第43話 適度に弾力を保ちつつもその柔らかで甘やかな感触が人を魅了してやまないマシュマロが

「ふぅわぁ〜っ!」


 幻想的な風景に思わず声を上げる羽深さんだが、その気持ちは僕にでもよく分かる。

 暗い館内で、LEDでも仕込まれてるのかと思うような電飾効果を発揮しながら水槽内をゆったり揺蕩うクラゲたちは、実に幻想的で美しい。

 思わず言葉を失い、二人ともしばらくの間見入ってしまっていた。


「なんか癒されるぅ……」


 うっとりとした表情を浮かべる羽深さんを後目しりめにいまだ繋いだままの羽深さんの手やら匂いやら、ずっと至近距離にいるせいでこっちは癒されてる暇もないくらいドギマギしっぱなしだよ。


「ららちゃん、そろそろイルカショーが始まる時間だから行ってみる?」


「おぉっ、行く行くっ! イルカショー見よぉーっ!」


 子供みたいにはしゃぐ羽深さんを見ているとなんだか無条件に嬉しくなっちゃうなぁ。それで油断して地獄を見るんだけど……。


 イルカショーでは前列の方には透明のビニールシートで飛沫除けの対策をするようになっている。逆に言えばそれだけ水飛沫が凄いということだ。

 案の定、イルカが輪をくぐったりボール遊びみたいなことをしたりと派手にジャンプする度にもの凄い勢いで水飛沫が上がる。


 まぁそういうわけでつまり僕らは今、誘導されるまま最前列の席に座っているわけだ。

 水飛沫が上がる度、ボタボタボタッとビニールに落ちてくる水が大きく音を立てる。

 同時に羽深さんも「ひゃーっ」と悲鳴ともつかない声を上げて僕の方へと抱きついてくるもんだから、ビニールをうまく被れずに二人してびしょびしょになってしまった。


 ショーが終わってから、取り敢えずグッズ売り場で魚や海藻のプリント柄の変なタオルを購入して濡れた髪の毛や服を拭いた。


「いやぁ、参ったね。あんなに水を浴びせられるとは思ってなかったわぁ」


 そんな羽深さんのボヤキが聞こえてくるが誰のせいやら……。


「いやほんとにね。誰かさんのせいで身動きできなくてビニール被れなかったから……」


「ごめんごめん。悪かったですーぅ。でも正直役得だったでしょ? わたしに抱きつかれちゃって! て……ん? いやむしろわたしの方が役得か?」


 うぅむ、最後のぶつくさなんか言ってたのは聞こえなかったとして。まあ確かに役得だったけどさぁ。

 ふっかふかに柔らかかったし……。あれが噂の柔らか仕上げかよ。って、これは絶っ対に声に出しちゃダメなやつだわ。


「そんなことよりねぇ、拓実君……?」


「何かなぁ」


 羽深さんお得意の上目遣い。これを繰り出されると弱いんだが、何か無茶振りされるんじゃないかと、研ぎ澄まされたプロDTの学習能力が警鐘をガンガン鳴らしている。


「ジンピカちゃんとのデートではピアノデュエット、してたよねぇー」


 あ、それかぁ。


「してたねぇ」


「わたしもしたいなぁ……チラッ」


「チラッて口で言ったねぇ!?」


「わたしのお気に入りってあの曲……自主練してきたんだけどなぁ……チラッ」


 そうやって音声ガイダンス付きでチラ見してくる羽深さんはその魅惑的な見た目に反して悪魔のような無茶振りへとしれっと誘導してくる。

 でもそのために自主練してきたとまで言われちゃ、なんか健気でかわいらしいなぁなんてまた僕の目尻はデレッと下がっちゃう。そんな風に言われちゃ断れないじゃないか、まったくぅ。天井知らずのかわいさなんだからぁ。困ったもんだぜ。


