△1六角(あるいは、初戦/異空/ディメンション)
〈
前を走る老人の端末からそのような音声が放たれてくる。御苑の真ん中あたりだったと思うから、ここからなら走って1分もかからないと思うけど、「お手すき」は無いだろ。それにいつの間にか滑らかに喋りやがって、さっきまでこれでもかの機械音声だったじゃないかよ舐めてんのか……みたいな、このスーツ着てるからであろう好戦的な思いがぐるぐると頭の中を巡っている。
周りに人があんまりいなかったのが助かった。新緑萌える中での全身緋色のこの姿はさぞかし悪目立ち映えることだろう……と安堵のようなものを感じていると、いきなり視界が開ける。くりんとしたカーブを描く屋根のどこかオリエンタルな雰囲気の連なった東屋みたいな建物が姿を現した。ここが目的地か。私は少し乱れていた呼吸を、深くして落ち着こうとする。マスクが覆っているから息苦しそうとか思っていたけど、適度な酸素濃度が保たれているとでも言うのだろうか、息をするごとに何か、爽快になっていくような感覚。うん……合法だよね? 今吸ってるのって。いや、そんなことを気にしている場合じゃあない。
「『イド』とは……?」
先ほどから気になっていたその単語の意味を白衣の背に低く小さく投げかけると、は、はいっ、かいつまむと「二次元人」が湧いてくるワームホール的なものですっ、との即答が返ってきた。ふーん、そうやって出現してくるわけだ。
「『イド』の規模にもよりますが、だいたいが『38メートル×35メートル』の亜空間的なものがその場に展開されるのですじゃ……そしてその場にいた人間が有無を言わさず『対局』へと引きずり込まれると。ですので民間人になるべく被害が及ばなきよう、先回りして我らがレンジャー隊が『イド』の直近に待機して発生と共にブッ込んでいくと、そういった寸法なのですじゃ」
うーん、分かったような分からないような。それより、
「で?」
「え?」
「でどうすんのかって聞いてんだけど」
その「二次元人」とやらと戦うんだろうことは何となく分かっていた。でも丸腰ってことはないでしょう。何かこう、武器的なものとか飛び道具的なものとかあんでしょうよ。
「あ、ええと基本は盤上での肉弾戦と相成りますが……」
ああ? このうら若き美少女にそんな野卑っぽいことをやれと? 私の頭の中のイメージでは、いまだこう、魔法少女の振り回すカラフルなステッキ様のものからの謎の光で、敵を一網打尽にするビジョンが浮かんでいるんだけれど。
「動きもまあ、それぞれの『駒』に即した動きと相成ります」
そんなとこだけが将棋に忠実なの。何だっつうのよ。
「……」
まあもういいや。纏ったスーツのせいか、今までの溜まりに溜まった鬱憤のせいかは知らないけれど、今の私はやっぱりしこたま暴れたいという衝動に支配されているかのようであり。
「!!」
そんなふつふつと感情の昂りを肌で感じていたら、いきなり前方5mくらいの空間に、1mくらいの直径の「黒い球体」が現れたわけで。ブラックホールみたい……っていう形容はいささか陳腐か。でも(見た事ないけど)、中空にぽかり浮かんだそれは、極めてブラックなホールであったのであった……
「来ますじゃっ!!」
老人の緊迫感溢るる声は、相変わらずどの立ち位置のキャラ付けなのかいまいち分からなかったものの。身構える間もなく、その「黒球体」は弾けるようにその範囲を空間に拡げてくると、私と老人を呑み込んでいったのであった。何これやばくない。
薄い光すら感じさせないその暗闇に体ごと覆われたと思った瞬間、何か得体の知れない、硬いゼラチンの板みたいなものが、私の張りはあるのにある一点を通り過ぎると沈み込むような柔らかさを呈する唯一無二で発展途上の胸を貫いて通過したような、そんな奇妙な感触を知覚する。
完全に「無」、みたいな黒空間になったのはほんの一瞬で、私の視界の少し下の方を、青白いレーザービームのような細い光線が、縦横にえらい勢いで走っていく。それらは正確に直角に交わると、見慣れた「九×九」の枡目、将棋の盤面を形成していくのだった……先ほど老人が言っていた通り、その大きさは多分「38メートル×35メートル」の長方形くらいに思われる。ワイヤーのように張られた「光の線」でかたち作られた「将棋盤」が、空中に浮遊している私らの足元に出来上がったのだった。何これ何これ。
周囲は、暗黒空間に大小さまざまな星を散らしたかのような、まるで宇宙……私の脳がいい感じにキマって、こんな現実離れした像を脳内に結んでいるのか、それともやはりこれは「現実」なんだろうか。今の私には分からなかったし、分かる必要もないような気がしていた。これは多分、相手さんの
