△2五奔猪《ほんちょ》(あるいは、次元/トータル/クラメーションズ)


 ゼラチン質の巨大なハンマーで、後頭部辺りを殴られたような感覚……毎回毎回、この「暗黒空間」へと引き込まれる時は受け取る感覚が微妙に違うのだけれど、そんなことに意識を向けている場合じゃない。いや、え? ちょっと待って……


「……!!」


 「いつも」と違う。いつもなら真っ暗で、所々に星が瞬いているような、そんないかにもな「宇宙空間」だったのに。今は、昼間の公園の光景がそのまま真っ黒なフィルターを掛けられたようになって、ほぼほぼ見えないのだけれど、確かにそこには存在し続けている……視線の先にはそびえ立つ聖徳記念絵画館の威容もそのままで。


 重力もたぶん、いつも通りそのまま。「異質」。博士の言葉がまたいやな予感と共に思い浮かんでくる。イレギュラーなことが、確かに起こりつつあるんだ。様々に響いていた音は断ち切られたかのように消えて、辺りは静まりかえっているけど、一瞬後、引きずり込まれたんだろう、色々な人達のどよめき/ざわめきが「空間」内に反響してきた。それはいつものごく普通の反応と思われたんだけれど、その声の規模がやっぱりいつもと違う。


「お、多くないっ?」


 既に黄色いスーツに身を包んでいたナヤだったけど、いつもの「猛獣」感も忘れて驚きの声を上げている。いつもは私らを含めて「20人まで」、とかっちり決まっていた。そしてそれは将棋の初期陣形をモチーフにしているのだと思っていた。でも今、不安げに周りを見回したり、悲鳴を上げかけている人たちはどう見てもそれ以上、100人くらいはいるんじゃないかと思う。


「人が多いだけやないで。この盤……明らかに枡目多いやん」


 フウカ……緑色のスーツに身を包んでいるものの、その流麗な線を描くシルエットは、隠されているゆえに、かえって艶めかしさを増しておる……も周りを冷静に見やり、そう注意を促してくるけど。確かに盤上は広いし枡目も多い。それプラス、現実世界の建物とかその他構造物はそのままだから、枡目を区切る「白線」がその上を沿ってぐにゃぐにゃ曲がって展開していて、それはそれで気持ち悪い。そして遥か向こうに見える敵陣にも、大小様々な駒たちがひしめいているわけで、ああー、敵さんも百体くらいいる……やべえ……


〈『摩訶大々将棋』……それがモチーフと思われる。気を付けるのじゃ。こんなケースは初めて……敵の将軍級が出張ってきていてもおかしくはない……〉


 マスクの下に取り付けられたインカムを通して、カシキ博士の、呟くような言葉が漏れ出て来るのだけれど。「将軍」って何。とか思っていたら。


「フフフフ……フハハハハッ!! ようやくおびき寄せることが出来たようだ……『ダイショウギレンジャー』よッ!」


 いきなり馬鹿でかい声で、敵陣の真ん中に鎮座していた、ひときわ大きな明るい黄土色の『駒』が、そんなテンプレ気味の台詞のような言葉をこちらに叩きつけてくるのだけれど。そんな固有名詞で呼ばわられたの初めてー、のような、いまいち現況を咀嚼しきれていない私の思考が空回る中、響き渡る声も、おなじみのこれでもかの合成音声じゃない。壮年男性的な……自然な声の響きだ。いやそれよりも。


「……しゃべった」


 呆然とした感じでナヤがぽつり漏らす。そう。そう言や、喋るやつって初めて。イレギュラーにイレギュラーを重ねるこの場が……さらに濃密なヤバさに煮詰められていくような、先ほどからそんないやな予感しかしていない。


「……キミらの能力……我々が『進化』の過程で切り捨ててきた無用なる長物が……まさかそれほどまでの『力』を持つものだったとは、はっきり驚愕だよ。しかしその一方で……それらを再び『我ら』に組み込んだら? との興味が湧いたというわけだぁ……」


