千里眼
賢者テラ
短編
【7年前】
生放送中のTV局のスタジオは、興奮に包まれていた。
すべてのカメラが捉えているのは、一人の女性。
普段はしゃべれば止まらないような有名司会者とコメンテーターの芸人たちも、この時ばかりは無言で、固唾をのんで彼女を凝視していた。
……さぁ、世紀の瞬間です。
千里眼と名高いアサミさんに、犯人の居所を見ることができるのでしょうか?
この時世間を騒がせていたのは、児童連続殺傷・死体損壊事件であった。
同一犯のものと思われ、この時点で被害者は5人目だった。
被害者はいずれも、小4~高2で、うち女子4人、男子1人。
帰宅途中だったり、塾帰りだったり、街で遊んでいた時だったり——
帰宅しないのを心配した親が、捜索願を出す。
どのケースでも、そのおよそ三日後くらいに、死体が発見される。
犯人は、おそらく異常者である。
単に、死体を遺棄しているのではない。それらが芸術作品でもあるかのように、意匠を凝らしているのだ。
ある子は、高層ビルから逆さ刷りにされていたり。またある子は、トイレの個室にまるで排泄中に死んだかのように便座に座らされていたり。
水着姿にさせられて、プールに浮かんでいたり——。
それらの状況は、鑑識によると「その状態で死んだのではなく、別の場所で殺されて死後わざわざそのような状況に死体を置いた」ということである。
同一犯と思われる根拠は、それだけではない。
どの死体にも、バラの花が一輪、添えられているのである。
麻美は、物心ついた時から自分の特殊な能力に気がついた。
考えられないほど遠くのものが、見えるのである。
それは何も、数キロ先に何があるというスケールの小さい話ではない。
意識さえ向ければ、例えば北海道を地図でイメージすれば、そこが見える。
地図上で位置を認識して、何町と意識したらそこまで細かく見える。
いわゆる、『千里眼』といわれる超能力である。
小学校高学年の頃から、すでにその能力のあった麻美は、面白半分でそれを楽しんでいるうちに、さらにすごいことができるようになった。
高校時代には、失踪した人、居所を突き止めてほしい人の使っていた物 (その人の残留思念があるもの)さえあれば、その人が今どこにいるのかまで見えるようになった。
善意で2・3の事件を解決するうちに、それをマスコミが嗅ぎつけた。
そして、特別番組を組むから出演してくれ、とテレビ局から依頼された。
目立ちたくはない麻美は、断わりたかった。しかし、『世の中のために』『遺族の無念を晴らすために』と言われると、胸が痛んだ。
結果を外したらどうしよう、という心配はなかった。手掛かりが本当に犯人の触れたものであったら、完璧に逃がさない自信があった。
かくして、麻美は『千里眼の女・アサミ』というひねりのないネーミングで、TVに出ることになった。ゴールデンタイムの勝負枠で、TV局も視聴率アップのために総力を挙げた。
麻美が放送中に犯人の居所を口にすれば、連携している警察がすぐに動く、という臨戦態勢までが取られた。
麻美が、唯一の手掛かりである現場に残された蝋燭と赤いペンキのついたハケ (いずれも死体を飾り立てるために使われた)に触れる。
麻美は何もしゃべらない。
その間、約30秒余り。
おびえたような表情の麻美。
やがて口を開いた彼女の言葉に——
放送を見ていたすべての視聴者は、悪い意味で裏切られた。
『私には、分かりません』
【現在】
芝原刑事は、千葉のある港町を歩いていた。
『ああ、あのお嬢さんなら2日程前に引っ越しされましたよ』
『どこへ行くか、言われてましたか?』
『さぁね。そこまで立ち入ったこと聞くほどのアパートじゃないからねぇ』
……今回も、逃げられたか。
毎度のことに大した落胆もなく、彼は踵を返してこの小さな漁村を後にした。
7年前、麻美が透視に失敗した時。
日本にただ一人、その様子に違和感を感じた人物がいた。
それが、この芝原刑事であった。
当時、捜査本部に名を連ねていたこの老刑事は、超能力なんぞというものを信じていなかったが、事実自分たちの捜査能力で犯人を挙げられていなかったということもあり、上層部がテレビでの超能力捜査ということに許可を与え妥協したということが、悔しかった。
まず視聴率をとるための茶番だろう、というスタンスで番組を見ていた彼だったが、長年の刑事の勘で「麻美が嘘をついている」と確信した。
超能力を信じない者として、あまり認めたくはなかったが——
麻美の狼狽は、真実を隠す者のそれだった。
……あの娘は、何かを見抜いている。しかし、どういうわけかそれを隠した。
もちろん、大がかりな特番を組んでおきながら、無様な結果を残したTV局に非難が集中したのはもちろんのことだが、麻美自身も評判が落ち、世間の嘲笑と冷やかしの的となった。
そんな中、ついに麻美は失踪した。
家族からも職場からも友人からも、姿を消した。
一応失踪事件として扱われたが、警察も本腰を入れて捜査などしない。
ただ、芝原刑事だけが麻美を追い続けた。
未だに、あの事件の犯人は捕まっていない。
彼には、ひとつの決意があった。
あと、8年。
8年以内に、真相を突き止めてやる。
それには理由があった。
