<<ごはんの時間>>
精神病院で一番辛いのはひもじいことだった。
病院の構造上、ご飯が厨房から一番早く運ばれてくるのは第1病棟のHCUである。
HCUの自分の部屋から廊下に出てみると、ご飯の時間の30分ほど前には、厨房から良い匂いが流れてきた。その30分がとにかく辛い。お腹すいた。
時間になると廊下のドアが開いて、お膳を一杯積み込んだ大きなワゴンがやってくる。
料理の内容やカロリーなどは患者さんによって違う。私のネームプレートには、
「1日1600キロカロリー」と
「糖尿食」
と書いてあった。
他の患者さんのお膳にも「カリウム」「オリゴ糖」「スプーン、粥」等と書いてある。この病院の患者数は少ないらしいのだが、こんなに一人ひとり注意を払って作っているのかと思うと、厨房の人は大変だなぁ。
本格的な入院は生まれて初めてだったので、隔離室では一人でご飯を食べる淋しさが一層身に沁みた。
毎朝牛乳が1パック添えられていたのも覚えている。
「イカのおすし」
の覚え方が書いてあったが、じゅりちゃんは中年オバさんなので、こんな難しいのは覚えられませんでした(笑)。
何故か解らないが一時ご飯が喉を通らなくなって、夕食の代わりに介護用アイスクリームというのを貰ったことがある。幸い(?)、物凄く美味しくはなかったので、また食べたいとは思わないが、その時の看護師さんの心遣いは胸に残っている。
甘いお菓子が食べられないので、ときどきデザートについてくる果物もありがたかった。でも、他の患者さんのお膳にはときどきついているヤクルトは羨ましかったなぁ…。
料理は大抵美味しいものだったが、まれに地雷もあった。主菜にタンドリーチキンはないだろ。おい。単品じゃご飯に合わんぞ。
あるとき、日によってはメニューが2種類あることに気づいた。和食と洋食。朝はパンとご飯。うわわ、パンケーキやフレンチトーストもあるの?
私はパンケーキとフレンチトーストが食べたくて、毎日献立表(ナース・ステーションの前に貼ってある)を見に行った。
なのに。
どちらの日も、私のご飯はいつも通り和食だった。ああ、がっかり。ていうか何故?
「献立が2種類ある日は選択食と言って2つのメニューの好きな方を選べるんだよ」
他の患者さんが教えてくれた。
「でも前日に予約しないといけないけどね」
ふむむ。私は食後お膳を下げるときに看護師さんにお願いした。
「じゅりさん? じゅりさんは選択食ないよ。糖尿病だからね」
と無慈悲な返事が帰ってきた…。
約1ヶ月半の入院生活で1度だけ私の朝食にトーストが出たことがある。
トーストを袋に入れ温めてある。冷めてパサパサしないようにという心遣いであろう。そこに苺ジャムが添えられていた。
糖尿病なぁ…。この病院でのメニューが糖尿病患者にとって理想的な食事なのだとしたら、私は一生フレンチトーストとパンケーキが食べられない運命なのだろうか。
もっとも、退院後はフレンチトーストの方はカロリー0の人工甘味料を使ってたまに作っちゃってるんだけど。あんまり厳密に禁止するのも逆効果な気がする。ヴォソ。
献立表にラーメンが載った日は、それはそれは胸がトキめいた。冷めないように運んで来られるのかな?とか、大外れの可能性も考えられたが、それでもやっぱりラーメンだ。私は毎日献立表のところに行き、ラーメンの文字が消えていたりしないかと確認したりしたものだった。選択食の日なのが多少不安だが、2種のメニューを見ると、ラーメンの方が約10㌔カロリー低いので、私にも勝算はあるように思えた。
当日。テーブルの上には先に取った人のお膳が並んでいる。麺を伸びさせないためか、峠の釜めしの容器に三脚をつけたような見慣れない入れ物が乗っていた。私もワクワクしながらワゴンのところに行って「じゅりです」と言ったら
「ハイ、じゅりさんはこれね」
え?
何ですか、これ?
あの、普通のご飯とおかずに見えるんですけど…。
デイルームの他のテーブルを見渡しても、私と同じ献立なのは2,3人…。
でも、仕方がないので私は出されたものを食べた。内心は、厨房への恨み骨髄である。
他のテーブルからはキャッキャキャッキャと歓声が聞こえる。惨め満載である。
折しも今日は火曜日、総回診であった。この頃の私は早く退院できるように良い子ちゃんになろうと心を入れ替えていたのだが、院長先生に
「ここの食事は美味しいでしょう」
と言われた瞬間、本音が大爆発してしまった(<<蕎麦打ち院長先生>>参照)。
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