点灯

空舟千帆

点灯

 いまだ目覚めぬ都市の大気は藍染めだ。手の中でクサをくるくるまわすと、ほそく出たケムリがおれたちの頭上に、読めない文字をいくつも描いていく。

「そろそろ、もぐったほうが、いいんじゃないかなあ」

 あくびのようにうながす相棒を、どうにか見わけようとする。青く背景に溶け込んで、そこにいるのかわからない。数刻前のネクタルが、効きすぎているのかもわからない。

「もぐったほうが、いいんだろうなあ」

 満足に動かない手足をかかえて、だれもいない通りのど真ん中で、おれたちは立ってはなしている。地底人も地上人もねている時間だ。おれたちだってもうすぐねにいく。

「それじゃあいこう」

 ビルディングの外殻は灰色の、軽くて薄い金属で造られ、触ってみてもひやっこくない。継ぎ接ぎだらけのそいつから生えた、丸っこくてほそい小さな取っ手。力を込めずに引き上げると、水の流れる音が聴こえてくる。

「はいはい、ごくろうさん」

 曲線の壁から一段ずつ突き出た、やはり軽金属のはしごが光る。巨きなパイプ。都市のはらわた。そのひと隅をおれは開いたのだ。

「やけに暗いな、どうしたんだろう」

 パイプの中ではいつだって、明るい光が満たしたはずなのだけれど。

「見たまえ、もう切れかかってるよ」

 指されたほうに顔を上げれば、たしかに天井に列なす電燈の、そのほとんどがチカチカと点滅していた。中ほどまではしごを降りていたおれたちは、上下に顔を見合わせる。

「まいったなあ」「まいったねえ」

 降りたところで下は川で、明かりがなくては足元も見定められない。住処までの近くはない道を、濡れて帰るのはごめんこうむる。

「どうだ、おれたちにも直せないのかな」

 そんなことを先に言い出しておいて、相棒は動こうとする気配をちらりとも見せない。

 天井に沿って管理用の通路がつづいていて、上がるには空中に架かったはしごを使う。手が離れればむろん真っ逆さまだ。

「おおい、おまえは来ないのかい」

 懸垂の要領でからだをもちあげて、通路にはいあがってしまってから、一応はそんなふうなことも言ってみるけど返事はない。

 さてさて、薄闇のなかで目を凝らしてみると、並んでいるのは確かに電燈だ。大人の頭くらいある代物で、うす緑のガラスのなかで光芯がまたたいている。

 手をのばしてみるとどうやら届きそうな距離で、両手ではさんで回そうとこころみる。しばらく力を入れると手応えがあって、あっけなく外れたそれはずしりと重い。

 とれたのかあとのんきな声が聞こえてきたので、とれたぞおと声のした方を覗くと、電燈はするりとおれの手から逃げ出す。水音、ガラスの大音響。奇妙な香りがあたりにただよって、おれは思わず耳を塞ぎたくなる。

「ああ、ああ」

 むなしく暗い水面を見つめるうち、なにかがおかしいことに気がつく。落下からだいぶ過ぎたというのに、水面がやけに騒がしい。

 川が沸いている。

 ざわめきが岸へと移動をはじめ、現れた白い塊を見て、ようやくおれは正体を悟る。幾千幾万にも及ぶ、あれは蠕虫の群集なのだ。

 さっきまで相棒がいたあたりは、見ればとっくに覆いつくされて、情けない叫びがどこからか上がる。開かれたままの出口へと殺到した群れは、夜の光を浴びると瞬時に変態し飛んでゆく。蚕蛾のような白い翅をもつ、毛に覆われた小さな虫だ。

「おやおや」

 管理通路の向こう側から、蛾のような老人がやって来る。寝間着のままのところを見ると、一連の騒ぎで目を覚ましたらしい。

「因果交流電燈を壊してしまったようだね。いやいや。老朽化がひどかったんだ、きみらも因果虫を見たろうに……」

「おや、きみは因果交流電燈を知らないと見える。ひとつこの爺が教えてしんぜよう」

 老人はどこからか紙をとりだして、その上に丸をひとつ描いた。

「これが因果交流電燈の外殻だ。ここまではいいんだがもうひとつ」

 丸の中に丸が描き足され、あるひとつの点でふたつは接する。

「こうして二重になっておるんだよ、この二つの球の隙間にだね」

 下手糞な羽虫の絵が、間隙にいくつも飛ぶ。おれはますます首を傾げる。

「因果虫が停時ガスと共に封じられている」

「なに、簡単な仕組みだよ、走光性を持つ虫は、光るものへと吸い寄せられていく。だから虫が吸い寄せられていくからには、それは光らねばならないのだよ。これが因果交流電燈の絡繰りなのだ」

「しかし、現にですよ」

 おれは少々納得がいかない。

「上がってきたのは確かに蠕虫でした」

「ふうむ」

 老人は下を覗きこみ、鼻をならしてあたりを嗅ぐ。しばらくしてふいに笑い始める。

「こいつはすまない。ガスの配合を間違えたみたいだ」と、心なし若々しい声で続ける。

「停時ガスのつもりで逆時ガスを吹き込んだんだ。卵に戻れば因果虫も透明で、なんにもいないように見えたってわけか。こいつはいかにも愉快、愉快」

 つられておれも笑いはじめる。パイプの側面にとりついていた相棒も、いつの間にやら笑いだしている。かくしゃくと老人が手入れをすれば、因果交流電燈が次々に点灯し、絢爛たる輝きがパイプの中を満たす。

「そうか、電燈がブウンと鳴るのは、つまりこういうわけだったのだね」

 それからおれたちは肩をくんで、それぞれの家へと帰っていったのだった。

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