ひとつ。芝原刑事の定年退職が迫っていたのである。それを過ぎると、もう刑事ではいられない。何としても、在職中にケリをつけたい。
刑事としての意地とプライドが、彼を突き動かしていた。
芝原刑事は、麻美と思われる女性が潜伏していたという情報を聞けば、足を棒にしてどこにでも行った。しかし、いつも必ず僅かの差で逃げられる。
……まぁ、相手が千里眼を本当に持っているんだったら、つかまらねぇわな。
しかし、彼にあきらめる気は毛頭なかった。
【4年後の毎朝新聞の記事より抜粋】
『杉並区児童連続殺傷・死体損壊事件の犯人・捕まる』
11年前世間を騒がせた 『杉並区児童連続殺傷・死体損壊事件』 の犯人が、ついに逮捕された。
昨日未明、本件とはまったく別件の殺人容疑で逮捕された青江峻介容疑者(43)のDNAと、杉並区の事件で数少ない手掛かりであった蝋燭の表面から、また死体の皮膚から採取された犯人のものと思われるDNAとが一致したことが、逮捕の決め手となった。
犯人と思われる人物に前科がなかったことが長年の未解決の要因であったものの、今回の別件逮捕によって犯人が浮かび上がったのはまさに僥倖であった。
それも、捜査本部が立ち上がった時からこの事件を追い続けている芝原荘介刑事(58)の功績によるところが大きい。芝原刑事はかねてよりこの容疑者を独自の捜査によって目をつけていたという。そして今回の別容疑での逮捕を機会に、DNAの照合という英断を下したことが、かつて世間を震撼させた凶悪事件に解決を与えたのである。(以下略)
【8年後】
「…やっと会えたな」
芝原刑事の言葉に、麻美は口元に笑みを浮かべた。
「あなたは、きっと満足していないだろうと思って」
風にそよぐ長い髪を抑え、麻美は海が見える公園のベンチに座った。
その横に、缶コーヒーを片手に芝原刑事が腰を下ろす。
オレンジ色の夕焼け空を背に、かもめが二羽ほど空を駈けた。
『TV番組で、何もわからん、と言ったの。ありゃ、ウソだな?』
『ええ』
『あんた、犯人をかばったな?』
『ええ。犯人とも言えるけど、そうでもないと言えますが』
『あんたの言いたいことはよう分かる。あんたは実行犯をかばった。真犯人を見つけるために』
『……私があの手掛かり品を握った時、手を下した人間の名前も顔も、居所までも分かりました。
でも、ひとつだけ確かなことがあった。その人物は確かに一連の殺人は犯していたけれど、それは弱味を握られて操られていただけ。
その背後に、悪魔の知能と心を持った真犯人がいる。だけど実行犯を捕まえても、奸知に長けた真犯人に迫ることは無理だろう、というところまで読んだ。
そこで、決心したの。
すぐに実行犯を捕まえず、泳がせる。
でないと真犯人につながる情報を得る機会は、失われる。
警察に無理でも、誰にもない特別な力をもった私なら、戦えると』
『ということは、やはりわしが捕まえた犯人は……』
『そう、実行犯であって真犯人ではない』
『わしが事件を解決した、と思い込んでいる時にはすでに、あんたは真相に着実に近づいておった、ということやな』
芝原刑事は、さびしそうに笑った。
『ひとつ、聞いてもいいか』
どうぞ、とも返事をしない麻美に構わず、芝原刑事は間髪いれずに聞いた。
『真犯人は……どうした』
麻美の眉が、一瞬釣り上った。
『聞かせてくれ。あんたには、すべてが分かっとるはずだ。頼む、教えてくれんことには、死んでも死にきれん……』
ややあって、麻美は低い声でうめいた。
『私が、殺しました』
『……やっぱりそうか』
それを聞いても、芝原刑事は意外そうな顔をしなかった。
『あの男は、悪魔のように頭がいい。おまけに社会的地位も高く、警視庁の上層部や検察の決定を覆すこともたやすい立場にいた。放っておけば、調子にのってまた誰かを不幸にしかねない。
法で裁けぬのならこの私が、と思いました』
TVに出た当時は若かった麻美も、今では想像を絶する苦労の軌跡を示す深いしわが顔に刻まれており、傍目にもやつれて見えた。
『超能力で殺しました。凶器もないですし、当然証拠なんか出てきやしません。このまま、あなたの招きに応じないで人生を終えることだってできました。でも、私はこうしてあなたの前に現れた。そして真相を告げた——』
静かだ。
波の音以外、何も聞こえない。
『刑事さん。私のしたことは殺人になりますが、逮捕……しますか?』
芝原刑事のほうを向かずに、麻美はボソッと問うた。
静寂を破るように、遠方の海で汽笛が鳴った。
定年まで世の犯罪者を追い続けた老刑事は、無言だった。
麻美は立ち上がって、数歩歩いた。
振り返りはせずに立ち止り、真犯人の死体のある場所を告げた。
『これで、失礼します』
歩き去る麻美の姿を、芝原刑事は目で追うことはしなかった。
これが、彼が麻美を見た最後となった。
後日、麻美に告げられたある山奥の場所を警察が捜索した結果——
白骨化した男性の死体が発見された。
麻美の千里眼は、本物であった。
それは、なんと深いところまで見通していたことであろう。
千里眼 賢者テラ @eyeofgod
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