第4話 改札入るまでここで見てるよ(葉月)

 何も言わずに、いつも通り、引きずられる自転車の音だけが二人の間に響く。

 あと何日、あと何回、こうして歩くことができるんだろうと想像する。このまま夏休みになって、秋はきっと陸は入試で忙しくて、冬が来たらすぐに年が明けて、三学期になってしまえばほとんど会えなくなって……。

 学校に行く日が減れば減るほど、一緒に歩ける日が減る。そして、卒業したらサヨナラだ。


「掃除当番、終わるまで待ってたんだ」

 ドキッとする。

 タイミングを合わせて帰っていることは暗黙の了解だったけれど、こうして「待ってた」なんて直接的に言われたことは一度もなかった。

「すれ違ったんだな」

「そうだね」

 そうだね、気持ちも、進路もすれ違いばかり。そうなんだ、陸といるなら沈黙も確かに気持ちがよかったけど、大切なことは言葉にして言えばよかったんだ。後悔ばかりで目が回りそう。


「……あの、言わなかったけど、いつも葉月が校門を出るのを見計らって……」

「……」

「見計らって、自転車で走ってきてた」

 かぁっと、頬が熱くなる。そんなことわかってたけど、今まで言われたことないし、それに何の意味があるのかわからないし。もし、わたしが望む通りの意味があるんだとしたら……例えそうだとしても、この先それに何の意味があるんだろう?


「でも卒業したら、そんな手間はなくなるでしょう? だって陸は――」

「……あのさ、葉月の進学先だけど」

「わたしは陸みたいに頭がいいわけじゃないから専門。親も無意味に短大に行くより、資格があった方がいいだろうって」

「その専門の場所は?」

「……津田沼」

「駅前の、大きなとこだよね?」

 それを確かめて何になるんだろうと、疑問でいっぱいになる。すべては今さらだ。

 わたしが陸と同じ大学には通えないように、陸だって、わたしと同じ学校には通えない。

「佐々木に聞いたんだ。間違ってなかった」

 陸は何かを納得した、という顔をした。まだ雨粒のついた稲の波が、風で大きくうねった。若々しい緑の、大きな波。


「上手く言えないけど……上手く言おうとしなければいいって言われたんだけど、つまり」

 陸はとても困った顔をしていた。彼が自分からこんなに自分のことを話すのを初めて聞いた。次の言葉を、よく耳を澄ませて待つ。

「つまり、津田沼でよかった。通り道だから」

「え? 東京は?」

「東京の大学に行くよ。でも一人暮らしはしないよ、金かかるし」

「え? 通うの?」

「そう、津田沼は通り道だから……つまり、卒業したらバラバラとかじゃなくて、葉月とはこれからも……」

 頭の中の情報処理が追いつかない。そうなの? 卒業してもバラバラにならなくていいの?


「卒業してもこんな風に二人の時間を作りたい。イヤなんだ、このまま終わるのは。葉月にとって、俺はしつこくつきまとう男なのかもしれないけど。……言葉にしないで一緒に歩いていても、なにも伝わらないんじゃないかってようやく決心がついて、それで……だから」

「何も喋らなくていい。いつも通り、隣にいてくれればそれでいいの」

「え?」

「卒業して、みんなバラバラになっちゃって、いい思い出になっちゃって、陸にはそれでいいのかと思ってた。東京に行っちゃって、今よりずっと都会に行って、刺激的なことがいっぱいあって」


 いつの間にかわたしたちは駅前まで着いてしまって、いつもは「じゃあ」と言って走り去る陸は、自転車のスタンドを立てた。

「たくさん話すのは苦手だからこれでよしておくよ。進学しても、時間が合わせられる日は一緒に通おう。 葉月と一緒にこれからもいたい。俺の気持ちはそうなんだけど、ダメかな? 俺は口下手すぎるから」

「……す」

「す?」

 息を一息に吸い込む。

 大事な言葉を口にするのは、こんなに難しいことだったんだ。今までぺらぺらと喋っていた自分がバカみたいに思えてくる。

 本当に大切なことしか口に出さない陸は、誠実だ。そしてそんなところをわたしは。


「すきです。陸のことが、多分、ずっと。しつこく、なんて思ってない。いつもあの坂を下りるたびに陸の自転車が下りてくるんじゃないかって待ってたの。なのに陸はバラバラに離れてもいいみたいに言うから、ああ、失恋したんだなって昨日は……」

 明らかに彼は困っていた。女の子に目の前で泣かれるなんて経験はそうそうないだろうし、口下手なら尚更だ。

「失恋したと思ったのは俺の方だよ。俺が東京に行ってもなんでもないんだって顔、葉月がするから」

「それは陸の進路を邪魔はできないから」


 沈黙。

 十年分くらい喋ってしまった気がする。まだ、ちゃんとした答えをもらっていないことを忘れてはいなかった。

「……つまり陸はわたしと同じ気持ちだって、思ってもいい?」

「好きじゃなくちゃ、毎日追い回したりしないよ」

 握手をした。大きくて厚い手のひらに、初めて触れた。これからもよろしく、お互いにそんな意味が込められているんじゃないかと思って、握られたその手をじっと見る。

 もう、これでこれから先ずっと一緒にいようという約束だ。

「じゃあ」

「うん」

「また明日」

 うん、とうなずいて前が見られない。どうしてこんな時に涙が出るんだろう? うれしいはずなのに? どうして?

「泣かないで、帰れなくなる。改札入るまで、ここで見てるよ」

 Suicaを手に持って、振り返りながら改札に向かう。彼はずっと、そこからは動かないというようにこっちをずっと見ていた。

 二番線に列車が到着すると、アナウンスが流れた。

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二十四時間の焦燥 月波結 @musubi-me

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