貴方が月が綺麗と言ったから

 特にやることもない午後の昼下がり。

 買い物に行くにもまだ日は高く、こんな時間に出るのは馬鹿のすることだ。


 という事で、俺たち二人は特に何をするでもなく、ぼーっ午後の時間を過ごしていた。

 いや、ぼーっとしているのは俺だけで、二菜は課題をしているんだけど。

 俺も課題、持ってくればよかったなぁ……。


「お前はほんと、まじめだよなぁ……そんなにコツコツやってたら、もう終わるんじゃないか?」

「? 何が終わるんですか?」

「課題だよ、夏休みの課題」

「課題なんて、もうとっくに終わってますけど?」

「マジかよ……じゃあ、今それは何をやってんの?」

「2学期からの履修内容の予習です」

「まじめか!」


 こいつ、夏休み始まってからうちに入り浸ってたのに、いつの間に終わらせたんだよ。

 いや、うちの部屋来ても、コツコツとやってたのは知ってるけど……。


「先輩は課題、どうですか?」

「まだ半分ってとこだなぁ……さすがにそんなに早くは終わらんて」

「それだけ終わってれば、私と遊びに行くのも問題なさそうですね!」

「もう遊びに行くのが決定事項だってのが怖い」

「くふふー、先輩って、口では色々言いますけど、きちんと付き合ってくれるから好きです♡」


 ……そうなんだよなぁ、なんやかんやと言いつつ、こいつの言うがままに遊びに付き合っちゃうんだよな。

 不思議と逆らえないというか、すっと隙間を突いてくるというか……不思議なヤツだ。


「はいはい、時間があればな」

「そんな事言いつつ、ちゃんと時間をとってくれる先輩が大好きです、付き合ってください!」

「ごめん、黙ってたけど俺……女の子と付き合うと、死ぬ病気なんだ」

「もー! なんですかそれー!!」


 はいはい、いつものいつもの。

 相変わらずブー垂れている二菜を置いておき、たまたま、近くにあった漫画コミックに手を伸ばした。

 ふーん、こういうのも読むんだな、こいつ……って、これ8巻じゃん!

 1巻からなら読もうかなと思ったんだけど。


「あ、先輩、それ読んじゃいますか?」

「んー、暇だしな……ダメだったか?」

「いえ、是非読んでください、それ私のオススメですから!」


 二菜のオススメか……それはなかなか、興味を引かれる言葉だ。


「わかった、出来たら1巻を貸して欲しいんだが……」

「1巻ですねー……あったあった、はい、先輩!」

「おー、さんきゅー」

「くふふ、読み終わったら、私とお話しましょうね!」

「面白かったらな」


 * * *



 その漫画は、端的に言えばよくあるラブコメものだった。


 高校入学を機に、ずっと憧れていた先輩へと想いを伝えようと、四苦八苦する、一つ年下の女の子が主役の物語だ。

 この子がどれだけ頑張って先輩に想いを伝えようとしても、なかなか届かない様子がじれじれとしていてもどかしい。

 そうこうしているうちに、先輩が隣の席の女の子とも仲良くしだして、それを見てしまった主人公がもやもやっとしだしたところ……で、最新刊が終わり……。


「ふぅ……」

「どうでしたか、先輩?」

「これだけ好意全開で迫られて、なぜ落ちないのか理解に苦しむ」

「ですよね? 先輩もそう思いますよね!?」


 そうなのだ、この先輩がまた、なんというか……何なんだこいつは! というか。

 流石に主人公も照れてしまうのか、面と向かって好きだのなんだのと言う様なことはないのだが、

 それでも体当たり気味の数々のアピールにも全く気がつかないのだ!


 実際こんな男、いるわけないだろ! と思ってしまうくらい、気がつかない。

 読んでる方とすれば、じれったいことこの上ない……!!


