満腹だったらわざわざ狩はしないんじゃないのかな」
めんどくさいことわざわざしなくてもただ飯食えるなら十分だろ。
「なるほど……すごいっ。やっぱり詳しいねっ!」
誉めのハードル低っ!?
これはあれか。子供がちょこっと上手にできると大げさにあらよくできたねーーって褒めるあれか。
「拓実君、拓実君! カワウソだよ! 見て見て! かわいいっ」
羽深さんに手を引かれて僕も小走りになりながらカワウソのいるエリアに近づいていく。
あぁ……。手を引かれるのも悪くない……ていうかむしろいいっ。共有したいって気持ちがすごく伝わってきてズキューンだ。
もぉ〜、好きでしょこれ? 絶対僕のこと好きだよね!? ダメ? 違うのこれ?
あぁー、胸が苦しいぃっ。しんどいっ。張り裂けそうですぅーーっ。
とまぁ、僕はもうそろそろ終わりそうだ。もう人生のあらゆるパラメータをここに集中させた気がする。
父上様、母上様、三日カレーライス美味しゅうございました。
父上様母上様、拓実はすっかり疲れ切ってしまってもうドラムを叩けません。
————って脳内で遺書書きかけたけど幸いにもまだ生きているようだ。
見てみなさい、この小動物の生命力に満ちた様よ……。あやかりたいもんだね。いかにも小動物らしい仕草のカワウソはなるほどなんとも愛らしい。
まあ僕に言わせりゃ羽深さんのかわいさには到底及ばないんだが、そんなこと面と向かって口には出せない。
「きゃーっ、かわいいっ! なんなのこのかわいさっ! ねっ、拓実君!」
「はぁー、もう本当なんなのこのかわいさ。羽深さんがかわいすぎてツライ……」
って、あっ!? 口に出せないって思った端から口に出ちゃってた!? やっべ。
「……ふにゃん」
あっちゃーっ。また羽深さんに聞かれてしまった、恥ずいやつ……。
羽深さんがゆでだこみたいに真っ赤っかだ。
うっわ、ホンットもうこのポンコツだだ漏れな口ときたらまったく……。
「いや、あのぉ……違くて……」
「え、違うの?」
「あ、いやぁ……違わないんだけど、そのぉ……」
「ねぇ……さっきのも……拓実君の本音がつい出ちゃったやつ?」
といつもの反則技の上目遣いで頬を赤く染めながら訊いてくる羽深さん。やっぱ超かわいいっす。
「つい本音です……」
ってついまた本音を言っちゃったよ。
「ふぅーん。そ、そう。ふぅん……」
左手は繋いだまま、右手で口元を押さえるようにしているがニヤニヤが隠し切れていない。
「きっとみんなから言われ慣れてるだろうけど」
それでもかわいいって言われたらやっぱ嬉しいもんなのかね、そんなにニヤニヤしちゃってもうかわいいんだから。しかも僕みたいなモブから言われたってキモいだけじゃないのかな。
「誰からでも嬉しいってわけじゃ、ないよ……」
ってまたその上目遣いをするぅ。
ズキューンですわ。それも連射ですわ。
それはあれですか。
『拓実君が言ってくれるのだけは特別だよ、きゃっ、言っちゃったっ』
って脳内で勝手に再生しちゃいましたが、そういうことでいいですか? ダメですか。ダメですよね。知ってますぅっ。
はぁー。弄ばれるぅっ。苦しいぃ、切ない。張り裂けそうですぅ……。口からエクトプラズマ絶賛大放出祭じゃ。
こんな調子で今日一日僕は保つんだろうか……。
甚だしく不安を覚えるのだった。
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