ガラケーとご主人さま

永久保セツナ

ガラケーとご主人さま(1話読み切り)

 今日、携帯を買い換えることにした。

 五、六年前に買った初代の携帯は、最近調子が悪く、買った店で相談したところ、修理よりも新しく買った方が安く済む、ということだった。

 一人暮らしをしている貧乏学生の身としては、安い方がいいに決まっている。

 私は早々に初代を見限った。

 ただ、アラーム機能は死んでいなかったので、目覚まし時計代わりにとっておくことにした。

 本当はそのまま店でリサイクルに回収してもらうべきだろうが、長い年月を共に過ごした相棒だ。なんとなく手放せなかった。

 店内に展示された携帯たちを、ぼんやり眺める。

 携帯の機能は、正直よくわからない。

 とりあえず、メールと電話ができて、安ければ何でもいい。

 そう伝えると、店員の方に苦笑された。……当り前か。

 色とりどりの携帯たちを流し見しながら歩いていくと、ふと『女性向けケータイ』と書かれたポップが目に入った。

 その前に立ち止まると、女性の店員が説明を始めた。

 ……カメラの画素数が多いとか、よくわからない説明が延々と続く。

 大半を聞き流したが、だいたいの内容は、一人暮らしの女性に嬉しい機能がついているということらしい。

 (……ん?)

 その女性向けケータイの品ぞろえの中に、一つだけ青い携帯があった。

 他の商品は、女性向けというだけあって、可愛らしいピンクやベージュ、青系でもせいぜい水色や黄緑など淡い色ばかりの中に、その携帯だけは本当に真っ青だった。

 その、女性向けらしくない反骨精神(?)が気に入った。

 店員にその携帯を買いたいと伝えると、心底嬉しそうな笑顔になった。

 値札の価格から見て、どうやら売れ残りだったようだ。そうか……反骨精神(?)が仇となっていたのか……。

 最新機種にも関わらず、他の女性向け携帯よりも二千円近く安い。初代の修理費よりも下回っている。これはもう、買うしかない、と思った。

 ありがとうございましたー、という店員の声を背に受けながら、私は携帯の入った箱を持って店を出た。箱は携帯本体よりも、取扱説明書の分厚さでずっしりと重かった。

 ――これが、私と『彼』の出会い、だった。


***


 昨日の買い物と、新しい携帯のカスタマイズで疲れた私は、試しに新しい携帯で目覚ましをセットしてから、布団に倒れこんでそのまま朝を迎えた。

 「……じん……ご主人……」

 誰かが私の体を揺さぶって起こそうとしている。なんだよ……もう少し寝かせてよ……。

 「ご主人! 六時ですよ! 朝の六時! ご主人が起こせと言った時間ですよ!」

 うるっさいなー……ご主人って誰だよ。私か? 私のことか?

 だいたい、私は一人暮らしだぞ。お前誰だよ。…………ん?

 『誰』?

 私は瞬時にガバッと起き上がって、布団をかぶったまま部屋のすみに後ずさった。

 「あ、やっと起きましたね」

 見知らぬ青年が、床に座ったまま私を見て微笑んだ。

 真っ青なスーツに水色のネクタイ、と書くと、ちょっと派手なサラリーマンのようだが、右目の部分に『F』と彫られた銀色の仮面をつけているので、普通の人ではないと分かる。仮面からはヘッドマイクというのか、小型のマイクが生えていて、その青年の口元に沿って曲がっている。前髪は真ん中で分けられていて、長い黒髪を後ろでポニーテールにしている。

 なんだ、この人。なんだ、その仮面。

 「どうかしましたか?」

 男は不思議そうに首をかしげる。いや、なんで私が不思議の対象にされるんだ。

 「えーっと、ウチにはお金はありませんが命だけは勘弁して下さい!」

 色々と聞きたいことはあったが、とりあえず言うべきことは言った。土下座までした。命は大事。

 「え? な、何やってるんですか? 顔を上げてください!」

 男はうろたえていた。いや、なんでアンタがうろたえるんだ。

 どうやら私を害する危険はないと判断して、恐る恐る質問してみた。

 「あの、あなたは誰ですか。どうやって入ってきたんですか。窓もドアも鍵は閉めたはずなんですが」

 そう、いくら疲れていても、私は昨日確かに鍵を閉めた。ゴミ捨てに行く時も、どんなに忙しい時でも、鍵をかけるのが習慣になっている。女性の一人暮らしは危ないから。

 おまけに、家の中にいるときは鍵をかけた上にチェーンだってつけているのだ。ピッキングで開けたとしても、普通は入れないはずなのだ。まさか、目の前のスマートな体型の男が力ずくでぶち破ったなど考えられない。

 「誰……ああ、すいません、申し遅れました。私の名は『FQ:0215』(エフキュー:ゼロニイチゴ)と申します。以後、お見知りおきを」

 男はそう言って、正座のままペコリとお辞儀をした。

 「え、えふきゅー……?」

 なんだ、コードネームか? この人は何らかの秘密組織の一員なのか? その組織は私に何の用なんだ?

