第19話
無人の駅に降りると、何にもないロータリーに小さな赤い車が停まっているのが見えた。駅の階段を下りて行くと、車の中から私の夫であるナゴミさんが下りてくる。小汚いTシャツ、ダメージジーンズ、やっぱり裸足に雪駄。それに後ろで一つにまとめられた髪の毛。にこやかに笑っているその目はとても優しく、私の全てを包んでくれる目だ。けれど、めちゃくちゃ整った顔立ちというわけでもなく、こういう恰好だけ見れば、ナゴミさんのどこがいいのか自分でも疑問が浮かぶくらいだ。だけど、この人じゃなきゃダメなのだ。どうしても!
ナゴミさんが車の前で大きく手を広げた。
「いらっしゃい! 奥さん!」
私は階段を走り降りると、悩むことなくその腕の中に飛び込んだ。勢いが付きすぎて、ナゴミさんがよろける。なんとか踏みとどまりはしたものの、ナゴミさんが右手で腰を押えた。
「いってー! 今ので腰痛めたかも!」
私を左手で抱きしめたまま大げさに嘆くナゴミさん。
「ナゴミさんが貧弱なんですよ。もう少し太って筋力をつけたらどうですか?」
言い返すと、ナゴミさんが微笑んだ。
「そこは奥さんの力量でしょ? 今後の食事に期待してます!」
全く! ああ言えばこう言う! ちょっとだけ憎らしくなるけれど、こんなやり取りさえ嬉しいのだから自分でも謎だ。
「さ、奥さん。どうぞ」
ナゴミさんが大げさなリアクションでドアを開けてくれる。車は本当に小さくておもちゃのようなのに、一応外車らしい。左ハンドルだ。
「これって、なんて言う車ですか? ちっちゃいですね」
「ミニクーパって知らない? うわ、世代を感じるなぁ」
ナゴミさんが上機嫌でエンジンをかけると、車内にジャズが流れ始めた。
「ジャズ、好きなんですか?」
「うん。好き」
私とナゴミさんは夫婦だ。でも、お互いに知らないことはまだまだ多い。それを一つ一つ見つけて行くのが、これからの楽しみでもある。
「それはそうと、結婚して今更なんだけどさ。俺、金持ちじゃないよ? 仕事は今まで以上に頑張るし、小説もなるだけエントリーしてどこかで賞を狙えるように努力する。でも……」
必死で予防線を張るナゴミさんに呆れてしまう。そういうことは本来、結婚する前に言うことでしょ? そう思ったけれど、ナゴミさんらしく私を守るための発言のようにも思えた。それに、私だってナゴミさんに全て甘えるつもりは毛頭ない。
「分かってますよ。あの槇田商店を見れば。それに、ナゴミさんちの近くのコンビニでクルーを募集してるのは確認済みですから、私だって働きますよ。もしくは、槇田商店を再現するのも悪くないかなって思ったりもしてるんです」
運転中のナゴミさんの右手が伸びて来て、私の左手に触れた。そして左手をフニフニとつままれる。ナゴミさんの視線は前を向いているけれど、私のカタチを確認したいように思えた。これまで離れていた分、実体が本当にあるのだと。
「キラはなんでそんなに俺の言いたいことが分かっちゃうのかなぁ? ばあちゃんの駄菓子屋さんをもう一度やりたいなんて、言ったことないよね?」
その手を握り返すと、ナゴミさんもぎゅっと手のひらを握り返してくれる。
「ナゴミさんが大事にしたいものくらい分かりますよ。つ、つみゃ……ですから」
頑張ってみたつもりだったけれど、いざとなると照れくさく、噛んでしまった。
「ぶはっ! 噛んでるし!」
ナゴミさんが笑う。
「笑わなくてもいいじゃないですか! まだ慣れてないんですから! 結婚してるし、今更だけど、本物のナゴミさんに会えて緊張してるんです!」
私とナゴミさんは夫婦だ。だけど、会うのは二度目。緊張しない方がおかしい。
「うん。そうだよね。俺もテンション上がってて変だもん」
ナゴミさんはいつも通りのように見えるけど、それなりに緊張してくれているということなのだろう。
と、数少ない信号に引っかかり、車が止まった。
「ねぇ、キラ?」
「はい?」
ナゴミさんの方を見上げると、唇をついばむ軽いキス。一気に頬に熱が集まってくる。
「ナゴミさん!」
恥ずかしくなって反対を向く。
「ごめん! 家まで我慢しきれなくってさ」
天然なのか、わざとなのか、ナゴミさんの場合判断に困る。これも一緒に過ごす時間が長くなっていけば、分かるようになるのだろうか?