 粘つくような、不快指数の高い喋り方で、その「駒」はつらつらとこちらの理解の七割も及ばないことを述べてくるのだけれど。何か聞いたことあるような物言い……気のせいか。


 巨体を軋ませつつ、無防備に、何故かその身体の前で鉄骨感のある両腕を絡み合わせるように組んだまま、林立する駒たちの間をぬって、その巨体が私らの方へと、その金属パイプを組み合わせたかのような脚を使って歩み出してくる。その間、


「……」


 枡目の数は数えた。19×19。いつもの9×9からしたら2倍2倍で4倍の大きさのフィールドだけど、広さの違いってだけなら、どうってことは無い。駒数も……まあ見慣れない駒もたくさんいるけど、それはそれで対応していくまでだ。


 こちら側の人々も……うんまあ、今は大半が怯えたり警戒したりで、こちらを先手番側と仮定したら、「盤」の右下隅に集まってくれている。うまいこと「玉」の人も……人垣の中の方にいることを確認した。オッケー、図らずも大分硬めの囲いがもう形成されているっぽい。であれば、いきなり「玉」を取られてこちら陣営の敗北っていうような最悪のシナリオは避けられる、はず。


「……ていうか、誰」


 以上のことを速やかに確認した私は、盤上の中央まで出張ってきやがったその大柄の「駒」と3mくらいの間を取りながらも、果敢に進み出していく。そして震えないように気を付けながら、そんな言葉を返したのであった。喋る巨大駒は盤面中央くらいで立ち止まると、


「私は『鐵将てつしょう』。『八棋帝はちきてい』がひとり」


 組んでいた腕をほどいた。その下から現れたのは、何か見た事のない、書体も見慣れない「文字」だった。黄土色のボディ色に映える、艶めきのある漆黒色……実際本当の「漆」かも知れない。しかも美しい曲面を描きながら盛り上がっているよ……「盛上駒もりあげごま」とはまた最上級なやつが出て来たな……思考が定まらなくなってきた私はそんな場違いなことを思い浮かべているけど、その踊るような二文字は得も言われぬ迫力を持って、私らの眼前に突きつけられてきたのだった。


「てつしょう」……これまた聞き慣れない「駒名」だけど。そして「はちきてい」……どっかで聞いたことあるな……博士が言ってたんだっけ。まあそこはいい。敵の、強そうな奴、とだけの認識をしておけばいいか。それよりも、これほど人間的に「意思」を感じさせる相手が初めてなことが重要だ。重要かつ警戒しないとだ。と、


「……キミらのことは少し前から気になっていた。奔放なる指し手。縦横無尽に、自由に盤上で躍動するその姿を……」


 「鐵将」とやらの、紡ぎ出す言葉はあくまで穏やか。なんだけど、落ち着いた狂気、みたいなのを言葉の端々から感じ取ってしまい、私はマスクの下の顔を強張らせてしまう。いやいや、びびってる場合じゃない。


「私も試しに望んだッ!! ……その荒唐無稽なる『力』をッ!! そして得たのだ……想像力を具現化するこの混沌の世界で、新たなる『翼』を……」


 だんだんと陶酔入ってきちゃってるな。その徐々に常軌を逸し始めた物言いに、盤の隅で固まってざわめいていた人たちも静寂に包まれている。かくいう私ら三人も、醸されてくる異常な空気に呑まれてしまっている。あららまずいな……とか思っていたら。


「あんた、もしかして『人間』ちゃうん?」


 私の左隣から、そんな鼻から抜けるような言葉を出したのは、緑スーツのフウカだった。虚勢なのかも知れないけど、いつものペースを取り戻しつつあると、私はそう思った。一瞬以下の沈黙があって、「鐵将」がやけに低くざらつく言葉を響かせて来る。


