第9話 会談


 ヘーゼンは、その足で城の最奥にある戦略室へと入った。さすがは誇り高きサングリア公国軍の部屋とあって格式高い机や椅子が立ち並ぶ。かつては清掃も行き届いていたが、戦争が本格化した今ではホコリと汚れがいたるところに存在する。


 しかし、そんなものなど気にするべくもなく、総隊長デリクールはおそらく半年以上拭き掃除をしていないであろう机に、全身全霊でもたれかかっていた。


「おお、送別会は終わったか?」


「はい。滞りなく」


「嘘つけ」


 事もなげに答える黒髪魔法使いに、総隊長は苦笑いを浮かべる。どうせ、悪魔のようにゲルドを貶めたのだろう。


 相変わらず性格が悪い。


 デリクールとヘーゼンの仲は深い。かつて、デリクールは教師であり、その教え子こそがアム、ダーツ、そしてヘーゼンであった。そして彼が根回しをして、志願した3人をガナン隊長が率いる第8隊へと配属させた。


「しかし、いきなり隊長格に昇進とは思いきりましたね」


 この人事は非常に大きな抜擢である。ヘーゼンが軍に入って2年あまり。ほぼ新人と言っていいような者を三階級特進で任命するのだ。総隊長に独断での任命権があるとは言え、各部隊の隊長への根回しを十分に行ったのだろう。


「都合よく革新派のバジアーノが失脚したからな」


 保守派と呼ばれる筆頭が、軍部を掌握しているデリクールだが、内政においては旗色が悪かった。その筆頭がバジアーノと呼ばれる大臣だった。


「……いわゆる政治ですか。くだらない」


「慣れろよ。まあ、お前は軍など毛ほどの興味すらないんだろうがな」


「言っておくが粛清はしませんよ。派閥争いは真っ平御免だ」


「安心しろ、そんな気はないよ。お前は内部の抑止だ」


 この2年、サングリル公国は『仮面の悪魔』の実力は嫌という程耳にしてきた。そんな国家最強魔法使いが内部粛清の地位につくことこそが重要なのだとデリクールは理解する。


 そもそも、ヘーゼンが素直にそんな命令に従うとは思っていない。内部粛清などは愛国主義者や出世を求める者こそが請け負う仕事だ。、その目的にのみ行動している男である。出世欲もない、名声も興味はない、盲目的な愛国心のカケラもない。ただ、目に見える人々を愛しているだけなのだ。


 そう言う意味だと、ダーツやアムは愛国主義者だ。純粋にサングリル公国を愛し、国家としての自尊心を個人の自尊心とほぼ同義に置いている。彼ら自身家族を戦争で失った体験も、一層それを強固にした。そう言う意味であれば、ヘーゼンなどより彼らの方が特務隊としては優秀だ。


 ヘーゼン=ハイムという男には、国家という概念そのものが愚かに見えるほどの器があるとデリクールは算段する。


「お前もゲルドのような小物にいつまでも関わるなよ」


「……その小物に配属したのはどこのどいつですか?」


「はっはっはっ……俺は知らん。ガナンの権限だし。あんまりにも手に余ったんで、いっそお前の実力を考慮すらしないアホの下につかせたんだろう」


「ったく、あなたたちは本当に人が悪い」


 こっちが酷い目に合ってるのに、この二人はケタケタ笑って、酒の肴にするんだから。


「バランスだよ、バランス。腫れ物扱いされるよりマシだっただろうが」


「……ちぇ」


 その言葉には納得せざるを得ない。ヘーゼン=ハイムと言う魔法使いは異端だ。同じように扱えば周囲から浮き、誰もが特別扱いをする。


 デリクールが教師として配属された時もそうだった。彼は当時、どう考えても拷問としか思えないようなしごきをヘーゼンに強いた。不利な環境によって、多少なりとも生きづらくさせる。そうでなければ、ダーツ、アムのような友情関係は作れなかったかもしれない。


「……いや、しかし長かった。まったく、難儀なもんだな。あまりも、多くの血が流れすぎた」


 デリクールが軍に配属されて20年あまり。なりふり構わず軍人として上を目指してきた。『出世の亡者』と影で揶揄されても、上官に媚びへつらい、取り入り、汚濁も呑んできた。そうして、やっとのことで掴んだ軍部のトップでも、敵対勢力に対抗するために多くの時間を費やす始末だ。


「……」


「ヘーゼン、この戦を終わらせるぞ」


 やっと、準備が整った。他の隊も全て実力のある指揮官に上官をすげ替え、軍部としてはこれ以上ないほど強力になった。


「……どうやってですか?」


 反射的にヘーゼンは尋ねていた。


「停戦だ」


「バカな」


「いいか? 致命的な一撃。デルシャ王国に致命的な一撃を喰らわせるんだ。そうすれば、デルシャ王国との停戦の道も開けてくる」


「……」


 それは、ヘーゼンにとって限りなく不可能に聞こえる。


 この国はもう風前の灯だ。


「それまでになんとか民衆、王族、そのほかの重臣を説得しなければいけない」


「……」


 非戦を謳う悲劇の民衆など、劇場の公演でしかあり得ない。戦争を望むのは、軍人ではない。これは、紛れもない事実だ。それは、まるでチェスのように。さも、スポーツの応援に行くかのように。戦わぬ彼らは、劇でも始まったと言わんばかりに戦争に狂喜する。自分たちが苦境に晒されながら、これだけ自分たちが我慢しているのだからと、非戦を吐く軍人たちを臆病者とそしり、彼らを戦地へと駆り立てる。


「遅すぎますよ」


「まだ間に合う」


「はっ」


 思わずヘーゼンは鼻で笑った。どれだけの血が流れたと思っている。どれだけの親が、子が、友の血が流れたと思っている。もう、遅すぎる。絶対に民は納得しない。


「いや、ここまで耐えたからこそ、ここでしか打てない手だ。それができたら、一ヶ月の休みをやる」


「……軍からは解放してくれないんですか?」


「誰がするか。お前みたいな有望な魔法使いはもう現れん。俺は自分勝手な人間なんでな。お前もこの国を守りたいだろう?」


「……」


「しかし、お前が自由になった行く末を見てみたい気もするがな。お前がこの小さな国から解放されて、自由に生きていく姿を」


「……そんなのあり得ませんよ」


「だろうな。お前は戦友を捨てられないし、自分を育ててくれた人たちも捨てられない」


「……」


「だから、勝つぞこの戦い。逃げることも、戦うこともできない者たちのために」


「……はい」


 ヘーゼンは静かに頷いた。

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