ヒィィ、マスクの上からでも、その狂気に彩られたヒト離れした表情が垣間見えるよ怖いよぉっ、と隣で顔をひきつらせた老人が慄くけど。そう言えば私らは「盤上」の空間にふよよと浮遊している。無重力……? いや、少しのGはあるみたいだ。ゆっくりと、水の中を沈んでいく時みたいに、体は少しづつ「底」であるところの「盤面」向けて降下していってる。
「……!!」
見えて来た。目指す敵さん達の姿が。「ワイヤー光線」で区切られた「枡目」の中に律儀にずらり並んでいるのは、クリーム色の等身大五角形物体、「二次元人」の群れだったわけで。玉将を最奥の真ん真ん中に。その両脇に金将、銀将、桂馬、香車と展開した、お馴染み見慣れた布陣。その二列前にはやはり歩兵たちが九体、一列に並んでいるけど、あれ? 飛車角いないじゃん。
「フフフフ……『二枚落ち』とは舐められたものですな、赤★フェニ殿……さらには最下級の『スタンピード』風情が相手とは……ククク、まあ所詮は初戦。ここはひとまずチュートリアル的なノリでさくりと済ませるに留めますかねえ、イィーヒッヒッヒッヒ」
どうもメンタルの立ち位置もふわふわしている老人が、一転狂気走った感じでのたまった言葉の3割も理解が及ばなかった私だけれど、「チュートリアル」とか身も蓋もないことを言うなっ。あと呼び名を珍妙に縮めんのもやめろっ。と私は浮遊したままさりげなく、その老人の隙だらけの左脇腹に、白いブーツの爪先を抉り突き刺すように放り込んでおく。いんぐベぇい、のような呻き声を上げて、白目のままそのガタイのいい老人は落下速度を速めて視界から遠ざかっていった。
足元に迫ってきた「枡目」からは、その向こうの宇宙空間然とした暗闇と無数の光点が窺えるのだけど、ガラスかアクリルでも張ってあるかのように、そこにすっくと降り立つことが出来た。途端に重力が戻ってきたかのような、下降するエレベーターが停止した時のような感覚が体に来る。
「……向こうは律儀に『一手30秒未満』で指してくるのですが、当然、こちらはそんなルールくそくらえですぞ!! 『二手指し』『三手指し』上等っ、本能の赴くまま、盤上を舞い駆け抜けなさいませ、お嬢様」
私の呼び名がいつまで経っても定まらない老人が、それでも幾分真面目な雰囲気を醸しながらそう告げてくるけど。そして、いつの間にかそのもじゃもじゃの灰色の髪を押さえつけるかのように、カチューシャのように、黒い金属然とした王冠のようなものが被せられているけど。その「王冠」に穿たれた文字は「玉将」。
うーん、つまりはこっちかたの最重要駒ってこと? 詰まされたら負けってこと? しかしてこちら側は私ら二人以外は寂寥とした枡目だけが並ぶばかりの暗黒。てことはうーんうーん、
「……」
マスクの下で真顔になるのが常態化しつつある私だが、かと言って「玉」をやられて敗北してしまったら。……確か「向こう陣営」に取り込まれちゃうんだよね……それもやだ。大きく息を吸い込む。呼吸するごとに視界がどんどんクリアになっていくことへの些かの不安感と、それを払拭するくらいの高揚感が私の真芯にかちりと嵌まり込んだ。
やるしかない。
〈対局開始〉
暗黒空間に響き渡ったのは、またも空々しいほどの機械じみた合成音声だったけど。そんなことを気に留めている場合じゃない。でもあれ? 意気込んで前に進もうとしたけれど、今いる枡目……私らを先手と見ると「6九」かな? ……から、ちょんと前に一歩、ひとマス進んだだけだった。え? 「鳳凰」でしょ? こんな機動力「歩」レベルってことはないでしょうよ。ついついその勇ましい名前から、飛車角の利きを併せ持った最強駒をイメージしていたのに。まさかこんなショボいの? 斜め右後ろに位置が移った老人の顔をきっ、と見据えるけど。
「ほほほ『鳳凰』はですぞっ!! 前後左右にはひとマスずつしか進めませんがぞッ!! 何と斜め四方には『二つ先』に飛べる……そう正に『飛翔』するが如く『跳ねる』ことの出来る華麗な『踊り駒』なのですぞっ!!」
何か弁解気味に老人が告げてきたけど。なるほど。斜め二コ先には、その間に敵味方の駒があっても、桂馬のように跳び越えていけると。何となくこの「鳳凰」の利きは分かった。そして自分に割り振られた駒の利きが、この奇天烈将棋空間においては絶対であるということも。
意識して深呼吸をしてみる。何度も。何度も。もともとしょっぱい棋力の私だ。序盤からあれこれ考えたところで詮無いこと、それは分かっている。それに最近では初っ端からどこか投げているかのような、そんな度し難いメンタルも持ち合わせている始末だ。でもこの奇想天外な「将棋空間」に放り込まれてからこっち、何と言うか、まっさらな気持ちで盤面に向かえているような気がしている。正確にはその盤面に立っておるのだけれど。