小さな空間でのやり取りを交わしながら、私とナゴミさんは「槇田商店」の前に到着した。それと同時にスマホから音楽が流れる。
この着メロ、大地だ!
大地はお兄ちゃんにスマホを買ってもらった。私といつでも連絡が取れるようにと。これまで父親らしいことを何もしてこなかったお兄ちゃんは、大地のスマホに家族の番号とアドレスだけを登録することを条件に、スマホを許可したと聞いている。
「もしもし?」
スマホを耳に当てると、大地の元気な声が聞こえた。
「ミツキ、そろそろ着いた? ナゴミさんに会えた?」
「うん。ちょうど今槇田商店に着いたとこ」
「やっぱりボロい?」
「そうだね。前と変わらないよ」
「えっと、あのさ、ミツキ?」
「何?」
「あのね、俺……」
そこで大地の声が遠くなる。代わりに聞こえてきたのはあの人の声だ。
「大地ってば寂しいのよ。ナゴミさんに光輝を取られたみたいで。大地が電話をかけてきても、二回に一回くらいは無視しちゃいなさい? でないと、ナゴミさんがヤキモチやいちゃうだろうから」
スマホの向こうで大地が「返してー」と騒いでいるのが聞こえる。
「ふふ。うん。そうする」
私が言うと、柔らかい声で「じゃあ」と通話を切ろうとする声。私は慌てて「母さん!」と呼びかけた。『母さん』は、11年ぶりに使う単語だ。自分で使っておきながら、ちょっとドキドキする。
「もう怒ってないから。大地とお兄ちゃんのこと、お願いね」
向こう側で息を吐く気配。
「分かってる。じゃあ、またね」
母さんの声がプツリと途切れ、そこで初めて私は、家から遠くに来たのだと実感した。懐かしいあの場所はもう遠くにある。だけど、今の私には分かっていた。ナゴミさんと離れて暮らしていても『家族』だったように、今まで通り向こうの家にいる人たちも私の『家族』なのだと。
槇田商店の家を見上げる。私はもうここで暮らすんだ。これからナゴミさんと二人で。
この間来たときと同じで、槇田商店は何も変わらず古いままだ。道に面したガラス戸の前でナゴミさんが煙草を吸っていた。私の電話が終わるのを待ってくれていたのだ。私が近づいて行くと、ナゴミさんがガラス戸を横に大きく開いた。
ガララララ……辺りに派手な音が響く。
先に一歩中へ入ったナゴミさんが振り向いて、私の方へぐっと手を差し出した。
「ようこそわが家へ!」
私は大きく頷いて、ナゴミさんの手をしっかりと掴んだ。
「俺たちが母星になる番だね」
ナゴミさんの言葉に、私は考える。母星は私だろうか? 衛星はナゴミさんだろうか? どっちが私? 悩んでいる私の考えを見透かすように、ナゴミさんが私の手を引いた。
「母星は交代でやって行こう! ね?」
どちらがと決めるのではなく、交代制で。もしくは順番制で母星になる。それがナゴミさんと私らしくて、おかしかった。
そして居間に入ろうとしているところで、ナゴミさんが何か思い出したらしい。
「そうそう、さっきも思ったんだけどさ。キラの家族って、俺の名前『ナゴミ』だと思い込んでるよね? それを近いうちに訂正しに行かなきゃ。ちゃんと挨拶だってしたいしさ」
「あーそう言えば、みんな『ナゴミさん』って呼んでますね」
「大地のヤツ、ネカマだって言いふらしてなければいいけど」
ムキになっているナゴミさんが愛しい。
私とナゴミさんは生まれたばかりの『家族』だ。これからいろんな回転をしながら母星を目指す。私とナゴミさんは上り口で靴と雪駄を脱ぎながら、いつか私たちの周りを回る衛星が出来たら最高だね! そんな話しを交わし、私たちは顔を見合わせて笑った。
遥かの家族 恵瑠 @eruneko0629
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