第46話 日々


 数時間ほど睡眠をとり、ヘーゼンは再び研究室に閉じこもる。この2ヶ月間、ほぼ1日中の時間をここで過ごした。


 研究に没頭することで、すべてを忘れることができた。アルマナの人々のこと、ダーツやアムのこと……アイシャのこと。それを逃避だと認識できないほど未熟でもなかったが、


 ……なにより、楽しかった。


 なにか一つのことについて、研究することがこんなにも充実しているなんて。自分が軍に身を置きながら考えていたことを、じっくりと時間に追われずに検証できる。それは、ハイム家に飼われる屈辱を遥かに凌駕するほどの充実感だった。


「はぁ……お食事くらいまともにして下さい」


 そう言いながら、軽い朝食を、机の上に置く。


「……」


 ヘーゼンはなにも答えない。トイレ以外、研究室にこもりっきりだ。ゼーナも基本的に口を挟むことはしないが、さすがに見逃せないほどの生活ぶりだ。


「……お身体が心配です」


「光と闇」


 ポツリとヘーゼンがつぶやく。


「えっ?」


「……異なる属性は相反するものだ。しかし、それを同一に放出させることはできれば」


「そんなの無理ですよ」


 ぽそっとゼーナはつぶやく。


「……無理?」


「あっ、ごめんなさい」


 あまりにも自分の世界に入っているので、少し腹立ちまぎれに出てしまった。慌てて彼女は頭を下げて詫びる。


「そんなことより、なぜ無理だと思う? 聞かせてくれないか」


 興味深げに、ヘーゼンはゼーナの顔を覗き込む。


「えっ……だって火に水をかけたら消えちゃうでしょう? 闇に光を灯したら消えちゃいますよね」


 ゼーナもまた魔法使いである。むしろ、魔法については一般教養として叩き込まれるので、つい口を出してしまった格好だ。


 いや、むしろなぜそんなことで悩んでいるのかとゼーナにはまるでわからない。


 そんなものは魔法の初歩の初歩で習うものだ。いや、むしろ一般常識として『火で水は消えて、闇は光によって消える』と5歳児の子どもだって知っている。


「しかし、火と水の多属性魔法は成功している」


「そう言えばそうですね」


 嬉しそうにチョコンと椅子に座るゼーナ。ヘーゼンとの生活を続けて、ほとんど会話すらなかったので、話しかけてくれたこと自体に喜ぶ金髪ストレート美女。


「それは針の穴を通すような繊細さで出力されるから同居している。光と闇でもそれができれば……しかし、誰も実践したものはいない。属性魔法とは異なり、光と闇はどちらに偏るかによって非常に大きく左右される。その二つのバランスを寸分違わずに備えることのできる魔法が放つことができれば……」


「……」


「っと、ゼーナ。いつの間に?」


 フッと我に返ったように、ヘーゼンが気づく。


「……さっきまで話してたのに、今、気づいたんですか?」


「えっ、さっきまでいた?」


「もう……仕方ない人」


「す、すまない」


 そんなことを言い合いながら、ゼーナはフッと微笑む。最近わかってきたのは、この人がこんな人だってことだ。決して冷たいのではない。意図的に無視しているのでも。ただ、目の前のことに集中してしまうと、なにも頭に入らなくなってしまう人なのだと。


「朝食が冷めてしまいますから、早めに食べてください」


「たまには……一緒に食べようか?」


「えっ!? いいんですか?」


「…ああ。もちろん」


 そんな他愛のないことに、喜んでくれるゼーナに罪悪感が沸き起こる。最初の方の生活はどことなくよそよそしい態度をとってしまっていた。一方で、ゼーナは愚痴も言わずに、厳しい母コーデルの教育についていこうとすることも知っていた。


 彼女は人形のように冷たかったが、公平だった。弟のトーマスについても、たびたびゼーナに対してはなにもしてこなかったので、とりあえず守るような事態にもならないと判断した。


 ヘーゼンは、その間研究に没頭していた。それこそ、一心不乱に。1ヶ月が経過した時には、ハイム家の知識をほとんど吸収した天才魔法使い。一息をついた時に、ふと隣にはゼーナの存在があった。そんな彼女に対しても、自分はなにもしてやれていない。


「……明日、観劇でも見に行こうか?」


 食事の最中尋ねると、


「ほ、本当ですか!?」


 そう嬉しそうにするゼーナ。


「……ああ」


「楽しみです。絶対に明日ですよ」


「約束だ」


 ヘーゼンは微笑んで、人差し指をさしだす。


「はい!」


 嬉しく指を重ねるゼーナを眺めながら、こんな生活も悪くないと心の中で思い、優しくできなかったことを再び後悔する。


「ゆっくりと大事に行こう。時間は十分にあるのだから」

















 ヘーゼンは優しく優しく頭を撫でた。


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