「……いかにも。この社会に、世界に、阻害・疎外されて堕ちた、哀れな人間さぁ……」


 いよいよ狂気走ってきた。と思うや、その「鐵将」の五角形のボディの中央を縦に割る線が入る。そしてそれと垂直に交わるいくつかの線も。次の瞬間、小さな長方形に区切られたボディは上の方からウィィィンという機械音を発しながら割り開かれてきたんだけど。何だこの演出。


「……!!」


 呆然としてる私らを置いて、中から現れたのは、年齢の割には髪の毛が黒々と豊富な、壮年の男の不気味なほどに凪いだ笑顔だったのだけれど。いや、そのネジ外れているような表情よりも何よりも。


「阿久津先生ッ……!?」


 右隣のナヤが思わず叫ぶように放った言葉の通り、その人物は私もよく知っている、棋青舎の教師のひとり、いけすかない上から目線の粘着指導で多くの生徒たちから潔いほどに嫌われている阿久津であったわけで。


「……『先生』か。私をそう呼んでくれるのも君くらいのものだ、鬼砕おにくだきクン……」


 他人の空似とか、何かに操られているというようなことは無さそうだった。まごうことなき正気の阿久津が、完全狂気の出で立ちで、その上半身だけを晒しながらこの虚と実が重なり合って混ざり合ったような空間にいる……私らの、「敵」として。もぉう、混沌カオス過ぎて胃もたれを感じてしまうんだが。


「だが教師としての立場ももう終わる……もとよりそこまでの棋力しかない自分には、この辺りがこの世界、社会においては限界だった……しかし、これからは違う。『二次元人』として生まれ変わった私は、世界を司ることが出来る側の者へと、変わるのだからなあっ!!」


 阿久津の言ってることの二割も理解できなかった私だったけど、その本気度は対峙してるからか、その熱みたいなものが伝導率高く伝わってきてる。


 こいつ……こいつは「二次元人」へと自らを化してまで、この世界を「二次元人」で塗りつぶし飲み込むつもりだ。それは復讐のため、だろうか。私には何だかそんな気がしていた。将棋がすべての物を言う世界に対する、反抗。私も内心考えていたこともあったから、その気持ちは分かる。分かるけど。


「……それで世界を憎むってのは筋違いってもんやで、おっさん」


 私が言おうとするより速く、腰に両手を当てて立ちつくしていた左隣のフウカが、そんな達観しまくった言葉を涼やかに放つ。ぬうう、いいとこ取られたぁ……


「ははは、それで挑発してるつもりかい? まあいい。この『対局』にて、キミらを倒し、『大将棋』の力を宿し『戦士』3名をこちら陣営に補充させてもらう……世界を、皆が望む『将棋』で!! めでたく支配してやるのさ……」


 阿久津の時折痙攣まで見せる歪んだ笑みを、再び閉じていく「鐵将」のボディが、遮り閉じ込めていく。そのままその巨体は後退していくと、自らの「布陣」の最奥へと姿を消した。


「……ナヤ落ち着いて。この『対局』に勝てば、あいつも正気に戻るし」


 たぶん、という言葉は飲み込んでおいて、私は結構なショックを受けているナヤのスーツに包まれた背中を軽くさする。


「わかってる……っ。先生……私が助けますからっ」


 気合いは入ってるようだ。でもよくあんな高邁な教師を救おうと健気に考えられるね……と、私は表情に出さないままだけど、一方でこの100人を超える人たちが拉致られた状況を、どうにかしなくちゃとの想いはきっちり持っている。まあ……いつも通り、暴れ倒すだけなんだけれどね。


〈対局開始〉


 響き渡った音声は、いつものわざとらしい合成のやつだった。でもいつも通りということが、図らずも私を落ち着かせる。今回は相手も「摩訶何とか」なスケールアップした将棋だから、定跡も何も無いのだろう、ど真ん中の「歩兵」がぐいと一マス前進してきた。何かいつもの奴よりもきびきびとした動き……とか思っていたら、今度は向かって右端の歩が突き出て来た。着手ごとの「間」も短い……「一手二秒」くらいのかなりの早指しだ。やるってことね、こいつらは。


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