木魂 歌哉

 丁度竹林院を出て、しばらく坂を下ったところだった。一匹の油蟬が、小さな虫籠のなかでじりじりと五月蝿うるさく鳴いていた。ちょっとした散歩の心算つもりで出てきたのだが、よもやこんな光景に出会うとは思っていなかった。近くの少年が捕まえてきたのだろうか。

 虫籠は随分とお粗末なものであった。プラスチックの容器の中で外の景色を見 ながらも出られない。私は蟬の目の中に虚しさと絶望を見た、気がした。先刻さっきは鳴いている、と書いたが、泣いていたのかもしれない。

 あの様子だと一日も生きられまい。助けてやりたいところだが私にそのような権利があるはずもなく、哀れな蟬を尻目に私はその場をあとにした。


 此処ここ、竹林院なるところは吉野の山中に在る旅館であった。此処で朝からカンヅメになっていた私は、気分転換に外に出てみることにしたのだった。


 古風な店が坂に沿って建ち並ぶ。この下り坂の様子だと、帰るときはかなりきつそうであった。豆腐屋を過ぎ、更に急になった坂道を降りると地図掲示が在った。それによると、私はいつの間にかかなり離れたところまで歩いてきていたらしかった。

 そうだ、この際だから、と私は更に奥の方へ歩を進めていった。地図通りに路地を通っていくと、果たしてそこに”それ”は在った。

 蔵王堂と呼ばれるそれ(この地の観光名所であるらしい)は、寺にしては少しのっぽであるように感じた。それもそのはず。あの中には5m、6m、7mにもなる本尊たちが収められているのだと云う。朝早く(時刻は午前6時半ほどであった)にも関わらず、沢山の人が御堂に詰まっていたのには驚いた。私もそこに入ろうとしたのだが、生憎あいにく時間がそれを許さなかった。惜しみつつも私は蔵王堂をあとにした。経が、耳について離れなかった。


 そうそう、実は昨日私は人生初の座禅をしたのである。あまり集中できていなかったと思われ、今となっては足がしびれたほか記憶に残ってはいないが、それでも新鮮な経験であった。そこでの坊さんのはなしに蔵王堂が在ったのだ。それが近くに在るという情報をその時得たので、散歩ついでに私も行ってみようと思ったのである。


 入り口の長い階段を下り、蔵王堂を出た。これからまたカンヅメになるのか、と思うと憂鬱ゆううつであったが、仕方がないと諦めるしかなかった。先程から懸念けねんしていたとおり、登るのがかなりしんどいことが予想される坂道がそびえている。私は覚悟を決めて足を踏み出した。

 

 …しんどいことこの上ない。膝の皿が割れそうであった。まったく、気分転換の心算で出てきたと云うのに疲れてしまうとは…

 豆腐屋まで戻ってきた。何も聞こえなくなった道をただひたすらに歩く。膝の疲れは溜まり過ぎて、むしろ感じにくくなってしまっていた。


 虫籠を見る気にはもう、なれなかった。

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木魂 歌哉 @kodama-utaya

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