ゾンビがヒトをかじるまで

鳥しゃもじ

ゾンビがヒトをかじるまで

夜の薄暗い路地。帰宅途中の男は思いがけない光景を目にした。

ギンガムチェックシャツの青年が道の真ん中でうずくまっていたのだ。

ぜえぜえと、苦しそうに息をしている…。

男は慌てて青年に駆け寄った。

「だいじょうぶですか?」

「にげ……ゾ…ビが…」

青年の皮膚は所々ふか緑色に変色している。

何かの病気だろうか…。

「今、救急車を呼びますね…!」

青年の背中をさすりながらケータイを取り出し、119番を呼び出す…。

とそのとき。

グイッ、と後ろから肩を引っ張られるように掴まれた。

「う、あ…!?」

痛みに思わず声をあげる。骨が軋むような 力に男は後ろを振り返った…。

そこには、七三分けのサラリーマンが立っていた。その顔を見た瞬間、男は恐怖に凍りつく。なんと、サラリーマンの顔全体はどす黒くふか緑色に変色し、皮膚は腐って 骨が見えているではないか。

…その姿はゾンビそのものであった。

「うわああああっ!!?」

男は絶叫した。ホラー映画張りの絶叫を。

腰が抜けた。

そのまま地面を這って、サラリーマンゾンビから逃げようとする…。

だがもう、駄目だった。

目の前にギンガムチェックシャツのゾンビがいた。挟み撃ちの状態。そして男はその顔に

見覚えがあった。

「ああ…さっきの青年だ…」

呆然と呟いた瞬間、二名のゾンビは男に襲いかかり、恐ろしい勢いで右側頭部にかじりついた…。


数日後、男は病室で目を覚ました。すると、一人の医者がツカツカと部屋に入ってくる。銀ぶちメガネの医者は“岩井”と名乗り、

「あなたはゾンビウイルスに感染しています」と淡々と男に告げた。

…訳が分からない。そう岩井に訴えようとするが…。

「______!?」声が、全く出ない。

「あなたはウイルス感染によって、発声が 困難になっています。そして…いいですか。

こちらの手鏡で御自身の顔を確認してください」手鏡を渡され、自分の顔を見ると…。

「!?」衝撃だった。

男の顔全体がふか緑色に変色し、右頬は腐って悪臭を放っている…。唖然とする男に岩井は話始めた。

「あなたはゾンビに噛まれて、ゾンビになってしまったのです。ゾンビの唾液に含まれるゾンビウイルスが、噛まれた傷口から体内に侵入してしまったのです…。

そして、あなたの他にもこの病院に三名、全国に十四名のゾンビが確認されています」

だが、岩井は男に親切そうに笑いかけた。

「でも安心してください!先日、 ゾンビ 保護法が可決されました。ゾンビの人権は保護され、入院費も政府から支給されます」

「…一緒にがんばりましょう。我々も全力であなたをサポートします…」


…こうしてスタートした入院生活は割と普通のものだった。

病室にはテレビもマンガ本も置いてあるし、

病院食もなかなか美味しい。腐った右頬から食べ物がこぼれたことはあったが…。

男はゾンビだったが、決して野蛮ではなく、ましてヒトを襲うことなどなかったのだ。


だが、世間は違った。大半の人間はゾンビを人類の敵と見なしたし、メディアやインターネットではデマが広まり、批判的な意見が集中した。加えて、ゾンビの治療は現代医療では不可能という論文を著名な学者は発表した。…もはや世界にゾンビの居場所はない。


ついに政府はゾンビ保護法を破棄し、新たにゾンビ駆除法が可決された。国民と世界の平和を守るために。

ゾンビは次々と駆除されていく…。


そしてとうとう。男の病室にもライフルを装備した特殊部隊が突入した。

十数もの銃口が男に向けられる。

「ゾンビ駆除法第四条に基づき、貴様の脳を破壊する!」

…ああ、こんなところで死ぬわけにはいかない。

男はちらっと後ろを確認した。背後には窓がある。

一瞬の隙。男はくるりと後ろを向き、窓に向かって駆け出した。一斉にライフルが発砲される。粉々に割れたガラス片と共に三階から男は飛び降りた。

“グジャア”

地面に体が叩きつけられて、左足の骨が砕ける。ゾンビは脳を破壊されなければ死にはしないし、傷もいずれ治癒する。

男は足を引きずり、近くの建物に身を隠して息を殺した…。


しばらくして、足音が聞こえてきた。

様子を伺うと、そこには数人の医者の姿があった。その中には岩井の姿もある。

どうやら裏口から逃げて来たようだ…。

ふと男は気づいた。

医者たちの目の前のスロープに、ライフルで撃たれたらしいゾンビが倒れている。

…彼も必死に逃げて来たんだろうな。

そのときだ。

岩井がゾンビの体を蹴飛ばした。ゴロゴロとスロープをゾンビが転がっていく…。

邪魔だったから、どかしたのだ。

「……!」男は知った。

半分の恐怖と半分の軽蔑が込められた人間の目を。

男は怒りを感じて、拳を握る。

そして不意に寂しくなって手のひらを見つめた。

…ふか緑色だった。

自分の手はこんなにも人間じゃあなく、

こんなにもゾンビらしい…。

視界にモヤがかかる。

男の心からひとつの感情が消えた。

骨折した足はもう、治っている。

ゾンビは医者たちを目指して、力強く地面を蹴った。


孤独なゾンビはヒトをかじるために走り出した。

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ゾンビがヒトをかじるまで 鳥しゃもじ @tori-shamoji

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