第8話 鬼畜
「き、き、貴様ぁ!」
ゲルドは屈辱にまみれた表情を浮かべて、威嚇まぎれに唸る。
「これ以上は無駄会話で僕の読書時間を削ってもアレだから、次なにか反抗したら実力行使で行くぞ?」
「ぐっ……」
それを言われるとグウの音も出ない元上官。
実力行使は、困る。
そもそも、ヘーゼンはガナン隊長にその実力を買われて重要な戦場に投入されてきた。その理由は一つ。ヘーゼン=ハイムという魔法使いが有能で、これ以上ない武器だったからだ。それは当然ゲルドも承知している。天地がひっくり返っても自分が勝てない魔法使いに実力行使を迫れるのは、自殺行為以外のなにものでもない。
「わかったか? 実力でも勝負できない。人格もゲス。お前みたいなヤツが権威とかをひけらかすしかなかった事情はわからんでもない。でも、お前は僕に対してその権威すらなくなったんだから」
「……お、おい誰か! こんな男が三階級特進だぞ!? 納得できるのか? こんなふざけた男が……そんなの許されないだろう!?」
「「「……」」」
ゲルドの心からの叫びに、全員が沈黙を貫く。それは、同意したわけでも反発したわけでもない。単に傍観して状況を見守っている。
「いいも悪いもない。それが、軍人という生き物だろう? まあ、僕にとって代われる者がいるって言うなら喜んで譲るがね。お前のような無能とは違って、魔法使いとしての実力はあるから」
「……っ」
なんだ、この男は。
こんな物言いは、あまりにもひどい。ゲルドではなくても、この場にいる全員がそう確信する。
「こうした時間も無駄だから、そろそろ解散」
「な……勝手に俺の部下に指図するな!」
「はぁ。お前は、まだわかってないようだな……この人事で第8隊から格上げされた理由を」
「な、なんだと!?」
「対外だったら今まで通り第8隊長からの指示で十分だろう? 現にガナン隊長は優秀な男だ。無能なお前と違って、その指示にはなんの不満もなかったよ。では、なんで三階級特進なのか?」
「……」
「わからないか? 裏を読めよ。内部粛清に決まってるだろ」
「な、内部粛清?」
「僕も常々思っていたことだが、無能な部下は敵よりも厄介だと言うことだ。第8隊にいれば、その権限は限定的だ。しかし、同じ隊長格にしてしまえば、たとえ隊長でも部隊長でも粛清し放題だ」
黒髪の魔法使いは歪んだ笑顔を浮かべる。
「……っ」
思わずゲルドは胸ぐらを外し、数歩後ずさる。
こんな男を数分前まで、殴っていたのか? こんな男を数年間にもわたりいたぶり続けたのか? 部隊長は湧き起こる戦慄を抑えることができなかった。
「やっとその小さな脳みそでも理解したようだな。僕はこれからお前の上官であるガナン隊長の推薦を受けて、デリクール総隊長の側近になるんだ。ゲルド、とりあえずはお前の腐った人格から捜査して、一生独房にでも入っててもらうか? 悔い改めるまで一生な。それとも、この世からいなくなるまで、徹底的に追い詰めてやろうか?」
「……」
漆黒の瞳に見つめられて。
身の毛のよだつような、尋常でない瞳に。
脂汗が止まらない。
巻き起こる悪寒を抑えきれない。
「返事は?」
「……」
ゲルドは無言を貫く。
返事などはできない。
「……もう一度言うぞ。これが、最後だ。返事は?」
「……ぁい」
小さな声で。
本当に小さな蚊の鳴くような声で返事をするゲルド。
「聞こえないな? お前は部下がそんな返事をしたら何度も殴ってたじゃないか。嫌な命令でも従うのが軍人の仕事だろう?」
「……はい」
ゲルドの身体中がうち震えている。もう、泣きそう。これ以上ない屈辱の屈辱の屈辱。もう一生分の屈辱を味わったのではないかと思う落ちぶれ部隊長。
「よし。じゃあ、僕はこれから内示を受けにいくから。ダーツ。特務隊になるお前も部隊長格な訳だから、同じ階級同士、親交を深めてくれ」
「えっ……お、俺!?」
ヘーゼンは満面の笑顔で、言外に恨みを晴らせと言う。ダーツもまた、そんな想いもなくもないが、さっきまでの追い込みがあまりにもエゲツなさ過ぎて、多少同情し始めている実は気のいいボサボサ頭魔法使いである。
「ふ、ふざけるな!」
「……な?」
「……っ。ふ、ふざけないでください」
慣れない敬語を使いながら、ゲルドは一欠片の自尊心を胸に抱いて反論する。
「まあ、せいぜい親交を深めることだな。僕の見立てでは、魔法使いとしてお前はこの部隊で48番目だよ。だから、まずお前は、まあまあ有能であるダーツに自分の無能を自覚させてもらうことから始めろ」
容赦なくそう言い放ち、爽やかな顔で肩をポンポン叩く。
「……え、ええええ?」
そ、その役目俺? とダーツがすごく、複雑な顔をする。
「……」
「納得いかないようだったら一度、実戦で実力を確認し合ってみろよ。ダーツ、じゃあよろしくな」
「あ、ああ」
絶望にくれるゲルドには一瞥もくれず、ヘーゼンは宿舎から出て行った。
去り際「私ともぜひ親交を」というアムの性悪な声が響き渡っていた。
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