第2話
七曜エイジはどっかりと関係者席に腰掛け、愛する息子の奮戦ぶりを黙々と観察している。彼の着る一張羅のスーツは流行りを少し逃したもので、それを着慣れていないことは周囲の誰もが分かっていた。
中央に配置された巨大モニタに表示される二人のイラストは、どちらもまだ下絵の段階だ。しかしながら、両者の描画スタイルはあまりに違いすぎる。
ラファエロ・悠のイラストは、ルネサンス期の宗教画を思わせる裸婦の絵だ。ふくよかで女性的な魅力を持つ聖女が汚され、扇情的なファム・ファタールと化す瞬間だ。
聖女か、娼婦か。観測者によって解釈の変わる不思議な春画である。色を塗らずとも、その柔らかな質感を持つ双丘は、観た物の劣情を催す奇妙な魅力があった。
しかしながら、観客がどよめいたのは別の点である。準決勝までの画風と、あまりに違いすぎるのだ。
「ほっほっほ……さすがラファエロ坊っちゃま。ここに来て、本領を発揮なさるとは……」
動揺するエイジの隣で微笑む老紳士は、調度品めいた高級なタキシードに身を包んでいた。ラファエロ・悠の執事、セバスチャンである。
「あぁ、確かに
「ラファエロ坊っちゃまは、努力の天才です。幼い頃から古今東西の画風、構図、性癖を学ばれ、自らの技術を磨くと同時に自らの筆も擦っていらっしゃった。謂わば、今までの絵は後天的に得た『一般性癖絵』でございます」
セバスチャンは誇らしげに胸を張った。
「だがしかしッ! 今回の坊っちゃまの画風は完全なオリジン! 熱意とリピドー、初期衝動を大いにぶつけた究極の春画! 私のモノもとうに枯れたと思っていたのですが、さめざめと泣いております……」
セバスチャンは興奮のあまりスタンディングオベーションしながら、上からも下からも涙を流していた。エイジはその様子を眺め、溜め息を吐く。
(イケるのか、マンジ……?)
マンジの描く下絵は、彼の性格を表すかのように荒々しい。輪郭線の太い、荒れた波を思わせるダイナミックな構図だ。
一筆入魂。それがマンジのフェイバリットであり、予選を勝ち抜いてきた作戦だった。
「……彼の絵は、若々しいですな。熟れきっていない果実を思わせる気概が充ち満ちております。それに、女性にしては身長や胸が大きすぎるのでは?」
「アイツはな、実物を見たことがないんだよ……。母親が死んでから、アイツの性癖は俺にも理解できなくなった。自分を慰めるためだけに、描いてるんだよ……」
HMDを装着した二人には、観客席の様子など知る由もない。ただ自らの全てを出し尽くし、硬く立ち上がった意思を眼前にぶつけるだけだ。
マンジは無言で筆を動かしながら、熱く滾る闘志を静かに燃やしていた。世界に自分の作品を、自分の夢想する理想を認めさせる。今回のコンクールはそのための足掛かりであり、とにかく勝つことが目標なのである。
魂を燃やせ。もとより技術はないが、今さら小細工はできない。それを補うだけの熱意で描き切るんだ。マンジは己自身をいきり立たせながら、一筆一筆を確かに仮想キャンバスに叩きつける!
一方の悠もまた、自らの初期衝動に想いを馳せていた。幼い頃、何気なく覗いた美術資料の1ページ。そこにでかでかと載っていた聖女の画に、彼は得も言えぬ昂りを覚えていた。自らに突き動かされるように描いた柔肌の淑女は、今思えば稚拙な絵だ。
その後様々な技術を手に入れたが、あの初めて描いた作品を超える満足は得られていない。だからこそ、今回はそれを超えるのだ。あの聖女の画という神域に近づき、究極の美を証明するために。悠は小刻みに筆を動かし、自らのテンションを高め続ける!
それぞれトランス状態に入った彼らを邪魔するものは、限られた時間以外は存在しない。観客も、審査員も、彼らがやがて完成させる矜持を黙々と見守っていた。
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