「そっか。自主練までしたと聞いちゃあそれはもうね。やるっきゃないっしょ」


「ホントッ? やったぁっ! フフフッ」


 小さくガッツポーズを作ってぴょんぴょん飛び跳ねている羽深さん。あぁー、やっぱ堪んないなぁ……愛おしい。これを尊いと言わずして何と言えと。こんな人の愛を独り占めする奴がもしいるなら、全世界のDTの怨みを一身に受ければいいわっ! と、醜いねたそねみに全身が浸されるのを感じつつ、まだ見ぬ羽深さんの想い人に歯軋りする僕だった。


「うーん、それじゃあこの前の美術館に行く?」


「他の女と愛し合った場所にわたしを連れて行くの?」


 えぇ? 愛し合った場所とかまた何つう表現を……。てかまためんどくさいことを……。


「じゃあどうしよっか。ピアノが置いてあって自由に弾ける場所となるとなかなか……」


「うそうそ。美術館でいいですぅ。ジンピカちゃんとの愛を確かめ合ったというあの場所でいいですぅ」


 ぷいと頬を膨らませ口を尖らせてふて腐れつつだが、羽深さんの了承を一応得ることができた……のか、これ?


「ホントに? なんかすげぇ不穏な言い回しされたけどそこは聞かなかったことにして、じゃあ行こっか」


 件の美術館はここからだと電車で移動しなくてはならないので駅へと向かう。道行く人たちの目を引く羽深さんと一緒に歩くだけでも気が引けるというのに、何故だか今日の羽深さんはやたらとスキンシップが激しい。何を考えているのか知らんが僕の腕に自分の腕を絡めてきているのだ。


 当たる。当たっている。ソ◯ラン仕上げだかア◯ロン仕上げだかを彷彿とさせる柔らかくてふかふかなものが当たっているのでもう全神経がその部分に集中しちゃっててまずいです。毛糸洗いも自信が持てます。

 なんで羽深さんはそこまでして僕を揶揄からかうのか皆目見当がつかない。謎すぎる。

 当ててんのよとかホントにやったりしたらヤバイですよ。ここは僕だからしてどうにか持ち堪えているものの、一般人だったらもう頭の中はエロ酔してるって。マジで破壊力がヤバいから。


 そうこうしているうちに駅に着き、僕はプリペイドカードにチャージしてくると言ってどうにか羽深さんのオッ……じゃないやから逃れた。

 はぁー。羽深さんっていっつも僕のことこうやって揶揄うようなことして、いったいどういうつもりなんだ? ほんっとにわけ分かんねぇ。僕が羽深さんのこと好きだってバレてて弄られてるんだったら最悪だよなぁ。そんなことする人じゃないって思いたいけど。


 電車の中は混雑しており僕らが座ることのできるスペースはなかった。お陰で羽深さんの腕に絡まれる心配がないと思ってたら、終始僕の胸に羽深さんの頬があって僕のドキドキは落ち着くことがなかった。時々僕の顔を見上げてじっと見つめられるので耐えかねてついつい目を逸らしてしまう。


「前に助けてくれた時と一緒だね」


 僕の胸に顔を埋めたまま羽深さんが話すので、ダイレクトにその言葉が僕の肺を震わしながら伝わってくる。

 幸せとはもっと温かくてほっこりするようなものかと想像していたけど、こんなに緊張してドギマギして苦しいことだったのか。もう身体中の血という血がてんやわんやの大騒ぎで駆けずり回っているみたいだ。


 それでもやっと目的の駅に着いたから、これでようやく過度の密着状態から解かれると思っていたけど、そうだった……。マシュマロが、適度に弾力を保ちつつもその柔らかで甘やかな感触が人を魅了してやまないマシュマロが当たるんだったーっ。


 取り敢えず心拍数を下げなくては。きっとこの状態で演奏するとやたらとBPMの速い演奏になってしまう。演奏テンポって不思議と心拍数に引っ張られがちなものだ。緊張や興奮で心拍数が上がってる時って、演奏が走りがちななのだ。


 とにかく歩きながら呼吸を整えるべく深呼吸を繰り返すのだが、はたから見たら美女に鼻息を荒くしている危ない人だなこりゃ。

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