悪夢

青獅子

第1話




「明日香さん、お先に失礼します〜」




社員。いや、アニメーターの一人が私に挨拶をする。私が新しく入ったこのアニメーション制作会社では年齢や何年会社に勤めたかなどは関係なく下の名前で互いを呼ぶルールになっている。これも厳しい作業と仕事内容の中、社員の間の仲を縮めるための対策らしい。




「はい康太くん、さようなら〜また明日ね」




私はできる限りの爽やかな笑顔を彼に向け、挨拶を返した。この部屋で爽やかな気分のまま仕事に勤めている人なんて一人もいないというのに。




「はぁ…今日も疲れたな…」




時計の針はすでに夜の11時を回っていた。新しいアニメーション制作会社に就職してもう3ヶ月が経つが、毎日遅くまで働いているせいか体が鈍って来ている。今日も机から立ち上がり、印刷した資料を取りに一歩踏み出したら派手にコケてしまった。




いつものように社員に挨拶をし、終電間近の電車に乗り、帰宅する。長い黒髪を櫛で梳かし、シャワーを浴び、ベッドで眠りにつく。いつもと同じルーティンをこなした後に悪夢はやってくる。私は青の布団に身を包み、目を瞑った。




「いつからだろう。こんな夢を見るようになったのは…」




と考えながら。




◇ ◇ ◇




私は昔からこのアニメーション会社で働くことが夢だった。この会社が今までに制作を続けた作品はどれも素晴らしいものばかりで、小さい頃から見続けてきた。それに、全身全霊をかけアニメーション制作に取り組む人々はこれ以上もないくらいに輝いて見えたのだ。そして就活に就活を重ね、努力に努力を重ねた末、今のこの現状に至ったのだ。




私は大体朝の6時頃に、眠気が残る中、目を覚ます。そして朝食を食べ、身だしなみを整え出勤。一日アニメーション制作に取り組み、夜遅く、時には日付が変わった時刻に帰宅し、就寝する。これがこの会社で働くものの主な一日の流れだ。もちろん、私の一日も同じように過ぎていく。確かに体力はゴッソリ削られるし、給料も安いが、私はこの平凡な毎日が好きで、制作進行としての仕事も中々やりがいがあるので特に不満は抱いていない。沢山のアニメーターとコミュニケーションを取り、共同で作業する。いつもと変わらない、平凡だけど生きがいのある日々が好きだった。そのはずなのに。いつの日からか私の『平凡』は大きく狂ってしまった。




◇ ◇ ◇




目を開けるとそれは、赤く暗い『苦』の色。炎と血に塗れたその部屋はちょっとした火事なんて言葉では済まされない、地獄と化していた。沢山の人々が悲鳴を上げる中、助けが来る様子はない。自分はというと、体は氷のように凍りつき、身動きが取れなくなっている。理由は分からないが、恐らくショックで体が言うことを聞かなくなっているのだろう。沢山の馴染みのある監督さんやアニメーター、さんが同じ部屋に敷き詰められて、様々な表情を浮かべる。




「死にたない…死にたない…!誰か…はよ助けてくれっっっっっ!!」




涙を浮かべ、その場にいもしない放火犯に訴えかける50歳くらいの男性。




「……」




唖然として口が開いたまま動けなくなる40代前後の女性。




「熱い…もう無理や……」




身体中に火傷を負い血反吐を吐きながら倒れる私と同期入社の女性。




その場の光景はドラマや映画で映されるようなものとは比べ物にならないほど、グロテスクで残酷なものだった。そして体が動かないにも関わらず、夢とは思えないほど感覚がはっきりしているのだ。




(雅彦さん!咲子さん!!結衣ちゃん!!!)




眠るたびに同じ夢を見ているのは事実だが、何度見ても胸が苦しくなる。部屋に篭る煙のせいだろうか?もう何が何だか分からない。私はとっさに放火現場であるスタジオの2階から飛び降り、腕と足が「痛い…」と感じる。骨折をしててもおかしくないだろう。




そして飛び降りてすぐ、放火犯と見られる男が私の目の前に飛び込んできた。放火犯の男は、少し小太りの中年だ。その男も全身に火傷を負い、火だるまの状態であった。そして男の周囲には、放火の際に使ったであろうガソリンのタンクと、包丁が数本置かれていた。




私と目があったその火だるまの男は、何かモゴモゴと口にしながら私に近づき、私の前に立った。事件を受け駆けつけたパトカーと消防車、救急車のサイレンでかき消され、何を言っているのかは分からない。私は恐怖と炎の熱さから滴る冷や汗を拭くことすらできず、死を待つことしかできなかった。そして、




「お前ら…俺の小説をパクりやがって……一生許さんぞ………」




私は男の台詞をようやく聞き取ることができた。すると男は消火器をかけられ、救急車で病院に搬送された。




◇ ◇ ◇




そうしてここで夢から覚めるのだ。いつからだろう、もう毎日のように繰り返しこの夢を見ている。むしろ、初めて見た日からこの夢を見なかった日など一日たりともない。この夢を見る理由は何日たっても何年たっても分からない。毎日、




(私が何をしたっていうのよ……あんなに恨まれることした?生きているだけで罪なの?じゃあ、私の今までの人生はなんだったの?)




などと思考を巡らせるが、夢が終わることはない。どんなに異常なことが起ころうと、私の『平凡』な一日は繰り返されるのだ。




◇ ◇ ◇




20XX年7月18日、あの事件に遭遇し、とっさの判断で2階から飛び降りた私は腕と足に軽いケガを負い、数日間入院を余儀なくされた。私のように、会社に勤めていた社員が命を落とさずに済んだケースは被害者の半分ほどで、ケガすらなかった社員は皆無だった。そして、この事件で有名な監督さんやアニメーターさんが多数、犠牲となった。私がアニメの世界にハマるきっかけとなった作品を手掛けた監督も、入社当時、右も左も分からなかった私に優しく教えてくれた先輩も、同期入社でプライベートまでよく付き合ってくれたあの同僚も、もういない。




この事件は日本人の記憶に深く刻まれた。それもそのはずだ。狙われたのは日本を代表するアニメーション会社であり、それこそ、アニメは日本の文化だと言われるほど大切にされてきたものである。日本、そして世界の多くの人々に愛されているアニメの制作に時間と労力をかけ、血と汗と涙を流しながらも作業し続けたアニメーターや監督たちが犠牲になったのだから、熱心なアニメファンにとっても辛く、苦しい事件だったのだ。




私は事件の後、別のアニメーション会社で働くことになったが、事件の後遺症は残り、病院からはPTSDと診断された。そして犯人の男は、全身に火傷を負い、未だに植物状態であるようだ。このままいけば死刑判決が下るのは間違いないが、いかんせん植物状態であるために、初公判の日時すらまだ決まっていない。




そして、私は今日も同じことを思う。




「いつからだろう。こんな夢を見るようになったのは…」



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