もしかして……先輩って……!?

 二菜に日焼け止めを塗るという試練を乗り越えた俺は、すでにぐったりとしていた。

 今日一日の精神力をすでに全て持っていかれたような状態だ。


 そんな俺は、浮き輪に掴まり、流れるプールを流れに身を任せ、同化するように漂っている。

 冷たい水が、火照った俺の頭を冷やしてくれて、とても気持ちがいい。

 流れに身を任せていると、だんだん眠くなってくるよね……。


 ――俺が掴まっている浮き輪の中に、誰もいなければ、であるが。


 まぁ、なんていうか。

 俺が掴まる浮き輪の中に入っているのはもちろん、天音 二菜である。

 ここで五百里が入っている事を期待したみなさんには、謝るしかない。

 あいつは今、音琴に連れられてウォータースライダーをループしている頃だろう。

 生きろ、五百里……。


「それで、お前はこんなところで何やってるんだ?」

「先輩と一緒に、流れに身を任せています」

「楽しいか?」

「とっても楽しいです、はい!」

「……さよか」


 二菜は浮き輪をくるくる回しながら、楽しそうな顔をしているので、本当に楽しいのだろう。

 ……一体、何が楽しいのだろうか? 俺には、よくわからん……。


「先輩は、楽しくないですか?」

「うーん……楽しいってより……眠くなってきた……」

「先輩はほんと……もう、どれだけ寝るつもりなんですか!」

「俺は隙があれば、いつでも寝れる男になりたい」


 特にここ最近は、誰かさんのせいでいやでも朝に早起きさせられるから、余計にな!


「むーっ! 私という彼女と一緒にいると言うのに!」

「お前を彼女にした覚えはねぇ」

「もーっ! ほんともーっ!!」


 怒りながらくるくると回り、俺に水をかけてくる二菜を持て余していると、プールサイドを一人で歩く、4、5歳位だろうか? 小さな女の子が目に入った。

 きょろきょろ、と周りを見渡しながら歩いており、明らかに挙動不審だ。

 こんなところであんな小さな子が一人歩いている状況に、なぜ誰も不思議に思わないのだろうか?


「あの子……」

「? 先輩、どうしたんですか?」

「悪いな、ちょっと五百里たちと合流しといてくれるか?」

「えっ、ちょっと、先輩?」

「いいな! 一人でフラフラしてるんじゃないぞ!」


 そういい残し、流れるプールを後にする。

 これだけ言ったんだ、それでも五百里たちと合流しなかったら、もう知らん。


 そうして、一人で歩く女の子に近づくと、小さく「ママ……」という声が聞こえてきた。

 やっぱり、迷子だったか……。

 本当なら親と一緒で楽しいはずのプールで一人きり、心細いだろう。

 俺は出来るだけ、優しげな声で女の子に話しかけ……


「どうしたんだ、迷子になったのか?」

「ふえ……」


 たら、泣かれそうになった。


 ――おいおいおい、初手から死んだわ俺。

 一人のいたいけな幼女に声を掛ける、高校生男子の事案発生である。

 監視員さんに連れて行かれ、夏休み明けから俺は犯罪者として見られるんだ……。

 すまん、父さん、母さん!


「――ね、どうしたの? 迷子になっちゃったの?」


 人生終了のお知らせの声が聞こえた俺に、天から降り立ったとしか思えない、どこか甘く、涼やかな声が届いた。

 思わず見上げた俺の目に映ったのはもちろん、二菜である。

 女の子は二菜の姿を見て安心したのか、こくり、と頷いた。

 俺のときと態度、違いすぎませんかね?


「そうなんだ、今日はママと来てたの?」

「うん……ママいないの……ママどこ……」

「ああ、泣かないで、ね? お姉ちゃんとこのお兄ちゃんとで、一緒にママ探そ?」

「うん……」

「先輩もほら、行きましょ?」

「お、おう、そうだな」


 二菜が女の子と手を繋いで、歩いていくのを急いで追いかける俺。


 どうしよう。

 俺が先に声を掛けたのに……俺、別に必要なくね?

 むしろ声掛けたら泣かれるとか、俺いた方がやばくない……?


「そうそう、お名前はなんていうの?」

「りんは、りんだよ」

「そっかーりんちゃんか! 可愛い名前だね! 今、何歳なの?」

「りんね、5さいになったの」

「うんうん、教えてくれてありがとう! 今日はママと、二人できたの?」

「おにーちゃんもきてるよ! でも、いなくなっちゃったの」


 ふむふむ、母親と兄と三人か。

 兄のほうがいくつかは分からないが、こっちも迷子になってる可能性があるな。

 というか、するすると情報を引き出す二菜の手腕が凄い。


「じゃあ、お前の兄ちゃんも探さないといけないかもな」

「りんは、りんだよ?」

「うん?」

「りんちゃん、名前で呼んで欲しいんですよ」

「そうか。 りんちゃん、お兄ちゃんとも手を繋ぐか?」

「うん!」


 りんちゃんが嬉しそうに、俺の手を取って、三人横並びの形になった。

 ふむ、地球人が宇宙人を連れ出す、あの例の構図だな。

 真ん中できゃっきゃと飛び跳ねるりんちゃんが、無邪気で可愛らしく、なんとなく微笑ましい気持ちになってしまう。

 飛び跳ねる動きに合わせて軽く持ち上げるようにしてやると、また嬉しそうに笑うのが可愛いのだ。


 そんな風にりんちゃんを見ていると、二菜がじとーっとした目を俺に向けてきた。

 おいおい、なんだその目は、不審者を見る目になってるぞ?


