第32話 ちょっとお話ししようか

「ちょっとお話ししようかぁ、楠木君」


 放課後、靴箱のところで不穏な空気を纏った佐坂君に呼び止められた。

 今日の昼休みにこいつらからものすごい目で睨まれた経緯があるので正直なところ嫌な予感しかしない。


 佐坂君の後ろには羽深さんの取り巻きの仙波せんばと田代がいて、威圧感を滲ませている。

 この雰囲気からするとお話というかわいらしいレベルのやり取りで済ます気はあまりなさそうに見える。


「そのお話しって時間かかるのかな? この後予定があってあんまり時間は取れないんだけど」


 そんなことであっさり引き下がってくれるとも思えないが、気にも食わないので一応言ってみた。


「さぁ、どうかな。それは楠木君次第かもな。ま、ついてこいよ」


 そう言って佐坂君を先頭に僕、そして仙波と田代が続く形で校舎裏の倉庫のそのまた裏という人目につかない場所に連れていかれた。

 あぁ、こりゃ暴力的な手段での語らいになるんだろうか……。

 こちとら平和を愛するミュージシャンだからなぁ。荒事はあんまり好きじゃあないんだが……。


「なあ、楠木君。お話しする理由は分かるよなぁ?」


「さあね。何と無く想像はつくけど、クラスメイトが僕の想像するようなくだらないことを考えるような人間だとは思いたくないって感じかな」


 あーあ。ずっとモブキャラ一本でやってきたのにこんな煽るようなこと言っちゃって、僕は何をやってるんだか。

 案の定、スーッと佐坂君の目が据えられて一層冷ややかな空気を纏い始める。


「なあ。ららちゃんに付き纏うのいいかげんにやめてくれよ。ららちゃんが迷惑がってるからさ。今ならまだお願いの段階だぜ? どうだ、お願いを聞いてくれるか?」


「羽深さんが迷惑がってるのか? 僕が付き纏ってるって? それは初耳だったよ。教えてくれてありがとう。話は分かったから僕はこれで」


 面倒臭そうだからさっさと退散するに限る。僕は踵を返して立ち去る気満々なのに、どういうわけだか仙波と田代が立ちふさがる。


「悪いけど帰るから通してもらえるかな」


「悪いな。帰っていいかどうか決めるのはお前じゃなくてこっちなんだよ」


 と不穏なことを仙波が告げる。

 いやおかしいな。帰るかどうか決めるのは本人である僕だろう。まったく。何を言ってるんだか。


「なんだ。まだ他にも用件があったのか。用があるから早く言ってくれよ」


「さっきからあれだな。底辺のくせに随分と立場を弁えてないように見えるんだけど、これ、教育が必要なパターンか……やれやれ。世話の焼けるやつだなぁ」


 佐坂君は……ってこの期に及んで君付けで呼んでやるのも鬱陶しいな。

 佐坂の野郎は制服のブレザーを脱いでネクタイを外すと、きれいに畳んで脇に置いた。

 こいつ無駄にお行儀がいいな。

 しかしこれがバイオレンスに向けての準備だということはなんか僕にも分かっちゃってる。


 できればこういうのは遠慮願いたいんだけど、後ろから田代に羽交い締めにされいよいよ僕が殴られる準備が万端整った。


 佐坂は僕に近づくにつれ拳に強く力がこもっていく。

 うわぁ〜、あれで殴られたら痛そ。

 思った瞬間佐坂の肘が引かれてパンチを繰り出す動作に入ったので、僕はパンチが飛んでくるタイミングに合わせて全身を脱力してするっと羽交い締め状態から下に抜け落ちた。


 佐坂のパンチは見事にクリティカルヒット。

 ただし僕を羽交い締めにしていた田代の顔面に……。

 あちゃー、そりゃ痛い。田代が痛みのあまりその場にうずくまる。

 僕はその隙に包囲網の外に抜け出す。


「内輪喧嘩もほどほどにな! んじゃ、また来週」


 嫌味と挨拶を言い残すのも忘れずにさっさとその場を立ち去った。


 僕は喧嘩は好きじゃないけど、実は弱いというわけでもない。

 中学時代は学校が荒れててバンド関係も含め、結構ゴタゴタに巻き込まれるようなことも少なくなかった。僕とメグはそんな中でやむなく喧嘩慣れしちゃった面がある。

 だから本当のところを言えば喧嘩慣れしてない佐坂たちなんて三人まとめたところで相手にもならないだろう。本人たちは気づいてもいないようだが。


 ただこういうことがあると、せっかく築き上げてきたモブキャラが崩れるのでできれば避けたいところだった。

 ああ、面倒臭いことになっちゃった。

 来週からまたあいつらにしつこく絡まれたらやだなぁ……。


 そしてその後はTHE TIMEの練習二回目だった。

 演奏の仕上がり具合は順調だ。しかしバンド崩壊フラグを恐れるあまり、不自然なくらいに僕と会話を交わそうとしない曜ちゃんに少し切なさが募った。


 そして夜になって曜ちゃんから届くThreadの言葉は甘い。しかし言葉が甘ければ甘いほど今の僕には空々しい言葉のように感じられて、僕に届く手前でボトボト落っこちるような気分だった。


 あぁ、こんなことならプロのDTなんて辞めてしまいたい。そんな夜は今日もなかなか明けることがなかった。

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