 私は余計に混乱してきた。

 「どうやって入ってきたか、という質問ですが……私はご主人に連れられて入ってきましたよ?」

 「連れられて……?」

 私は知らない。こんな見た目から不審な人を連れてきた覚えはない。

 なんだろう、この人……ストーカー? 少し頭がおかしいんだろうか。顔は良いのにもったいない。

 そう、その若い男は格好はともかく、かなりの美形だった。銀色の左目が、じっとこちらを見ている。顔や口調は、とても優しそうな印象だ。

 私の不審者を見るような視線に気づいたらしく、そのエフキューなんたらさんは動揺しながらも口を開いた。

 「あの……もしかしてご主人は、お店の方からの説明は聞いていらっしゃらない……?」

 「店? 何のですか?」

 「FQ社直営の携帯ショップです」

 昨日、新しい携帯を買いに行った店のことらしい。FQ社……このエフキューなんたらさんも、その会社の関係者なんだろうか。

 「説明……聞き流してましたすいません殺さないで」

 「あ、いえ! 謝らなくて大丈夫です、取扱説明書にも書いてあるはずなので!」

 再び命乞いを始める私を、エフキューなんたらさんは慌てて止めてくれた。

 「取扱説明書?」

 顔を上げた私は首をかしげた。この男の人と取扱説明書に、一体何の関係があるというのか。

 「説明書、お借りしますね。……あ、ありました、二ページ目です」

 エフさん(面倒なので略した)は、携帯の説明書を開いて、そのページを私に見せた。

 『女性向けケータイ機能』と書かれたページが目に入る。私はページに目を通した。

 「えー、『FQシリーズをお買い上げいただき誠にありがとうございます。FQシリーズの女性向けケータイでは、女性に嬉しい機能が満載! なんと、ケータイがイケメンに変身するという、他社のケータイにはない最新機能です!』……」

 ……理解した。

 女性向けってこういうことかああああ……!

 「ご主人、説明書もお読みになっていませんでしたか……」

 「携帯って大抵どれも操作方法は同じような感じだから、読まなくてもいけると思って……っていうか、機能が最新すぎるだろうよFQ社……!」

 携帯電話が人に化けるって、最先端すぎるよ……! それもう妖怪レベルじゃないか……。

 「つまり、君は私が昨日買った携帯電話なんだね?」

 「はい、お買い上げありがとうございます!」

 エフさんは嬉しそうにニコニコ笑っている。

 ――このとき、私は返品するとは考えていなかった。どうせ開封したものは返品できないし、この人の形をした携帯と一緒にいたら、とても楽しい非日常が待っている気がした。結構見た目はかっこいいし。

 「私のことはどう呼んでくださってもかまいませんよ。私はご主人と呼ばせていただきます」

 と、エフが言った。

 「そうだね、エフキューなんたらは言いづらいし長いから、『エフ』で」

 「よろしくお願いします、ご主人」

 「うん、よろしく」

 ――こうして、新しい携帯との奇妙な生活が始まったのであった。

 「ところで、朝の六時に起こせと仰せつかったのですが、何か用事でもあったんですか?」

 「え? あ! ゴミ捨ての時間過ぎてる!」


***


 とりあえず今日は休日で用事がない(今朝のゴミ捨て以外は)ので、エフの説明書を読むことにした。

 「えっと、『FQシリーズは女性に人気のケータイです。イケメンに変身するだけでなく、防水、耐衝撃仕様。家事ができるので一人暮らしの方に重宝、もちろんご家族がいる家庭でもお手伝いさん感覚で大助かり! もちろん彼らはお金も食べ物も必要としないので、充電さえすればオーケーです!』……携帯らしからぬクオリティだね」

