第25話敗北


「はぁ……はぁ……フフ……フフフ」


 ニーヴェルトは地に伏していた。全身は血に塗れ、すでに立つ力もない。ただ、酷く心地好さそうに、笑っていた。


「はぁ……はぁ……なにがおかしい?」


 ヘーゼンは、息をきらしながら尋ねる。


「負けた……初めての敗北だ」


「……それで、なんで笑っている?」


「さあ……」


 そう答えた自身の気持ちは正直だった。その今にも尽きようとしている命にも関わらず、ニーヴェルトの心には陰鬱としたものは一つとしてない。


 武を志した時から、ひたすら実力を磨いてきた。負けるなどと微塵にも思わなかった。魔剣での研鑽も魔弩を仕込んだのも魔法使いとしてでなく、一人の武人として強くあろうとしたからだ。そうしなければ、戦場での死者が増える。自身の命以外のものを多分に背負うからこそ、あらゆる手段をもちいて強さを望んだ。


 しかし、目の前の魔法使いはどこまでも自分本意だ。自身が持つ魔法について、どこまでも傲慢で、どこまでも真っ直ぐだ。全てを魔法に懸け、それ以外の道を模索した者を断じる。それは、かつて道を違えた闇のゼルダゴと同じように。


 自らの敗北と共に、長年の疑問が晴れた。それは、自分にとっては清々しさを感じる。


「……お前にも家族がいるだろう?」


 そう尋ねられ、不意に妻のアイーダが脳内によぎる。しかし、すぐにそれを打ち消す。自分の惚れた女ならば、きっと強く生きるはずだと。


「私が殺してきた者たちにもいるさ」


「……この先皆殺しになる部下たちに申し訳なさはないのか?」


「私がいなくても、部下たちなら上手くやるさ。所詮は君は一人。多勢に無勢だ」


「……支配とは、尊敬と恐怖からなる。お前は誰からも尊敬をされた英雄であるかもしれない。しかし、部下を盲目的に信用するお前は、統率することを放棄している愚か者だ」


「……悲しいな。お前は誰も信頼しないんだな」


「そうやって、お前は死にに行け」


<<金の存在を 敵に 示せ>>ーー鋼の矢アイアン・エンブレム


 ヘーゼンの放った鋭利な刃は、ニーヴェルトの心臓に刺さり、やがて口から血を吹き出してこと切れた。


「……」


 紛れもなく強敵だった。一手でも間違えれば勝者が逆転するほど。大陸有数の実力を持つ武人への敬意と、脅威が去った安堵が同時に去来する。しかし、それも数秒のこと。すぐにヘーゼンは、戦場にその鋭い瞳を向ける。


「……そちらも片付いたようだな」


 立っていたのは、血だらけのダーツが一人。


「はぁ……はぁ……こっちは5人だぞ。不公平だ」


 親衛隊は、すでに跡形もなく消滅している。こちらも紛れもなく強敵だったことは疑いない。可能であれば、死体として処理したかったが、それだけの余裕もなかったのだろう。


「御託は、いい」


「ごっ……テメェ!」


「いいから早くやれ。それよりも、早くアムのところに行ってやりたいんじゃないのか?」


「そ、そ、そんなわけないだろう!?」


 これ見よがしに狼狽するミエミエ魔法使い。


「時間がない」


「くっ……最低野郎」


 そう言い捨てて。


「早く行け。こちらは残りを担当する」


 そう言いながら。


「さぁ、次だね」


<<愚者の咎を暴く 闇具を我に>>ーー死霊の鎌デス・ゲーズ


 闇魔法使いが唱えると、影から数々の不気味な道具が出現した。不穏な鋭利さを持つ刃物を、禍々しき道具箱から取り出す。それは、ヘーゼンが人体解剖を行う時の手術道具だった。


 満身創痍であると、偽物フェイクができない。あたかも、生きているかのように演出を加えないと、騙すことはできない。


 ヘーゼンは戦場で数えきれないほどの死体を暴いている。生きるため、自分の守るべき者を守るために。そう何度も何度も言い聞かせる。そのうち、それも必要なくなり、解剖それ自体に体温があがることはなくなった。


 人にされたことは、自分にされても仕方ない。それは、戦場の中でヘーゼンがひねり出した理屈だ。相手は殺しにかかってくるのだから、相手を殺してもいいはずだ。自分が死ねば、尊厳ごと暴かれるのだから、自分も尊厳を暴いてもいい。


 戦争初期の頃、震えていた手は、いつしか誰よりも精巧に動くようになった。周囲が見れば吐くような光景も、自らが進んでできるようになった。こんな風になりたくなかったなんて、いつしか思うこともなくなり、今ではそんなことを思っていたかどうかすら定かではない。


 そして。


「ニーヴェルト……死ぬということは、こう言うことなんだよ」


 仮面の魔法使いは静かにつぶやいた。

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