第3話

『さて! 競技時間は終了し、いよいよ審査時間の始まりだァァ!! 観客の皆さん、審査中はトイレがとても混雑します! 事前に配られたティッシュが足りない方は、スタッフにお申し付けください!』

 緊張の面持ちでステージ内の椅子に座る少年達を鼓舞するように、観客の声援が矢継ぎ早に飛ぶ。その八割が昨年優勝者であるラファエロ・悠に向けられたもので、七曜マンジは小さく唇を噛んだ。


『この戦いの勝敗を決めるのは、五名の審査員の皆さまだ!! それぞれの持ち点は5点、合計25点満点で高いスコアを獲得した者が優勝です!』

 五人の審査員は、どれもイラストレーターや漫画家、アニメーターなどで一定の地位を得た歴々だ。

『それでは、今回の審査員長を快く引き受けてくださった宇田川一幽斎先生に一言いただきましょう! 宇田川先生、よろしくお願いします!』


 あらゆる性癖を網羅する猥褻の生き字引、宇田川一幽斎。白髪に口髭を蓄えた、威厳のある風格の老人だ。審査員席の右端で腕を組む宇田川を直視し、マンジは武者震いをする。彼の目に止まらないことには、この性癖は誰にも理解されないだろう。

 “痴の巨人”たる彼の牙城を如何に崩せるか。彼はそこまで思案し、首を振った。

(オレの描いた絵を、オレが信じないでどうするんだ?)

 やはり小細工はできない。できることは、信じることだけだ。マンジの目に光が灯り、魂が屹立する!


    *    *    *


 地下に収納されはじめた巨大ペンタブの代わりに現れた巨大液晶モニタは、1ピクセルのドットさえつぶさに観察できる代物だ。その出現に伴い、観客のボルテージは脈々と上がっていく。


『先攻、ラファエロ・悠選手の作品です!』

 電源が起動し、映し出された画に会場内は感嘆の声に包まれる。審査員は頷きあい、悠は瞳を爛々と輝かせた。

 亜麻色の髪を振り乱し、身悶えしている裸婦の肖像画だ。一糸まとわぬ肌に汗の雫が描きこまれ、朱を帯びた双丘は母性や性的魅力をありありと表現していた。聖女が堕ちてしまう瞬間である。


「綺麗だ……それに、妙なエロさがある……」

「これが究極の美、って事……?」

 ほとんどの観客が息を呑み、一部の観客は息を荒らげてトイレへ走る。審査員がその春画の出来に唸る中、審査員長の宇田川は鋭い視線を肖像画に投げた。

「なるほど。本来は画風が高尚であるほど興奮を得られにくいのだが、そこに背徳感というエッセンスを含ませることで価値観を引っ繰り返すことに成功させている……」

 宇田川に続くように作品への感想を言語化させながら、審査員たちは自らの評点を矢継ぎ早に表示させる。左から、5点、5点、5点、5点。そして宇田川は……4点!

『ラファエロ・悠選手の作品は、24点です!』


『続きまして……後攻、七曜マンジ選手の作品です!』

 続いてモニタに表示された作品は、観た者の意識に急ハンドルを切らせた。悠とは異なる、野生的で荒々しい絵柄だからだ。

 アマゾネスめいた筋肉質で体格の優れた女性が、獣のように快楽を貪る瞬間が切り取られている。女性の象徴は現実離れしているかのようにダイナミックに、豊満に描かれている。


「これはこれで、そそるな……」

「さっきのとは真逆だけど、俺はこっちの方が好きかも……」

 一部の観客は熱狂的にこの画を支持し、その熱狂は徐々に伝播していく。審査員も頷きながら、「決勝には良い対比だ」と語り合っている。ただ一人、宇田川を除いては。

「少年、この絵は本当に君の性癖なのか? 何か、まだ隠しているのではないか……?」

 ステージに立ったマンジは、苦々しげに大きく頷いた。司会からマイクを差し出され、彼は悔しげに声を振り絞る。

「実は……この上にもう一つレイヤーがあったんだ。描き込みすぎて非表示のまま時間切れになったんだけど、あれ込みでオレの性癖は完成する。今から差し替えるのは……無理だよな……」


 前代未聞である。運営スタッフが慌てて壇上に上がり、司会と幾許かの言葉を交わしている。審査員たちも困惑し、この場をどう対処するか決めあぐねていた。

『……宇田川先生、どうされますか?』

「私は好い画が観れるなら何でも構わない。対戦相手が構わないなら、差し替えるべきだろう。正しい評価は、それを観てからでも遅くないのではないか?」

「僕も構いませんよ。どうせなら、僕も素敵な作品を観てみたい。彼の性癖と魂がこもった、最高のモノを」


 数分後。液晶モニタが再起動し、差し替えられた春画が表示された。審査員の息を呑む音が響き、続いて観客がざわめく。

 新たなレイヤーによって現れたのは、金属光沢が輝く硬質な肌だ。胸元のバーコード、関節にある継ぎ目。ロボットである。

「ロボ、娘……?」

「アマゾネスじゃなかったのかよ!? あの筋肉は……作り物ォ!?」

 観客のそのような言葉に対して、マンジは確かに胸を張って答えた。

「アマゾネス風のロボ巨女に攻められる! それが、俺の性癖だァァ!!」


 審査員も、観客も、言葉を失っている。マンジの語る要素は、どれも一つを抜き出せば十分理解できる性癖なのだ。だが、重ねたことで致命的な違和感が生まれている。トイレに並んでいた観客は、徐々に自らの席に戻り始め、審査員は頭を抱えた。

「これなら変えない方が良かったよ……」

「ミスマッチだろ、ふつうに考えて……」

 宇田川は鋭い眼力で、マンジに質問を投げかける。腕を組んだまま、微動だにせず。

「少年、他のテーマでは駄目だったのか?」

「これが、オレの一番興奮する性癖です。今回は、これを描きに来ました。そのためだけに来たんです」

 宇田川は頷き、採点ボタンを押した。左から、4点、4点、4点、3点。そして宇田川は、5点。

『七曜マンジ選手……20点! よって、優勝は!』

「待った……!」


 結果発表の声を遮ったのは、ラファエロ・悠だ。彼は声を張り上げ、高らかに宣言する。

「この勝負、僕は棄権します! 彼の美を認めない大会など意味は無い……。この春画こそ究極の美だ!」

 会場内の誰もが唖然とする中、当のマンジもただ困惑しきっていた。

「情けをかけるつもりか……?」

「僕の絵師人生にかけて、それだけは否定します。ただ、僕の性癖が一つ増えただけだ。アマゾネス風ロボ巨女、いいじゃないですか! 例え皆に理解されなくても、僕はこの画が好きですよ」

 瞳を輝かせながら、悠は彼自身を屹立させて言った。マンジは未だ困惑しながら、新たに出来た性癖の理解者と握手を交わす。


 その後、悠の画風で描かれたロボ絵がひっそりと投稿されたのは別の話だ。

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画狂少年マンジ 〜春画王決定戦ジュニア杯〜 @fox_0829

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