 『家事ができる携帯』なんてフレーズ、耳慣れなさすぎる。

 「最近は、携帯電話に多くの機能を付加すると売れるのだと、FQ社の方が言っていました」

 「そうだね、こんな機能がついてたら他社は勝てないね。……てか、どうやったら携帯が人に化けるの?」

 「それは企業機密です」

 「だよねえ」

 この機密が漏れたら、どの電話会社もこぞって真似するだろうしな……。

 「家事ができるってことは、料理とかも得意だったり?」

 「料理本やレシピなどがあればできますよ。作ってみましょうか?」

 ちょうどお昼時ですしね。

エフはにっこり微笑んだ。

 試しに何か作らせてみようと、本棚の料理本を漁る。

 「どうしようかなー。何か良さげなものは……」

 「別に、ご主人が食べたいものでいいですよ?」

 「いや、今食べたいのはラーメンだけど、そんなのインスタントで出来るからつまらないし」

 「……なるほど」

 しばらく料理本とにらみ合いをして、ようやく作ってもらう料理を決めた。

 「プレーンオムレツ」

 私は一言、そう言った。

 「……案外、一般的なのがきましたね」

 「いやー、私、あの卵でひき肉を包むのが苦手でさー。どうやっても上手くいかないの。ちょうど誰かのお手本を見たいと思ってたんだよね」

 「承知いたしました。では、その本をお借りします」

 エフは私から料理本を受け取ると、オムレツのページに目を通した。

 エフの目から光の線が出て、ページの上から下まで光線が通っていった。

 「うわ! 何それ!?」

 驚く私とは裏腹に、エフは私に本を返した。

 「ああ、私たちの目はカメラやスキャナの役割を持っているんです。今のは、この本のレシピや調理法を一通りスキャンさせていただきました」

 「へー、ハイテクだねえ」

 私は思わず、おばあちゃんのような言い方になってしまった。

 「ふふ、これでも最新機種ですから。台所お借りしますね」

 エフは嬉しそうに笑って、台所に向かっていった。

 ふむ、これはなかなか便利かもしれない。

 料理ができる携帯電話なんて、世の中進歩したものだ。

 問題は、何もかもをエフまかせにしたら、私は堕落してしまうかもしれない。

 あくまでエフは手伝いをさせる程度にとどめないといけないな。

 今後のエフのポジションについて考えていると、エフが台所からひょっこり出てきた。

 「あの、ご主人……」

 「ん? どしたの?」

 「大変申し訳ありませんが、冷蔵庫にプレーンオムレツの材料が不足しているようです」

 自分のせいでもないのに、エフは本当に申し訳なさそうに言った。

 「あー、最近買い物に行ってなかったからなー……何が足りない?」

 確か玉ねぎを切らしていたような気がする。まあ、玉ねぎくらいなら無くても……。

 「玉ねぎと卵とひき肉です」

 ……致命的に材料が足りなかった。

 「じゃあ、他の料理にするか……今、冷蔵庫に何が入ってる?」

 「何故かカップラーメンが入ってます。以上です」

 ……。

 「あー……この前、寝坊して慌てたときにやっちゃったのかな……」

 「この前って……最近、冷蔵庫を使ってなかったんですか……?」

 エフは、本気で心配そうな顔をして私を見ている。

 やめて……そんな可哀想なものを見る目でこっちを見ないで……。

 「……お昼食べてから買い物に行こうか」

 「そのお昼はどうなさいますか」

 「とりあえずカップラーメンで」


***


 「さて、買い物に行こうと思うんだけど」

 「お供します」

 お供。

 ああ、そうだよね。携帯なんだから一緒に連れていかないと……。

 「それが問題なんだよね」

 「何ですか?」

 「エフは携帯になれるんだよね?」

 「ええ、まあ、もともとが携帯電話ですから」

 「しかしイケメンともなると、隣に連れて歩きたいのもまた事実」

 「……半日ほど会話していて思いましたが、ご主人は面食いなんですね」

 「まあ、他人に迷惑をかけない程度には面食いだよ」

 顔の良い男はそりゃ大好きだよ。眼福だもの。

 「いや、しかし実益も兼ねているよ。買い物の荷物を半分持ってもらえると助かるしね」

 「わかりました。では参りましょうか」

 「その前に」

 「はい」

 「エフ……着替えようか」

 そう、半日エフと家で過ごしていて、うっかり慣れてしまっていたが、エフの格好は、あまり一般人とは言えない。

 携帯の色と同じ、真っ青なスーツ。少し目立つ(ちなみに顔の仮面は外せないらしい。人間時でも携帯と分かるようにとのFQ社の配慮だそうだ)。

 せめてもうちょっと何か……スーパーに行くのにふさわしい(?)服とか……。

 「申し訳ありませんが、私の服の着替えはこのスーツと全く同じ予備しかなくて……着せ替えは別売りとなります」

 「おのれFQ社……!」

 どんだけ商売上手なんだ。

 もちろん一人暮らしの女子大生の家に、男物の服などあるはずもなく。

 仕方なくエフの服はそのままで、近くのスーパーに一緒に買い物に出かけた。

 タイムセールの激戦区を遠巻きに見ながら、ガラ空きになっている他の安売りされている食材をカゴに詰める。いっぱいになったカゴはエフに持ってもらった。

 エフの格好のことで後ろ指を指されやしないかと心配していたのだが、スーパーの中で何度かFQシリーズと思われる片割れ仮面をつけた男性と、それを伴った女性の二人組とすれ違った。……みんな持ってるんだな、FQシリーズ。

 エフは「生まれて初めてスーパーに入りました」と、目を輝かせながら辺りをキョロキョロ見回していた。エフは、見た目の割に時々無垢な子供のようなところがあって微笑ましい。

