その時、天音 二菜は

「大丈夫か? 苦しくないか?」

「は、はひ、大丈夫です……」

「苦しいと思ったら言えよ、言わなきゃわかんないんだから」

「はひ……」


 頭のすぐ上から、先輩の声が降ってきます。

 現在、私は満員電車の中でドアに背中を預け、先輩の腕の中に囲われるような体勢になっていました。

 いわゆる、壁ドンというヤツです。 いえ、電車の中ですから、壁ドンと言っていいのかはわかりませんが……。


 はい、ヤバイです近いですドキドキしすぎて死にそうです死にます幸せすぎて死ぬ。



 ……事の発端は、今日はお父さんとお母さんが、私に会いに、こちらに帰ってくると言い出したことでした。

 頻繁に新しい生活はどうか、という連絡はしていたのですが、やはり久しぶりに会えるとなると嬉しいもので、今日をとても楽しみにしていました。

 私の大好きな先輩も、今日はお義父様とお義母様が帰ってこられる、ということで別行動になるのはちょっと寂しいですが……仕方ないですよね。


 ……はぁ、お父さんとお母さんに、先輩を紹介したかったなぁ……。



 正直、この前先輩にちゅーを迫って逃げられた日から、私はちょっと落ち込んでいました。

 勇気を振り絞って先輩に迫ったのに逃げられるなんて、私ってそんなに魅力ないのかなー……と……。


 でも! 

 くふふ! でも!!

 今日、私と目が合ったとき、ちょっと顔を赤くして目を逸らした先輩をみて、確信しました。

 ……私の事、ちょっとずつだけど意識してくれてる、と!!


 はー! 先輩好き! 先輩大好き!!

 もう好きすぎて死にそう! 死ぬ!

 先輩と手を繋いで歩いてるだけで幸せ!

 今! 世界で一番幸せなのは間違いなく私だって、声を大にして叫びたい!

 神様ありがとうございます、天音 二菜は、世界で一番の幸せものです……!


 と、さっきまで思っていました。



「きゃっ……」

「っと……大丈夫か?」


 電車が大きく揺れ、体勢を崩してしまった私は、思わず先輩の胸元にもたれかかってしまいました。

 そしてそれを、優しく片手で抱きとめてくれる先輩……。

 ひええ……近いですめっちゃ近いですめっちゃいい匂いします!

 はー、先輩の匂い好き……落ち着きます……。


「だ、大丈夫です……!」

「掴まるとこ欲しかったら、俺の腕に掴まっててもいいからな?」

「は、はいぃ……!」


 ヤバイです先輩が優しすぎます!

 先輩は普段、意地悪なこといっぱい言いますし、目つきも悪いですけど、こうやってさりげなく私を気遣ってくれるところがたまらなく好きです愛してます結婚してほしいです……!

 心臓がドキドキしすぎて破裂しそうですいえむしろもうするかもしれません。

 お父さん、お母さん、ごめんなさい……二菜は今日、ここで死ぬかもしれません……。


 先輩の腕をそっと掴み、ちらっと見上げると、まじめな顔で私を守ってくれる先輩の表情が見えました。

 ああ……好き……ちゅーしたい……!


 こうやって先輩に守ってもらうのは、実は2なんだけど……先輩、多分覚えてないんだろうなぁ。

 覚えてたら、初めて告白したときも、もっと違う態度だっただろうし……。

 はぁ、と溜息を零しそうになるも、それでも私はめげません。

 ようは最終的に、先輩が私を好きになってくれればそれでいいんです!

 私は負けません! 勝つまでは!!



 ……私が決意を新たにしたところで、電車がまたもや大きく揺れました。


「うわっ!」

「…………っ!」



 ――――心臓が、止まるかと思いました。



 流石の先輩も今回の揺れには耐え切れず、ドア側に押し付けられてしまいました。

 つまり、今の先輩は私を抱きしめるような状態なんです!

 あ、あわわ……何この幸せ天国! もしかしてこれは夢ですかー!!


「あ、あの、先輩……」

「ご、ごめん……立て直そうにも、ちょっとスペースなくて……もうちょっとだから我慢してくれ……」

「いえ、我慢というかご褒美というかもうこれ我慢しなくてもいいですよね私?」

「はぁ……?」


 流石にこの状態では、先輩の顔を見上げるわけにはいきません。

 先輩の怪訝そうな声が聞こえてきましたが、今どんな顔をしているんでしょう?

