第2話 デイビットのお葬式

私もこの歳になるまで色々、結婚式やら葬式やらに参列させてもらったけれど、デイビッドの葬式ほど忘れがたいものはないわ。夫の時は逆に、殆ど記憶がないのだけれどね。

 デイビッドは「六ペンス亭」の前の持ち主、つまり初代オーナー。私が合法的にお酒を嗜めるような年齢になった頃、ふらりとこのスラウデン村にやってきて、目抜き通りの端に酒場を開いた。最もその頃、殆ど付き合いはなかった。当時は若い娘がパブリックハウスに出入りするなんて(少なくともこの村では)良い事とされていなかったし、それに私はすぐに結婚して村を出て行ったから。

 デイビッドと友人になったのは、私が夫を亡くして、出戻って来てからだったわ。

 実は私が彼の愛人なんじゃないかって噂もあったらしいけど、冗談じゃないわよ、あんなクソジジイ。最も向こうだって、俺にも好みがあると憤慨したでしょうけどね。いい歳して、いつまでも若いおねえちゃんが好きだったから。

 カマキリみたいに痩せた肩に、古いけれど仕立ての良い背広姿で、よぼよぼしながら死ぬまで、指で突いたらぺしゃんと潰れるマッチ箱みたいな酒場を切り回した。

 私が涙と共に飲み干した杯の数を、誰より知っていた人でしょうね。

 少々偏屈で、年を取るに連れてますます気難しくなったけれど、この村の名物みたいなジイ様だったわ。時には他人をムッとさせる、老人特有の無遠慮な発言だってあったけど、それも年寄りであるからという特権で、大目に見て貰える程度には、皆に愛されていたわ。

 葬儀には六ペンス亭の常連は殆ど顔を見せていた。でも誰も泣いてなんていなかったわ。誤解しないでね。ただ悲しみに暮れるどころじゃなかっただけ。

 あのエルヴァイラ婆さんのおかげでね。思い出す度に苦笑するわ。 

 あの婆さんがいなかったら、ごく普通に辛気くさい葬式だったでしょうね。でもデイビッドは湿っぽいことが大嫌いで、賑やかなことが大好きなプレイボーイだったから、あれはあれで意に叶っていたということかしら? そうね。そうでなければ、もう二十年も疎遠になっている実姉を、自分の葬式の喪主に指名なんてしないわよね。

 エルヴァイラは多分、年齢は九十に近い。ひどく小柄で背中も思い切り曲がっていたから、更に縮んで見えた。いかにも頑健そうな体つきだったから、百どころか二百くらいまで生きるのじゃないかしら?

 でもねえ、体はともかく、頭の方は半分以上妖精さん達の国に行ってしまっていたの。

 つまりボケてたってわけ。

「ちょっとエルシーじゃないの! あんたはまあ、どうしちゃったって言うの、そんなに太って。まあまあみっともないこと!」

 死人も棺桶から飛び起きて来そうな大声で、両脇を姪夫婦に支えられて登場したわ。目が覚めるようなエメラルドグリーンのスーツとお揃いの帽子を被ってね。ふふ、我らが女王陛下みたいなスタイルだったわ。

 エルシー、エルシーってしつこく呼びかけられて閉口している女性は、勿論真っ赤な他人。エルシーが誰かなんて知らないけど。ああでも、昔デイビッドが言っていた、末の妹がそんな名前だったような••••••。もう十年以上前に亡くなっているはずだけど。

 とにかく間違えられた女性はひどく不快そうな顔で。そりゃそうよね。人違いだけならともかく、目の前でデブ、デブ連呼されたのじゃあ。我が身と重ねて深く同情したわ。私は急いで二人の間に体を滑り込ませるようにして、婆さんを迎えたの。

 喪主は一応エルヴァイラ、ということにしてあったけど、この調子では花一つ注文出来ないので、全ての手配は私と、デイビッドの姪のスーが引き受けた。死んでしまった友人の為に出来る、せめてものことよ。自己満足かも知れないけれど、もう他に出来ることなんて何もないのだもの。

「まあエルヴァイラ。遠いところを良くいらしてくれたのね。嬉しいわ」

 私が誰かなんて、勿論分かっちゃいないでしょうけど、でも親愛の情はちゃんと感じてくれたのね。エルヴァイラは満更でもないふうで、私の抱擁を受け入れた。まるで童話に出て来る魔法使いの婆さんみたいだと思っていたけど、こうして近くで見ると、デイビッドに似ているわ。特に意志が強そうな鷲鼻と、強い光を宿した瞳がそっくりだったわ。

「それでスー、こちらの出で立ちは何としたこと?」

 私はこっそり、姪のスーの耳に囁いた。

「これでも私達努力したのよ! 何百回も言い聞かせたわ。信じて頂戴」

とスーは泣き出しそうな顔で訴えた。

「でも何を言っても伯母さんったら、今日は結婚式に招かれたんだって聞かないのよ••••••!」

「ああ、それであの素晴らしいご衣装なのね」

 私は納得してしまったわ。エルヴァイラ婆さんは、姪っ子の嘆きなど知ったことではないみたいで、目にもあざやかな色合いの帽子を被り直したり、手袋のボタンを嵌め直したり、とても楽しそうだったわ。ダークな色調の参列者の中で、それは華やかで、そうね、枯れ木に遊ぶ春の蝶のようだったわ。

