<<洗濯大王>> ②第2病棟編
第2病棟に移ったら、
「ああ、洗濯? 自分でしていいよ」
と、自宅でいつも使っているヨーカドーブランドの洗剤をポンと渡されたので少し拍子抜けした。主人が差し入れてくれたものらしかった。第1病棟の看護師さんたちはこれ使って洗濯してたんだぁ。ともかく、これで好きな時に好きなだけ自分の洗濯を出来るのだと嬉しくてたまらなかった。洗い放題だ~!
洗濯機は男子用、女子用と分かれていて、使用が許される時間は9:30~19:30まで。前日に予約表に使用時間と名前を書いておくというルールだが、たまたま空いてて誰も予約していなかったら、使って良いことになっていた。
できるだけ長い間戸外に干したかったので、私は大体9:30に予約をしていた。海際にある幕張の気候では終日外干ししても完全に乾かないかもしれないと心配だったのだ。しかしまぁ17時くらいに洗濯物を取り込んで、仕上げに乾燥機に1回かければカラッとふわふわに乾いたので、そんなに朝一番に拘る必要もないようだった。
洗濯物を干すときにはナースステーションにひと声かけて、物干し場として使われている廊下の鍵を開けて貰う。天気が良ければ外に干す。
このときは看護師さんたちとの貴重なお喋りの時間でもあった。
「不思議なんだけど、じゅりさんみたいに毎日でも洗濯したい人とめったに洗濯をしなくなる人と2つに分かれるんだよね」
とか
「晴れてる日より、今日みたいに雨の日の方が患者さん皆洗濯したくなるみたいなんだよね」
とかが印象的だった。
ある時私が
「男性の患者さんも皆自分の洗濯を自分でやるんですか?」
と訊いたら、
「そうだよ」
という答えが帰ってきた。今まで自分で洗濯したことない人とかも多いだろうから大変だろうなぁ、患者男子。
天気が良くて外に洗濯物を干せるときは、看護師さんに「聴いてないことにしてて下さい」と断って、歌を歌う事もあった。この病院には音楽を聴く機会がないことが淋しかった。長い間カラオケにも行ってないので声がひっくり返ったりもしたが。
晴れた日、庭の散歩をしているとよく他の洗濯物に混じって自分の洗濯物が風にひるがえっているのをよく見かけた。下着が気にならないこともなかったが、私が病院で着ていたのはユニクロのブラトップでカジュアルな色とデザインなので浮かないで済んだ。
たまに洗濯をする時間が午後にしか取れないこともあった。しかしその場合は"夜干し"と称して、17時頃廊下に洗濯物を干し、一晩放っておけばパリッと乾いた。
私が毎日洗濯をするので、同室のYさんが面白がった。
「じゅりさん、洗濯好きよね。私もやってみようかしら」
Yさんは私より5歳くらい年上で、おっとりしていて神経細やかで頭の良い素敵な人。腰が曲がっちゃったり右手が麻痺したりなど、身体に症状が出ているので転倒防止にヘッドギアを着けて、前かがみになって歩行器や杖で移動している。
私はYさんを洗濯機のところまで連れて行って、実際にやってみせた。
「この乾燥機のスイッチの高さが私の手では届かないわねぇ。洗濯だけなら出来るかも」
Yさんは手を伸ばして言った。確かに腰が痛そうだ。
それでもYさんは私に洗濯機・乾燥機の使い方を簡単に訊いた。本当はそういうことは患者の自分がすべきではなく看護師さんのお仕事だけど、見学くらい良いよね! ね!
それと別にYさんが洗濯をしたことがない訳ではなく、洗濯機も乾燥機も私が見たところかなり新しい機種だったので。
しかしその後Yさんはがっかりして言った。
「売店で洗剤を見つけたけれど、10個入りパックのものしかなかったわ。あれは割高だわね」
聞いているこっちも胸が傷んだ。Yさんの面会人はご両親で、千葉とは離れた県に住んでいる。そう簡単に差し入れもできないだろう。また私は、主人のお陰で自分がいかに無邪気に豊かに暮らしている人間であることを思い知らされたのである。そりゃ、めったに洗濯しない患者さんも出てくるよねぇ…。
しかし結局Yさんは自分の洗濯を自分でするようになった。同室なので毎日Yさんと顔を合わせていたら、Yさんの姿勢が少しずつ良くなっていって、遂に乾燥機にも手が届くようになったのだった。腰を曲げた姿勢とヘッドギアのお陰で少しむくんだ顔をしていたYさんの頬や顎の線がどんどんすっきりとして、キリッと美しくなっていくのを私は朝顔の花が開くようだと思って見ていた。
同室といえば。第2病棟に引っ越してきて間もない頃。
ある日、乾燥機の中に乾いた洗濯物が入っているのに、いつまでたっても誰も取りに来ないことがあった。乾燥機の中の先人の洗濯物に触っちゃいけません。勝手に出して自分の洗濯物を突っ込むなどは論外です。
予約表に洗濯物の持ち主の名前が書いてあったので、デイルームに行って
「Hさんいますか~? 乾燥機終わりましたよ~!」
と叫んだ。
しかし居合わせた患者さんたちも首をひねるばかり。まぁ彼女たちも私もお互いの名前についてはしっかりと覚えてないのだけど。
「Hさんっていたっけ?」
「さぁ…覚えがない名前ね」
「もしかして私、何か余計なことしちゃいました?」
と私。
「ううん、全然いいのよ」
とMさんがとりなしてくれたが、後で調べたら、Hさんとは自閉気味で誰とも話さない女の子だったので病棟内に友達がおらず…というか、そもそも彼女は私の同室の人だった!!(恥)
こんな調子で退院するまで洗濯は私の友であった。
洗濯機・乾燥機のメーカがPanasonicなのが最後まで気に食わず、嫌なことがあったりすると「このくそパナ~!」こっそり八つ当たりの蹴りを入れたりもしたが。
それでも退院日には、妙に切なくなって、洗濯機のところに行って挨拶をしてナデナデしてきた。
その後Mさんと電話した時、
「じゅりさんって本当に洗濯好きだったよね~」
としみじみ言われた。
当時の第2病棟の看護師さんや患者仲間たちは、私というと絶対まず洗濯を思い浮かべるのだろうか…。
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