それ、わざとやってますよね!?

「先輩、遊びに行くのはいいですけど、ちょっと待ってもらっていいですか?」


 二菜がそういいながら、カバンをごそごそとあさりだした。

 なんだろう、浮き輪でも膨らませろということだろうか?

 このクソ暑い中、あんなものを膨らませろとか、俺に死ねって言ってるの?

 そう思っていた俺に手渡されたもの、それは……。


「はい先輩、これ、お願いしますね♡」

「……一応聞くけど……何これ」

「見て分かるように日焼け止めです! 塗るの忘れてたんです、えへへ♡」

「それ絶対嘘だよね!?」


 だってあっちで、音琴は「日焼け止めは二菜ちゃんに塗ってもらった!」って言ってるし!

 音琴が自分だけ塗ってもらって、二菜は塗らないなんてありえないだろ!


「……てか、音琴に頼めよ……」

「あー、ごめん。 私そのクリーム使うと、手が荒れるのよねー」

「嘘付け音琴……!」


 わかりやすすぎる嘘をありがとう!

 そんなニヤニヤしながら言ったら、説得力の欠片もないぞ!

 こいつの場合は、分かってて言ってるんだろうけども!


「先輩……ダメですか? 塗ってもらえませんか……?」

「ぐぬ……!」


 いつも元気いっぱいな二菜が、上目遣いにたどたどしくお願いしてくる姿は、見ているとなんだか変な気分になってくるから困る。

 なんか知らないけど、頼みを引き受けてやらないといけない、って気分になるんだよなぁ……。

 ああ、顔が熱い。


「別にそれくらい、やってあげればいいじゃないか。それとも、天音さんの肌に触るのが恥ずかしいのかな?」

「あっ! そうなんですか! ……くふふ! 私の事、意識してくれてるんですね?」

「ばっ、そんなわけないだろ!」


 うるせぇ、めっちゃ意識してるわ!

 同年代の女の子の肌に直接触るとか、意識しない方が無理だろ。

 しかも相手は二菜だぞ、控えめに言って緊張して吐きそうになるっつーの!



「ほんと、一雪のヘタれさには私も涙が出るわ……」

「……なんだと?」

「だってそうでしょ、ちょっと背中に日焼け止め塗るくらいで、何緊張してんだか」


 やれやれ、と肩をすくめる仕草が音琴に妙に似合っていて、本当にイラっとくる。

 ていうか、俺を煽りに来ているのが丸分かりなんだよなぁ、そんな煽りに俺が釣られ


「ま、今後はヘタレで腰抜けな一雪には期待しちゃダメよ二菜ちゃん」

「……はぁ、先輩にはがっかりです、音琴先輩、日焼け止めどうすればいいでしょう……?」

「貸しなさい、ヘタれな一雪と違って、私がなんとかしてあげるわ」

「すいません、音琴先輩……」

「いいのよ二菜、私とあなたの仲じゃない……」

「音琴先輩……」

「二菜……」


 るわけないと思ったか?

 音琴、お前……言ってはならないことを言ったな!


「音琴! 誰が腰抜けだ……俺は誰にも腰抜けなんて言わせねぇ!」

「ふん、本当に腰抜けじゃないなら証明してみせなさいな、この日焼け止めで!」

「おお、やってやろうじゃねぇか、二菜! どうすればいいんだ!」

「くふふ! 先輩チョロい!」

「チョロいわね、一雪」

「え?」

「いえ、なんでもありません! じゃあうつ伏せになるんで、背中に塗ってください♡」


 二菜が満面の笑みを見せ、大喜びで寝転がる。

 そしてさらけ出された背中を見ると、後から押し寄せてくる「やってしまった」という思い。

 どうして煽られてると分かっていたのに、乗ってしまったのですか……どうして……。


「それでは、よろしくお願いします!」

「……おお……」


 その、あまりにも無防備な背中を前にして、思わず溜息を零してしまう。

 ……やるしかない。



 覚悟を決め、日焼け止めを掌に搾り出しながら、心に唱えるはあの言葉。

 煩悩退散、煩悩退散、煩悩退散……よし! 俺の中から煩悩は消えた!

 そして掌に出した日焼け止めを、二菜の背中に――


「ひゃんっ♡」

「!? へ、変な声出すなよ!」

「くふふ、だってー、先輩がー、えっちな触り方するからですよー?」

「し、してないだろ!? いい加減なこと言うな……!」

「くふふ! ほら、早く続き、塗ってください♡」

「うう……」


 俺は言われるがまま、肩の辺りから肩甲骨、腰の方へと手を進めていく。


「はぁっ……せんぱぁい……そこ、きもちいーです……」

「んんっ! ふあ……っ!」

「だ、だめぇ……先輩……そこ、気持ちいいよぉ……!」

「ちょっと黙っててくれる!?」


 背中に日焼け止め塗ってるだけだよな、俺!?