「先輩……いつまでも私に靡いてくれないと思ったら……ま、まさかりんちゃんみたいな小さい子が好きなんですか……?」

「……お前は俺を何だと思ってるんだ?」

「だって……先輩が自分から手を繋ごうって言うなんて……私だって言われたことないのに!」

「そうだっけ?」

「そうですよ! なんでですかやっぱり小さい子が好きなんですか!!」

「なんでりんちゃんにライバル心持ってんの?」


 小さい女の子と手を繋ぐくらいで騒ぎすぎだろう。

 確かにりんちゃんは可愛いが、あくまでそれは子供としたら、だ。


「おにーちゃん、りんがすきなの?」

「おー、そうだな、お兄ちゃんはりんちゃん好きだぞー」

「りんもね、おにーちゃんすきー!」

「はっはっはっ、そうかそうか!」

「むーっ! 先輩! 私の事ももちろん好きですよね!?」

「えっ……」

「もーっ! なんでですかー!!」


 りんちゃんも笑顔になってくれたな、よかったよかった。

 あとはお母さんたちを見つけるだけだが……さて、どこにいるのかね?



 後に、その光景を見ていた音琴 六花は語る。

 子供を真ん中に挟み、仲睦まじげに歩く三人。

 まるで、旦那さんを娘に取られそうになって嫉妬する、若い夫婦のようであった、と……。


 * * *



 三人で遊びながら探して歩いていると、暫くして無事にりんちゃんのお母さんとお兄ちゃんが見つかった。

 どうやら、お兄ちゃんの方が妹と一緒に歩いていると思っていたら、入り口付近で人混みに巻き込まれ、はぐれてしまったらしい。

 ごめんな、ごめんな、とりんちゃんに謝っている姿から、普段の仲のよさが伺える。


「本当にすみません、ありがとうございました……」

「いえいえ、早めに見つかってよかったです! ね、りんちゃん!」

「うん! おねーちゃん、ありがとー!」

「ふふっ、よかったね、ママが見つかって!」

「うん!」


 お母さんとお兄ちゃんの手をしっかり握り、満面の笑顔でお礼を言っているりんちゃんを見ると、

 あそこで声を掛けてよかったな、と心底思わされる。

 ま、まぁファーストコンタクトで泣かれそうになったのは、本気で困ったけど!


 ほんと、わざわざ来てくれた二菜には感謝しかないな……。


 何度もぺこぺこと頭をさげるりんちゃんのお母さんにも悪いのでそろそろ行こうか、となった時に、くいくい、とりんちゃんに手を引かれた。


「おにーちゃん、あのね、あのね……」

「うん、なんだいりんちゃん?」

「ないしょのおはなしがあるの!」

「内緒?」

「うん、おみみかして?」


 内緒ってなんだろう?

 子供の考えることはよくわからないなぁ……と腰をかがめると……。


 ちゅっ


 俺のほっぺたに、柔らかい感触が残った。

 目の前には、頬を桜色に染めた、りんちゃん……と、埴輪みたいな顔になってる、二菜の姿が……なんだそれ、美少女が台無しだぞ、お前。


「えへへ、おにーちゃん、ありがと!」

「おう、もう迷子になるなよ!」

「うん! ばいばい、おにーちゃん、おねーちゃん!」


 ぶんぶん、と手を振り、りんちゃん家族が離れていく。

 ふぅ、いい事をした後は気分がいい……。

 なぁ、お前もそう思うだろ、二菜?


「先輩が……先輩が女の子にほっぺたにちゅーされた……!」


 そして二菜は、全く違うことを考えていた。

 こいつは……ほんとこいつは!


「子供のしたことに何言ってんだか……」

「私だって一回もしたことないのに!!」

「逆に実はしてました、なんて言われなくて俺はほっとしてるよ」

「わかりました、じゃあ今からやらせてください! ちゅっちゅさせてください!」

「お気持ちだけ、ありがたく頂戴します」

「もー! なんでですかー!!」


 なんでですかといわれても、小さい子に対抗して言われたって何も嬉しくないだろ。

 ほんと、見た目はいいのに中身が残念な奴だ……。


「結構時間たっちゃったな、五百里たち探して昼にするか」

「むー! 誤魔化さないでくださいよぉ!」

「ほら、いくぞ」

「私だって……私だってこの夏にはきっと……!」


 最後に、二菜が何かを呟いていたが……きっと、ロクでもないことだろう。

 俺は首を振ると、二菜を連れ、その場を後にした。

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