<<運動療法>>②お散歩
体操が終わると大抵庭に出て散歩をした。
庭と言っても実際には小さいので、散歩をするのもお庭をぐるぐる回るというものだった。昔は海が見えたという話もあったが、そちらの方向には今はクレーンが何台も働いているし、東の方向は木立。北の方角にはかろうじてイオンの巨大なショッピングモールが見える。
「あそこに買い物行きたいね」
「うん、買い物したい。思いっきりした~い!」
まぁ、お小遣いが月に1万円の身ですが(笑)。
足許は芝生で、何故かぼこぼこと穴が開いていた。どうももぐらか何かが大活躍しているらしい。
天気が良ければ、患者が室内に干した洗濯物を看護師さんが外に干し直してくれていた。私の洗濯物もよく見たが、入院中着ていたユニクロのブラトップは一見下着に見えないので平気平気。
その横の花壇には花が咲き乱れ、ナスやピーマンも植わっていた。ここで花の種をまいたり野菜を作ったりしたら楽しいだろうと思ったが、残念ながらここの病院のデイケア・プログラムに園芸はないようだった。
天気が良ければ午後にも散歩ができた。
「お庭に散歩している人がいるよ。私たちも行こうか」
と誰かが言い出す。看護師さんに散歩に行きたいと申し出ると、看護師さん1人につき患者2人という編成を作って体育館のドアから外に出る。
例によってしまいに目が回りかけるほどぐるぐるとお庭を回っていると、花壇の前に据えられたベンチで患者さんと看護師さんかお医者さんが1対1で座っているところをよく見かけた。
回って東の方に行くと、足許の芝生の中に大きなどんぐりが混じってくる。私は手のひら一杯拾って喜んだが、すぐに全部地に撒いた。
家へのお土産にしようと思ったのだが…何故か
「ここは聖地だから、どんなものでも持って帰ったら祟りがある」
そんな気がしたのだ。
この病院でストイックな生活をしている私は、時々ここが修道院か大きな寺社(福井県の永平寺とか)のように感じることがある。
庭はと言えば、あてもなくぐるぐる回っている行為がどうも沖縄のウタキ辺りでひっそり開かれているようなシャーマニズムな感じがするのだ。実際沖縄の離島で「島のものは小石といえども持って帰ってはいけません」なんて注意書きがあるところとか、あるし。
独りで歩いている患者さんは余り見なかった。そして大抵私の隣には誰かいた。
マララちゃん(似ていたので私がつけたニックネーム)と手をつないで大声で歌いながら歩くこともよくあった。
Fさんも、気がついたらよく隣にいる方であった。デパートの美容部員さんよろしく眉のカットが上手く、スッピンでもお化粧しているように見える美しい人で、私より年上のようだったが当時は新婚さんだった。
「退院したい。早く退院したいわ」
これが彼女の口癖だった。
「その内出られますよ」
そんな日はいつ来るんだろうと思う私はややうわの空で返事をするのが常だった。
ある日、彼女がまた
「退院したいなぁ」
と口にしたとき、自分でも予想外の言葉が私の口から出てきた。
「Fさん、もしかしたら私たちはここでの生活を続けて『退院したい』と思わなくなった頃に、初めて退院できるようになるのかもしれませんね」
Fさんはハッと息を呑むと、黙り込んでしまった。
私も「まずいっ、余計なことを言ってしまった!」と思った。さっきまで話が弾んでいた2人の間に重い雰囲気が流れる。
しかし、Fさんは顔を上げて、にっこり笑って言った。
「やっぱり、早く退院したい!!」
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