 会計を済ませて、荷物を半分持とうとすると、「重いので駄目です」とエフが譲らないので、全部持ってもらって家に帰った。

 「いやー、荷物を持ってもらって助かったよ。悪いね」

 「お気になさらず。これで夕食にオムレツが作れますね」

 「オムレツ? あー、すっかり忘れてたや」

 「あはは……あ、その前にご主人、充電させていただいてもよろしいでしょうか」

 エフは、少し疲れているようだった。

 「あ、そうか、朝からずっと動いてたもんね。じゃあ、一旦携帯に戻ろうか。……どうやって戻すの?」

 「ああ、戻し方を教えていませんでしたね。では、手を」

 エフが促すままに、その手を握る。

 ボウ……とエフの体が淡く発光した。

 エフの体が光に包まれて、だんだん小さくなっていき、手の中に光がおさまる。

 発光が終わると、手の中に青い携帯が握られていた。

 「おおー……!」

 『私に携帯に戻す旨を伝えて、手を握っていただければ戻ります。では、充電お願いします』

 携帯の形になっても、会話はできるらしい。

 「あいよー」

 私はエフを充電スタンドに立てた。

 充電が終わるまで、授業の予習でもしておこう。

 そう思いながら、私は冷蔵庫に買った食材を詰めていった。


***


 「ごしゅじーん、朝ですよー。今日は大学のある日でしょー」

 翌朝、エフの声で目を覚ました。食卓には既に朝食が並んでいる。

 エフの料理はとても美味しい。昨日のオムレツも絶品だった。一人暮らしを始めたばかりの私ではかなわない。

 「うーん……料理の腕で携帯に負けるのはなんかシャクだけど、ここまで美味いと文句はないね」

 「おほめにあずかり光栄です」

 エフは真面目に返した。

 「さて、今日は大学なんだけど」

 「お供します」

 昨日と同じパターン。ただ、今回は。

 「お供は嬉しいんだけどね、大学は関係者しか入れないよ」

 「学生の携帯は関係者だと思いますよ」

 「携帯電話の形ならね」

 さすがに、構内に青色スーツの男がいたら目立つ。ものっそ目立つ。

 「ああ、なるほど。では、機械型に戻りますね」

 エフを携帯に戻してカバンに入れると、私は大学に行く準備を始めた。


***


 午前の授業が終わって、私は友人たちと食堂で昼食をとった。

 「みーたんのケータイ、FQシリーズに買い換えたんだ?」

 友人が私に言った。ちなみに私は周囲から『みーたん』と呼ばれている。

 「やっぱFQシリーズ買うよね? ケータイがイケメンになるって面白すぎるっしょ」

 友人たちはみんな、FQシリーズに買い換えたらしい。全員で携帯を取り出して、食事の終わったテーブルに置いた。

 ボウ、と、例の淡い光が友人たちの携帯を包み込んだ。光の中で、携帯たちが、モゾ、と動いている。光が消えると、小人サイズの青年たちがテーブルの上に起き上がっていた。

 「おお……!?」

 ちっちゃい。

 「FQシリーズって電話型と大人サイズと小人サイズになれるんだよー」

 みーたん、また説明書読んでないんでしょー、と、友人たちが笑う。

 『もちろん私も小人サイズになれますよ。やってみましょうか?』

 携帯電話の姿のまま、エフが私に話しかけた。

 「うん、やってみて」

 エフも、光に包まれて、電話から小人になった。

 「わ、みーたんのケータイめちゃくちゃカッコイイじゃん!」

 「すっご!」

 「これぞイケメンである!」

 友人たちは、エフを手に乗せて黄色い声を上げている。エフは驚きつつも、少し顔が赤くなっている。

 「すごいね、みーたん。当たりくじだよ。FQシリーズのケータイって一つ一つみんな顔が違うんだよ。人間みたいだよねー」