 途中途中に、二菜が艶っぽい変な声を出すものだから、本当に居た堪れない。

 わざとやってんじゃないだろうな、こいつ!


「くふふー、先輩の手、おっきくて温かくて……気持ちいーです……ずっと触っててもらいたいなぁ……」

「俺はもう、本気で勘弁して欲しいよ……精神がゴリゴリ削られる……」

「あっ、もうちょっと上……そうそう、そこのところ……」

「悪い、塗り残してたか」

「そこ、気持ちいのでもっと撫でてください!」

「日焼け止め塗ってるんだよな、俺!?」


 しかし、それにしても。

 二菜の背中は、どこを触ってもすべすべで手触りがよく、肌もキメ細やかで荒れているところも一切ない、綺麗な背中で、なんていうか……すごい。

 え、これタダで触ってもいいものなの? 後からお金請求されたりしない?

 なんか怖くなってきたんだけど!


「はぁ……先輩、好きです……私の彼氏さんになってください……」

「はいはい、そういうのはまた今度ね今はほんと勘弁してねマジで」

「なんでですかー……あっ……くふふ、でも、今日は余裕のなさそうな先輩が可愛いので、許してあげます♪」


 くそ……なんかほんと、いいようにあしらわれてるな、今日の俺!


 ……なんだか悔しくなってきた俺は、ふと思ってしまった。

 何か、こいつに仕返しをして一泡ふかせてやりたい、と。

 こいつにも、少しくらい恥ずかしい思いをさせてやりたい、と!


 そう思ったときには、もう止まらなかった。

 二菜のわきあたりからくびれにかけてを、触れるか触れないかのフェザータッチで、すーっと撫でるように指を動かし……。


「ふああっ…………!?」

「! な、なんて声出すんだよお前!?」


 び、びっくりした!

 さっきまでとは全然違う声だったぞ!?


 驚いて二菜を見るとぷるぷると震え、耳も赤く染まり、流石に今回は相当恥ずかしがっているのが伺え……。


 正直、やらかした、と思った。


 これはセクハラで訴えられてもおかしくない、父さん母さん、ごめん、俺はこの年でお縄につきます。

 慰謝料をたっぷり請求されるかもしれないけど、何年かかってでも返すから……!


 いや、その前にまずは謝って、許しを請うべきだ。

 今ならまだ笑って許してくれる、許してくれるといいな、との思いで二菜を見ると……。

 目を潤ませ、頬を桜色に染めた二菜と目が合った。


「せんぱい……」


 そしてその唇から零れ出る、甘い囁き。

 思わず息を呑んだ俺は、そのまま――――


「お、終わりだ終わり! これだけ塗ればもう十分だろ!」


 その場を終わらせることを選択した。

 待て落ち着け、変なことを考えるな、俺!

 煩悩退散、煩悩退散、煩悩退散!


「あ、はい、ありがとうございます……あの、先輩、前も」

「やるわけないでしょ何言ってんの!?」


 そこまで顔赤くして恥ずかしがってるのに、なんでさらに恥ずかしいことを言おうとするのか、これがわからない。

 俺がじゃあ、塗らせて貰おうかなげへへ、なんて言ったらどうするつもりなんだ?


「くふふ! ま、先輩はヘタレさんなので、塗るって言わないかなって!」

「こいつ……いつか絶対、泣かせてやるからな……!」

「あの、その時は……先輩のお部屋のベッドで、泣かせてくださいね?」

「ごめんなさい、この話もう終わらせてもいいですか?」


 なんか話の意味変わった空気感じたから!

 俺は頭を何度か振り、妙な考えを頭から追い出すようにする。

 すると、ニヤニヤとこちらを見ていた、五百里と音琴と目が合い……。


「何、ニヤニヤしてるんだよ、お前ら」

「いやー、ほんと君たち、仲いいなぁと思ってね」

「二菜ちゃんたらあんなに顔赤くして……ふふ、可愛いわね?」

「俺を見世物にして楽しむのは悪趣味だぞ!」


 俺は不貞腐れたように、視線をふいっと逸らすと、今度はこちらを見ていた二菜と目があった。


「……なんだよ」

「いえ、先輩とこうやって過ごせるの、すっごい幸せだなって」

「そういう恥ずかしいこと言うの、よくないと思う!」

「くふふ、本当のことですから!」


 どこにも視線をやれなくなった俺は、燦燦と輝く太陽を見て、思わず溜息をつくしかできなかった。

 ああ、今日の俺は、本当におかしい……。


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