 ちょっとでも私を意識してくれてればいいなぁ……と思いながら、先輩の背中に手を回しました。


「お、おい二菜……」

「……くふふ! 先輩もつかまっていいって言いましたよねー?」

「いや、言ったけど…言ったけどお前これ……!」


 先輩に力いっぱいぎゅーっと抱きついて、絶対離れない! という意思を伝えます。

 今度はこんなアクシデントじゃなくて、先輩から抱きしめてもらえるよう、頑張りますね!


 終点まで残り、わずか3分。

 こうして私は、至福の時を過ごしたのでした……。


 * * *



 酷い目にあった。


 ただただ、酷い目にあった、それに尽きる。


 満員電車に乗ったのが悪かったのか、何が悪かったのか、それはわからない。

 分かることはただ一つ。


 明日からは、寺で修行をしよう。

 悟りだ、悟りを開くんだ。

 般若心経を唱えて、心を落ち着けられるよう、悟りを開くんだ……!


「先輩、なんか変な顔してますけど、どうしたんですか?」

「二菜……いや、なんでもない。 さぁ、行こうか」

「? はい……」


 怪訝な顔をしているが二菜、お前が悪いんだからな……!

 先日の夜からこっち、ペースを乱されっぱなしだ!

 落ち着け、落ち着いてああ、二菜の手って、ちっちゃくて柔らかいなぁ……って違う!


「そういえば、先輩はお義母様たちとどこで待ち合わせしてるんですか?」


 都合よく、二菜が話題を変えてくれたので助かった。

 これでいつもみたいにくっついてこられたら、危なかったかもしれない!

 早く、早く寺で修行しないと!


「うちは……中央改札出て、すぐのホテルわかる? あそこのロビーで待ち合わせだな」

「駅構内にあるあのホテルですか?」

「そうそう、二菜はどこまでいくんだ? この辺?」

「えっと……実は、うちも同じホテルに泊まってるみたいで……」

「え? 冗談とかじゃなく、本気で?」

「本気ですね……ほら」


 二菜が、母親からのメッセージを俺に見せてくる。

 確かに、表示された地図は、俺の目的地と同じ場所になっているが……。



 これは、明らかにおかしい。

 中央駅と言われるだけあり、この周辺にはホテルが多い。

 なんなら旅館もあるし、宿泊の選択肢は無数にあるのだ。

 それでいて、お互いの両親が同じホテルに泊まっているだと?


「お前、うちの母さんに何か吹き込んだか? 自分の両親の泊まるホテルとか」

「い、いえいえ! 私もどこに泊まってるのか聞いたの、昨日が初めてですし!」

「……ほんとか?」

「神様に誓って! 神様に誓って本当のことです!!」


 となると……偶然?

 本当に偶然か?


「まぁ……行ってみればわかるか……」

「でも、これで時間が合えばお互いの両親交えた顔合わせができますね!」

「いやいや、しないから」

「えー……先輩を未来の旦那様です♡ って紹介させてくださいよー!」

「せっかくのお申し出をいただきながら誠に残念ではございますが、このたびはご辞退させていただく所存です」

「もー! なんでですかー!!」


 なんでですかじゃないよ、嫌に決まってるだろそんなもん。

 本当に今日のこと、何か仕組んでるんじゃないだろうな?


 ……まぁでも、こいつが何もしていないって言うなら、本当にしていないんだろう。

 そのくらいは信じてやってもいいと、最近では思っている。


 し、信用しているからな、二菜……!!




 ――――その信用は、その後あっさりと裏切られることとなる。


「初めまして、君が藤代 一雪くんだね? 噂は娘からよくよく……! 聞いているよ……」

「ふふっ、二菜から毎日のように話を聞かされていたから、初めて会った気がしないわね」

「改めて初めまして、私が二菜の父の、天音 優二|(あまね ゆうじ)だ」

「母の、七菜可|(ななか)といいます。 ……よろしくね、一雪くん?」


 その横で、二菜がふるふると首を振り

「私じゃないです、私なにもしてません!」と訴えてきているが……。


 ……今日は俺が言ってもいいよな? 言っても許されるよな?

 なんでですかー! と……。


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