でも定跡すら分かって無かった子どもの頃、それでも毎日パパと盤面を挟んで駒を無心に、奔放に動かしながら対局してもらってたことを思い出していた。パパも私も盤面に集中しながらも、終始笑顔だった。楽しかった。今も暖かい光が当たっているかのような、そんな輝く思い出として、私の胸には残っている。
いろいろな将棋があってもいい。将棋は無限大だから。だからその無限の可能性を、ちょっとねじれたベクトルに放射したって、別にいいよね? だって……それもたぶん「将棋」だから。私は何かに照らされているかのような眩しさを感じつつ、正面を真っすぐに見据える。
「……」
よぉし。であれば。と、切り替えて「斜め」方向へ向けて私は進撃を開始する。「4六鳳凰」。まったくもって聞き慣れない指し手に、少し困惑するものの、だいぶ分かってきた。相手方は今ようやく初手「2二銀」を指してきたところ。のろいっ。
「『4五鳳凰』同じく『6三鳳凰』っ!!」
思わず自分の指し手を声に出してしまってるけど、この方が何となく気合いが乗る。「同じく」の使い方、間違ってるけど、これもこの方が語感の区切りが良くて、機敏に動ける気がするからこのまま行く。前後左右の動きと、斜め四方向への動き方の感覚がちょっと違うからストップ&ゴーみたいな制動を要求されるけど、慣れれば滑らかに動けそう。体を動かすことに関しては頭よりは遥かに優秀な私は、早くもこの「場」における身のこなし方を習得しつつある。何かいい、この感触。そして、
私の身体は下方への重力を受けてなお、軽々と「二つ斜め左前」の枡目へと空中で後方一回転一ひねりなんかをかましながら降り立つと同時に、そこにいた敵方の「歩兵」……間近で見て思い出した、「スタンプ駒」だ。懐かしい。日本に帰ってきて初めて買ってもらった駒だ。いやそれは今いいか……に、きりもみ気味の直下型ドロップキックを喰らわせる。
「ぅエクセレンツッ!! 素晴らしき指し手でござるぞぉっ、お嬢ッ!!」
遥か後方から、そんな浮世離れ走った老人の感極まった感のあるしゃがれた叫び声が聞こえてくるけど。ほんと口調は定まらないな。自陣最下段から四手で敵陣に取り付いた私。ここからなら「8一」にいる「桂馬」を「斜め飛び」にて討ち取れそう……とか思ってたら、その左斜め前に「右銀」がずいと迫り出て来た。私と斜めに向かい合うけど、私の方は利きが無いからこの場に留まることはイコール「相手に討ち取られる」ことを意味するわけで。
かといってその先の「桂馬」にも「銀」の利きが通ったからそこに行くわけにもいかない。敵さんは「一手三十秒未満」でのろく指してくるとは言ってたけど、相手方の利きのあるところに少しでも留まることは、何か気持ち悪い。万が一にも私は「取られる」わけにはいかないのだから。慌てて右隣のマスに移動しつつ、そこにぼんやりと(たぶん)突っ立っていた「歩」を右エルボーで即座に伸す。相手の「玉」とひとマス挟んで向かい合うかたちになったけど、わらわらと間に「金」二枚がしゃしゃり出てきやがった。金に横並びされちゃあ、さしもの「鳳凰」もちょっと手の出しようが無いのだけれど。
「……」
というか、将棋って駒同士の連携があって初めて成り立つものだし……そのことを今、改めて実感、いや体感させられているわけだけれど、「チュートリアル」じゃ全然ねえよ……相手の駒組みが終わったらもう打つ手無くなるんじゃないの……? との結構絶望的な思いが脳裏をよぎる。渾身の殺意を込めて後ろの老人を振り返りつつガンつけるものの、卑屈な笑みを浮かべるだけで、どうとも仕様がない。野郎……
「……!!」
そうこうする内に、「6三銀」から「7四歩」、と下から「歩」を支えつつ歩で攻めるといった、基本に則った反撃をかましてきやがった。老人はこの「対局」後にちょっときつめに締め上げるとして、とにかくこの窮状を打破しないと。私は右隣「6五」に横っ飛んで「歩」の眼前から身を交わすと、何とかないのと策を巡らすけれども。
ない。考えているうちにもどんどん向こうの駒たちの連携が増していくばかり。詰んだ……私の脳裏に浮かんだのは、そんな投了直前のような諦めの境地であったわけで……やっぱあの時逃げておけばよかった……パパママは今頃何してるだろう……自分の娘が「失踪」とかになったら、きっと気ぃ狂ったように探し回るだろうなあ……学校の皆とかどう思うだろう……「逃げた」とか、そんな風にも取られたりして、いや、そこまで誰も何も思わないか……友達って呼べるの、ナヤしかいないわけだし……私の脳裏に、いろいろな思いが走馬燈的に交錯してきたけど。
その時だった。
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