「ていうかここまで来ると、流石に主人公が可哀想だ」

「そうですよね、先輩もやっぱりそう思いますよね!?」

「これで先輩が隣の席の子と付き合いでもしたら、口汚いお便りを出すかもしれん」

「わかります……その気持ち、お察しします……っ!」

「もうちょっと主人公がいい思いしても言いと思うなぁ俺は……」

「私もそう思います……なので……」


 よいしょ、と二菜が体を動かして……


「くふふー! これくらいのご褒美、あってもいいですよねー?」


 あぐらをかく俺の膝に、頭を乗せてきた。


「おい、何やってんだお前」

「んー、くふふ、お気になさらずー!」

「気にするわ、つーか頭、重いし……」

「そこは幸せの重みってことで一つ、ご理解いただければ」

「なんだそりゃ……てか、なんで俺がお前に膝枕せにゃならんのだ」

「なんでって……ご褒美?」

「なんの!?」


 今の話の流れで、なぜ二菜にご褒美を与えなければいけないのか、これがわからない。

 あれ、今俺、漫画の話してたよね? ご褒美の話とか一つもしてないよね!?


「はー、ほんと……そういうところですよ、先輩!」

「お前が何を言っているのか、俺には分からない」

「わからないなら、先輩は黙って膝を貸してくれてればよいのです!」

「はぁ、それくらいなら別にいいけど……」

「あ、なでなでオプションをつけてくれてもいいんですよ?」


 やらねぇ。



 その後もなんやかんやと文句を言ってくる二菜を無視し、アイドルをシャンシャンさせているうち、いつのまにか二菜が俺の膝の上で眠ってしまったようだ。

 ゲームに集中していたので気付かなかったが、部屋の中も赤く染まっている。

 集中してシャンシャンしているうちに、結構な時間が経っていたらしい。


「もうこんな時間だったのか……おい二菜、そろそろ起きろ……」


 と、二菜を起こそうとしたところで、ぴたりと手が止まった。

 夕日に照らされ、赤く染まった二菜の顔がすぐ目の前にある。



 ――――天音 二菜は、正直なところ物凄く可愛い……黙っていれば、だが。



 そんな女の子が、俺の膝の上で、すぅ、すぅ、と規則正しく、一定のリズムで呼吸を繰り返し眠っている。

 立て膝で眠っていたせいだろう、スカートの裾がするすると落ち、普段そう見ることのない足が露になっていて……。


 無防備。


 その一言に尽きる状態だった。


「お前は俺に、いつもそういうところだって言うけどさぁ……」


 はぁ、と溜息を一つ零しながら、眠っている二菜の、柔らかそうで、少し潤んだ唇にそっと指を這わせる。


「俺から言わせれば、お前のそういうところのほうが、そういうところだぞって思うぞ」


 自分の部屋に男を連れ込んで、こんな風に無防備にうたた寝して。

 俺が何もしないって、本気で思ってんのかね、この能天気娘は。

 眠ってる今なら、何されたってわかんないだろうに。


 そっと頬に触れ、ふにふにと、その柔らかい感触を楽しむ。

 手触りのいい肌は、どれだけ触っていても飽きることはないんじゃないだろうか?


「まったく、襲ってくれって言ってるようなもんじゃないか」

「……襲ってもいいんですよ、先輩?」

「えっ」


 ぱちり、と開いた二菜の潤んだ、少し青みがかった瞳が、俺の視線と交わる。

 こいつ、起きてたのか……!


 自分の頬に添えられた俺の手に、二菜が自分の手を重ねてきた。

 俺の思考が、止まる。


「私は、先輩にだったら、何されてもいいんですよ……?」


 二菜が、俺に顔を寄せてくる。

 お互いの吐息がかかりそうな距離に、二菜の少し幼さの残る、端正な顔が近づいてくる。

 先ほどまで俺が撫でていた、潤んだ唇が、俺への愛の言葉を囁く。


「先輩、好き……私、本当に先輩のことが、好きなんです……」


 ――――そのまま、俺と二菜の影が交わり――――





 そうなところで、我に返った俺は、自分の部屋へと逃げこんだ。


 無理無理無理無理無理マジで無理だってないないない!

 ていうか俺も何流されそうになってんだよバカが!

 後ろから、「もー! なんでですかー! 先輩のへたれー!!」という叫びが聞こえたが、知ったことか!


 火照る顔を冷まそうとベランダに出ると、すでに月が顔を出していた。

 昼間の暑さはもうなく、夜風が俺の頬をなでる。


「はぁ……月が綺麗だ……」


 もう、どれだけ暑くても、二菜の部屋には行かない。

 固く決意した、夜だった……。


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