「まあ、自分の結婚式だと思い込んでないだけ、私達は幸運よ。女王陛下のご訪問着なら、ダイアナルックのウェディングドレスより幾分まともですもの」

 七メートルもあるレースのベールを引きずって、ブーケを手に教会に乗り込んで来るエルヴァイラ婆さんを想像してしまって、笑っていいのか困っていいのか悩んだわ。

 それでもね、葬式や結婚式なんてのは、大体一人か二人は、少々常識を逸したのが混ざっているものよ。迷惑になりさえしなければ構わないと私は思うのだけど。

 エルヴァイラも始めの方は良かったの。一張羅を着てご機嫌な様子で、お行儀よく座っていた。でも段々退屈して来たのね。頭をグラグラ振りながら舟を漕ぎ出した。興奮し過ぎて疲れたのかもね。そのまま静かに寝ていてくれれば、誰の為にも幸せなことだったけど、残念なことに教会の高い天井にこだまするような大いびきをかき出した。

 牧師様も最初は聖職者らしく、気づいても居ないような顔をなさっていたけれど、あんまりやかましいので、お説教の声がどんどん大きくなって、お仕舞いには悲鳴みたいだったわ。

 エルヴァイラの隣に座ったスーは、何とか静かにさせようと、肩を揺すったり鼻を摘んだりしたのだけど、その度に婆さんが、

「グワッ!」

だの、

「ギュエッ」

だの、鶏を締めているような声をあげるのだもの。参っちゃったわ。いっそ濡れタオルで口を塞いで••••••。なんて怪しい誘惑に駆られた、っていうのはまあ、冗談だけど。

 間の悪いことに、賛美歌の合唱になって全員が起立したと同時に婆さん、バチッと目を覚ましてくれたわ。

「世のはじめさながらに、あさ日てり鳥うとう」

「夜の始めさながらに」私の大好きな賛美歌よ。それにおっかぶせるように婆さんは、少女のような甲高い声で訴えた。

「ねえ、ねえ。もう帰ろうよ、お母さん!」

 慌てて静かにさせようとする姪を、すっかり母親だと思い込んだのね。

「みことばわきいずる、きよきさち、つきせじ」

「お母さんってば、あたしもうこんなとこはイヤなんだってば! 帰ろうよ、帰ろうよ、帰ろうよ!」

と、地団駄踏み始めたわ。

「ね、静かにしてね。お願いだから••••••」

「やだやだやだ! 帰りたいんだよ、ねえ!」

 皆歌に集中して気づいてないような振りをしていたけど、内心振り返りたくてたまらないのを我慢していたわよ。

「エルヴァイラ伯母さん、あなたの弟のお葬式ですよ••••••!」

「私の弟? デイビッド?」

「そう。たった一人の弟でしょう? 静かに見送ってあげましょうね」

 でも婆さんはフンッと鼻を荒く鳴らしてソッポを向いた。

「大っ嫌いよ、あんなヤツ。嫌な子。ジョアンナの髪を鋏で切ったのよ。なのにお父さんもお母さんも、ちっとも叱ってくれないの。いっつも、いっつもあいつばっかり可愛がって! あんな子は死んじゃえ!」

 ああ、デイビッドったら。あなたが雲の上だか地の底だか、どこに居るのか知らないけど、今頃お腹を抱えて大笑いしている姿が目に浮かぶわ。悪趣味ね。自分のお葬式を自分でメチャクチャに引っ掻き回して面白がるなんて。あなたらしくってよ、全く!

 姪のスーはこっそり夫と目配せを交わして、伯母を両側から掬い上げるように立ち上がらせた。さすがにもう限界、と思ったのでしょうねえ。遅きに失した感があるけど。

 でもね、そのまま大人しく退場するような老人じゃなかったわ。扉の前で、いきなり二人の腕を振り払い、芝居がかった身振りでエメラルドグリーンの帽子を、続いて手袋を床に叩き付けた。

「あんたさえ居なかったら、私はあの人と結婚出来たのよ! よくも私の幸せを壊してくれたわね!」

と喉も裂けよとばかりに叫んだ。

 それからすぐに連れ出されて行ったけれど、もう何と言うかしら、お葬式の雰囲気じゃなくなってしまったのよね。おまけに担ぎ人が足を滑らせて、棺桶が転がり落ちそうになるし。

 その後のお振る舞いが終わり、家に帰った私は服も着替えずに、ワイングラスを片手に暖炉の前の椅子に座り込んだ。

 すっかりくたびれてしまったわ! ワインを一口飲んで、ふうーっと息を吐いて、ようやく笑えるくらいの元気が出て来たわ。

 本当にもう! 忘れられないお葬式になったのは確かね。

 思い返すとおかしくなって、声を立てて笑った。そして、私の目の端からすうっと熱い滴が零れ落ちた。

 あなたは嫌がるでしょうけれどね、デイビッド。残された私達にはね、涙を流す機会や場所、しめやかな空気、そんなものが必要で、そしてそれらを求める権利があるのよ。

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