 人間『みたい』。

 そう、言動があまりに人間らしくてうっかり忘れそうになるが、エフは人間ではないのだ。この場合はアンドロイドというのだろうか。

 (まるで心があるみたいなのにね……)

 友人の手から下ろしてもらったエフは、友人たちの携帯と握手していた。

 「あ、そうだ、メルアド新しくしたから、送っとくよ」

 そう私が言うと、

 「大丈夫だよ。こうやってケータイ同士で握手すると、自動的に電話帳にアドレスが登録されるんだよー」

 と友人の一人が返した。

 「あはは、少しは説明書読みなよ、みーたん」

 昼休みが終わるまで談笑してから、私たちはそれぞれの授業に向かった。

 「ご主人、みーたん、なんて呼ばれてるんですね。そういえば、まだご主人のお名前を聞いていないんですが」

 「……名前は恥ずかしいから教えない」


***


 家に帰ってお茶を飲んでいると、大人サイズに戻ったエフが歩いてきた。

 「ご主人、メールが七件届いています」

 エフはそう言って、手紙を懐から七通取り出した。

 「メールって……この手紙?」

 「はい。私たちが人型になっているときは、メールは手紙の形で取り出せるんです。FQ社のコメントでは、『電子メールに苦手意識を持つ方にオススメ』とのことです」

 「面白いこと考えるね、FQ社……」

 人間に変身する携帯に、アナログなメールか……。

 「メールを書く際は市販の便せんに書いて、私が文面を電子メール化することで送信も可能です。また、電話の場合は黒電話、ネットの場合はテレビ型ディスプレイを取り出して使用が可能です」

 「君のスーツの中は異次元につながってんの?」

 面白すぎるよFQ社。

 「しかし、メール七件って随分来たな……誰から?」

 「ええと、三通ほど、ご友人の方々から届いています。四通は……――!?」

 友人から届いた三通を私に手渡したあと、残りのメールを見たエフが固まった。心なしか顔が赤い。

 「ん? どしたん?」

 「……」

 エフは私に背を向けて、手に持っていた四通の手紙を破き始めた。

 「え、ちょっ!? 何してんの!?」

 「い、いえ、あの……」

 エフは顔を真っ赤にしてうろたえている。破かれた手紙の切れ端に、アダルト系の広告が印刷されているのが目に入った。

 「……あー……なるほど」

 「め、迷惑メールだったので、削除しておきます。あと、受信拒否もしておきますので」

 エフは咳払いをすると、びりびりに破いた手紙を懐につっこんだ。

 「うん、頼むわ」

 私は苦笑いをしながら言った。

 「今日の夕食は何にいたしましょうか」

 「んー、今日はいいや。たまには自分で作らないと腕がなまるからね」

 そう言うと、エフは予想していなかったのか、ひどく驚いた様子だった。

 「え……あ、そうですか。じゃあ、えっと……お背中流しましょうか」

 「え!? いやいや、自分で洗えるよ!?」

 今度は私が驚く番だった。携帯と風呂に入るなんて聞いたことがない。だいたい、携帯とはいえ男性と風呂はちょっと。

 「あ、そ、そうですよね、すいません! で、では私は何をしたら……」

 「別に何もしなくてもいいよ? どうしたの、一体」

 エフの様子がおかしい。

 「私は携帯電話ですから、ご主人の役に立たなければいけないんです。ご主人のために何かしないと、不安で……」

 エフはうつむいて、悲しそうに言った。

 携帯ゆえの義務感ってやつか……。

 「たまには休んでもいいよ。私がやりたいって言ってることだし。というか、携帯は普通、料理とか風呂の手伝いとか仕事の範囲外でしょ。あんまり無理に仕事しなくていいんだよ。手伝ってほしいときは言うからさ」

