第33話 どこかよそ事みたいだ

 土曜日を満喫すべく、僕はとっくに過ぎた朝を引き延ばしてダラダラ過ごしていた。

 昨夜からその気満々でスマホはおやすみモードにしてある。


 とは言えダラダラしていても困ったことに腹は減る。トイレにも行きたくなったし、いい加減起きる決断を下す時がきたようだ。


 母から生活態度についての小言を言われながら昼食をとる。母の小言をBGMにしながら学校での毎日の昼休みに思いを馳せていた。

 不思議なもので食べ慣れた母親が作ってくれた食事より、羽深さんの手作り弁当の方をふと恋しく思ったりした。


 なんだか気がつけばすっかり餌付けされてるな……。

 それにしても、羽深さんはあの取り巻き連中から解放されることを望んでいるようで、そのために僕への協力を求めてあんな感じになっているのじゃないかと思える。


 問題は、なんで僕なんかに白羽の矢が立ったのかという理由だが、音楽という共通の趣味、そして僕が結構一人でいることも平気で気にする様子がないので参考になりそうだとでも思われてるとかか?

 概ねそんなあたりじゃないだろうか。それくらいしか思い当たる要素がない。


 まあお陰で昨日の帰りがけのようなことに巻き込まれているわけだが……。


 それでも毎朝羽深さんと二人で登校したり手作り弁当を二人で食べたりと、僕がプロのDTでないただの一般人だったらとっくに恋人気取りの勘違い野郎になっていてもおかしくない。このご褒美感は、おつりがきてなおかつ定期預金までする余裕が出るくらいにお得だ。


 ついこの間までは天国と地獄を行ったり来たりしている気分だったのだが、最近では羽深さんとの日常的なやりとりについてはだいぶ慣れてきたし、ある程度平常心に近い状態を保てている。ていうかそう言い聞かせている……。


 ただちょくちょく悪戯が過ぎることがあって、それには心拍数が上がった状態が続いて、うっかりスポーツ心臓になりやしないか心配だが。

 この調子ではそのうちオリンピックの陸上競技で長距離の代表に選ばれるまでありそうだ。

 ないけども。


 それにしてもやってる当の本人も相当恥ずかしそうにしているのがおかしい。一体悪戯のためにどんだけ体張ってるんだって話だ。

 まぁ、自分でやっときながら耳まで真っ赤にしてモジモジしてる様子がかわい過ぎて僕にとってはご褒美みたいなもんなんだけど。


 正直に言おう。あれにはもうメロメロだ。


「らら……か……」


 誰にも聞かれる心配のない自室にて、その名をそっと口にする。

 ぞんざいに発音したら今の危うい関係などあっという間に崩れ落ちてしまいそうで、壊れないようにそっと口にすることしかできない、憧れてやまない愛しい人の名前。


 ひょんなことから最近親しげになってるんだが、うっかり油断して勘違いするわけにはいかない住む世界の違う人の名だ。


 もっとも当の本人は僕のそんな気持ちなどお構いなしに、曜ちゃんに張り合ってか名前で呼ばせようとしてくるんだけども。


 その名を口にするたび、僕は心臓がキューキュー締め付けられて何だか泣きたいような複雑な気持ちにさせられるのだ。


 思い立ってキーボードに向かってポロンポロン弾きながら浮かんでくるメロディをハミングする。「ら」だけのハミング……。


「なーんて、ちょっと甘過ぎるかなぁ」


 らしくもないあまりに甘ったる過ぎな曲が出来上がってしまったことに気恥ずかしさを覚える。


 羽深さんの鈴を転がすような美しい声や、甘い香り、体温、豊かな表情……いろんなものが思いに去来する。


 くぅーーっ。

 こんな曲作っちまってなおさら切なくなっちゃったよぉっ!

 身の置き所も遣る瀬もなくした僕はベッドにダイブして枕に顔を埋め、ジタバタと悶絶するよりなかった。


 そんなことをしていたらあっという間にTHE TIMEの練習時間が近づいてきた。

 そろそろ準備しなくては。


 練習自体は極めて順調。演奏も上々。曜ちゃんは結局今日も素知らぬ様子。イケメンメンバーとは普通に話してるのに……。

 あぁ……またムクムクと卑屈な考えが大きな頭をもたげる。やだやだ。DTの僻みやだなぁ。


 明日はデートだろ。しっかりしろ。

 デート前日ってことは少ない自分の経験値からいえば小学校の遠足前日に匹敵する。

 だとすればおやつのことやら弁当のことやら、敷物や水筒忘れないようにしなくちゃとか、もう色々考えて眠れないくらいにワクワクしているものだ。


 だというのに今の僕ときたらどうだ。

 全然テンションが上がらない。あんなかわいい子と一緒に映画だってさ。どこかよそ事みたいだ。


 もはや定型文じみてすら感じられる曜ちゃんからのThread。

 でもきっと僕はちょっとしたことで単純にもまたすぐに舞い上がってしまうのだろう。

 そんな自分が容易に想像できて、そのことでまた暗い影が心を覆う。


 憧れの羽深さんに叶わぬ想いを寄せながら、一方で脈がありそうな曜ちゃんをキープするみたいなことをしている自分の節操のなさにも嫌悪感が溢れる。


 曜ちゃんの反応に不安を抱いているせいでそんなことを考えているけど、その心配がなけりゃきっとそんなこと考えもしない。


 僕は何がしたいんだろうなぁ……。

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