第13話 勧誘


 閉ざされた独房。そこには、窓すらなく一筋の光すら差さない。一切の情報が遮断された中で、すでに数日ほど過ごした戦場分析官シリルは、ひたすらその場に座り続けていた。


 カッカッカッ……


「大丈夫か?」


 螺旋階段を降りてきたのは、眉ひとつ動かさぬ感情自体を消したような表情をした男。視覚で見えるはずもないのだが、確かにシリルはヘーゼンを捉えた。


「……私を殺すんですか?」


 捕虜にされた時の訓練は重ねてある。この数日間、どのような目に遭っても対応していく準備はしてきたつもりだ。


「殺さない」


「なら、拷問を?」


「しないさ」


「ならば、なにを?」


「聞きたいことを聞かせてもらう」


 そう言いながら、ヘーゼンは指先を地面に向けて巧みに動かし印を描く。すると、教鞭に黒々とした光が宿り、地面にはその黒光で描かれた魔法陣が精製される。


「凄い……」


 思わず呟いたのはシリル。その迷いなく描きあげられる魔法陣には一片の躊躇いもない。五芒星を基調に、無駄なく洗練された象徴シンボルが練り上げられる。すでに、身体に染み付いているほど無駄のないその指先に老練な高位魔法使いの熟練を感じ取る。


 仕事柄多くの魔法を見続けていたが、これほど淀みのない印を見たのは初めてだった。


 黒髪の魔法使いの手が止まり、黒い稲妻の塊が魔法陣に駆け巡る。


<<その闇とともに 悪魔ベルセリウスを 召せ>>


 ポン


「シンフォちゃん……あの……お花がダメだったのかな。そうだよね、このお花……アレ……」


 5歳ほどの小柄な体格。黒く小さな翼が背中にちんまり。申し訳程度の牙がチラリ。そんな可愛らしい少年が出てきた。手には、黒い薔薇が一輪。


「相変わらずだね、ベルセリウス」


 召喚魔法。天使・悪魔・精霊との間に主従契約を結ぶことによって、異界より召喚する魔法。契約は各々の位階によって異なるが上位になるほどに契約内容の難度は上がる。


「おい、ヘーゼン……」


 そんな悪魔ベルセリウスは身体をプルプル震わせながら、ヘーゼンを睨む。


「どうした?」


「馬鹿――――! アホ――――――――――! 折角、シンフォちゃんと隣の席に……あと一歩で隣の席だったのに……全部台無しじゃないかよ。彼女の半径5メートルに近づくのに30年掛かったんだぞ」


「そ、それはすまない」


「なんで事前に予定確認できないのかなあんたは!? 僕だって暇じゃないんだよ。よりによって今日……今日この日この瞬間で。神がかり的なタイミングだよ神がかり的な」


 悪魔なのに、『神がかり的な』を連発するベルセリウス。


「次からは気をつける」


 厳密に言えば、召喚以外に悪魔との連絡手段はないので事前に予定の確認などできない。しかし、ヒステリックになっている子どもは適当にあしらうに限る。


「ふんっ……それで? 今日は?」


「この男だ」


 無表情でシリルの方を指差す。


「……相変わらず愛想がなくてダメだなヘーゼンは」


 ベルセリウスはフンと鼻を鳴らして目を瞑る。


『な、なんだこの子どもは?』


 その無邪気な声で、使い魔ベルセリウスが話始める。それは、腹話術のようにシリルの声質となり牢獄中に響く。


「なっ……」


『なんで私の言葉が……こ、こいつ……まさか……』


 ベルセリウスはシリルの言葉をトレースする。この悪魔は人の心を読む。悪魔の能力に名前は無いが、ヘーゼンは『糾弾ブレイム』と呼んでいる。


「さあ、この悪魔の能力はわかったな。じゃあ、答えてもらうぞ」


「ひっ……」


 シリルは怯えていた。


 この魔法使いに対しては、一片たりともごまかしはきかない。口を閉ざそうとも真実は白日の下へ晒され、たとえ生きて帰ってこれたとしても最早祖国には帰れない。


            ・・・


「さて……一通り情報は揃ったな。さて、君には祖国を裏切ってこちらについてもらう」


「……」


 この男に全て暴かれてしまった。


 シリルは孤児院出身の孤児だった。たまたま、魔法の才能があったことが幸いし、戦場貴族の養子として拾われることになる。養父にとって、シリルは自分の道具であり、情け容赦のない英才教育が施された。幾度、我が身の不幸を呪ったかわからないが、その養父も先月に死んだ。血がにじむような努力のおかげで、戦場では花形とされる戦場書記官として就任することができたし、これからの未来は明るいものだと思っていた。


「でも、それだけだろう?」


 ヘーゼンは残酷に問いかける。


「……」


 所詮は家族に愛情もない。国家に対する忠誠心も、大切な人もいない。命をかけるほどのなにかを、裏切らぬ理由もない。


 牢の鍵を開け、黒髪の魔法使いは背を向ける。それは、あまりにも無防備であった。もはや、シリルが彼側に立っていることはわかっていたから。


 いや、思えば出会ったときから、そのヘーゼンの姿に魅せられてえいたのかもしれない。彼をもっと見ていたい。彼のことをもっと知りたい。もっと……もっと…もっと…


「……ベルセリウス、もういいよ」


 心の声がだだ漏れで、ヘーゼンは急に苦々しげな声を発する。


「ヒヒッ、惚れられたね」


 からかう使い魔を半ば強引にかき消して、黒髪の魔法使いはある種警戒しながら振り向く。


「……言っておくが、僕にその気はないぞ」


「バッ……当たり前です! 私もそんな……だから、今思ったのはそう言った意味合いじゃなく、あくまで人間としてーー」


「……」


 そのあまりの必死さに。


 思わず顔を真っ赤にしているシリルに。


 ヘーゼンは思わずシリルから数歩身をひいた。

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