 私は笑って言った。

 「そ、そうですか……」

 「うん、そう。エフは気張りすぎだよ。今日は私が腕をふるうからさ。ふっふっふ、私の料理の腕にひれ伏すがいい!」

 「まあ、私は食べれないんですけどね」

 「あ、そうだった!」

 エフと私は、笑いながら夕食の準備を始めたのだった。

 「ああっ、ご主人、鍋がふきこぼれてます!」

 「ぎゃー、包丁で指切った!」


***


 今日はバイトが遅くまであって、帰るのが深夜になってしまった。

 エフは電話型になって、カバンの中でおとなしくしている。

 「うー、さむ……」

 気温の低い中、街灯の少ない夜道を早足で歩いていく。

 ――後ろから、私とは別の足音が聞こえる。

 なんとなく嫌な予感がして、私は頭の中で人通りの多い道への最短ルートを計算していた。

 だんだん、後ろの足音が早くなって近づいてくる。

 そろそろ走ろうか、と思ったときには手で口をふさがれてしまっていた。

 「声、出すなよ」

 男の声が耳元で囁いた。……男の片手にはナイフが握られている。

 さて、どうしようか。

 私は生命の危機にかえって冷静になったが、かといって解決策は見つからない。

 その時、私のカバンから何かが飛び出した。

 「ご主人から離れろ!」

 エフが電話型から小人型になって、カバンの中から男の首元へ飛び出したのだ。

 男の首に噛みついたか何かしたらしく、「痛え!」と男が叫んで、私から手を離した。その隙をついて、私は男から距離をとる。

 エフはいつの間にか大人型になっていて、私を自分の後ろに隠した。

 「な、なんだテメエ! どっからわいた!?」

 FQシリーズを知らないらしく、男はエフに怒鳴った。

 エフにナイフが突きつけられる。

 「エフ!」

 「……大丈夫ですよ、ご主人」

 ナイフを握って突っ込んでくる男を、エフは軽く受け流して、背中に手刀を落とした。男は地面に腹から叩きつけられる。衝撃で手からナイフが落ちた。

 「うえ、ゲホッ……畜生!」

 男は起き上がって、ナイフも拾わず逃げ出した。

 「……もしもし、○○警察署でしょうか。通り魔です。場所は……」

 エフは、仮面についたヘッドマイクで警察に通報した。

 「……ふう。ご主人、お怪我は?」

 「あ……うん、大丈夫。ありがとう」

 「ご無事で何よりです。あとは警察の方がなんとかしてくださるでしょう」

 警官が到着して、エフと私は状況を説明して、地面に落ちていたナイフを警官に渡してから、家路についた。

 (あの時のエフ、ちょっとカッコ良かったなあ……)


***


 ある休日。

 「ご主人、この方はどなたですか?」

 エフが携帯電話を持って、私に尋ねた。

 『この方』……ああ、携帯同士、対等な関係だもんな……。

 「ああ、それは私が以前使ってた携帯。今も目覚ましに使ってるでしょ?」

 「あ、あのアラームはこの方が出していたんですね。……この方は人型にはなれないのですか?」

 エフが不思議そうに言うので、私はふき出しそうになった。

 「うん、人型にはなれない。というか、普通の携帯は人型になれないからね」

 そう、エフと一緒にいると、エフの特殊さを忘れそうになるが、人型になれる携帯はエフたちFQシリーズだけなのだ。

 初代の携帯を見つめながら、エフは口を開いた。

 「ご主人は、この方が壊れてしまったから、私をお買いになったんですよね」

 「うん、そうだね」

 「……もし、私が壊れたら、ご主人は私も買い換えてしまいますか?」

 私は思わず動きを止めた。

 携帯電話と、人間。

 機械と人間は、時間の流れ方があまりに違う。

 何年先かは分からないが、確実に私の寿命よりも早く、エフは壊れてしまうだろう。

 エフを見ると、初代を手に持ったまま、私を見ていた。

 感情が読めない、銀色の瞳。

 「……買い換えはする」

 「……」

 「買い換えはするけど、手放したりはしないよ。その携帯も……エフも」

 「! ……ご主人……!」

 エフは、ぱあっ、と音がしそうなほど顔が明るくなった。

 「嬉しいです、ありがとうございます、ご主人っ!」

 勢い余って、力いっぱい抱きつかれた。

 「私が壊れるまで、いっぱい想い出、作りましょうね!」

 「エフ、苦しい苦しい。死ぬ。私が壊れちゃうから」

 ――こうして、私と『彼』の楽しい非日常が続いていくのだった。


〈了〉 

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