2-7
ユアは何の迷いもなく歩を進め続けた。クレセントの校舎ってけっこう広いから、わたしでもちょくちょく迷うことがあるんだけど。彼女は地図が頭のなかに入ってるみたいで。爪先はひたすら前を向いていた。
「ここ」
やがてユアが足を止めたのは、薄暗い地下室の前だった。
「なにここ?」
階段の裏、倉庫の入り口みたいな重たい扉。そのすぐとなりには消火器があって、非常灯が赤く光ってた。まるで何か危険を報せるみたく、血が噴き上がったみたいに。
「暗室」
「暗室って?」
「入ったらわかるわ。さ、どうぞ」
鍵はかかってなかった。もしくは彼女が鍵を持ってたんだろう。
暗室の中は文字通りの暗闇。廊下の薄明かりよりもさらに暗く、闇は一瞬でわたしの平衡感覚を奪った。
「ねえ、暗くて何も見えないんだけど。何が見えるって言うのよ」
「待って。いま停電しているんだから、点くはずがないじゃない。非常電源に切り替わるから………ほら」
ブレーカーが落ちたような、雷が空気を切り裂いたみたいな破裂音。その後、暗室には閃光がまたたいた。暗室の名には似合わない、真っ白い巨大な光。閃光は目の前にあったそれを描き出した。
それは、たくさんの人形だった。マネキンみたいな、いやもっと精巧にできた人形たちの群。それも、すべてユアの姿をしていた。彼女とうり二つ。まったく同じ顔と身体をした全裸の彼女たちが、首吊り自殺みたく天井から吊されていた。
「見える? これがクレセントが存在する理由の一つ。クレセントは、存在しないはずの十番目のパブリック・スクールであり、研究機関でもあるの。そしてその研究っていうのが、
暗室はもはや暗室ではなく、大量の首吊り自殺者を保管する
だけど、彼女がそんな大がかりなトリックを仕掛ける理由は、どこにもないわけで。つまり目の前のものは真実だった。
「腐敗処置って、どういうこと……?」
「古くから
「聞いたことはあるけど、読んだことはない」
「そう。あなた本は好き?」
わたしはなんて答えようか迷って、とっさにポケットに忍ばせていたペーパーバックを取り出した。リディアから借りた『ライ麦畑でつかまえて』だった。
「そう、サリンジャーか。じゃああなたは、むしろ不死というよりも、死に病まれた少年少女に囚われているのね」
ユアは、コンクリート打ちっ放しの壁に触れた。ホコリを拭き取るみたく五本の指で軌跡を描くと、それから壁面にあった大きなトグルスイッチに手をかけた。小さな体躯を伸ばしてぐいっとスイッチを下に倒す。するとガーン! って大きな音がして、人形の一つが堕ちてきた。まるで糸の切れた操り人形みたいに。プッツリとロープが切れて。
「これはあたしなの」
死んだように倒れた人形。ユアはそのすぐそばに腰を下ろした。
「その人形が?」
「そう。あたしはフランケンシュタインの怪物。外科的手術によって不死を得たの」
ユアは、その芋っぽい赤いジャージを脱いだ。その下には、彼女の膚――それもいくつもの灰色の痣が残された――があって、彼女は気恥ずかしそうに二の腕で身体を隠した。
と、その次の瞬間だった。
左手でつかんでいた右肩、ユアはそれを引き抜いた! 信じられなかった。肩が脱臼したとか、そんなもんじゃない。膚がぬぷりと音を立て、真っ赤な液体が糸を引きながら、腕が千切れた。その切断面には、鈍色に光る骨の切断面すら見えた。
「あんた何して……!」
わたしはそう叫んだけど、ユアは至って冷静。激痛に痛みをあげることもなく、静かに無表情。まるで食事をするのと変わらないとでも言わんばかり。
「あたしは交換可能なパーツにすぎないのよ」
千切れ堕ちた腕はそのままに、ユアは人形の右腕を同じく引きちぎった。そしてその腕を、新たに自分の腕として当てはめたのだ。脱臼した肩を治すみたいに、膚はゆっくりと接合し、腕はそのまま元通りになってしまった。
「クレセントの目的は、こうして不老不死の人間を生み出すことだったの。始まりは何百年も前のこと。まだ本当に王様がいて、英国国教会の名の下に、宗教と魔術の名に於いて学校を開いたときの話。だけど、それがいつしかスパイの養成校となった。まあ、存在しないパブリックスクールだもの、そういう使い方をするのが一番良かったんでしょうね。でもね、当初の目的はずっと続いているの。
クレセントでは十二年に一人、実験対象の女の子が選ばれるの。選定基準は様々。スーパーエリートのスパイを更に超人にするときもあれば、あたしみたいな影の薄い女の子をさらってきて、コソコソ弄くり回すときもある。あるいは、成績不振の女生徒を選んで学校に居させるときもあったって聞くわ。ともかくエンバーミングの被験者が選ばれるの、彼女らの意志とは関係なく、運命として。そうして実験開始から十二年経って、成功しているようなら、次の被験者は選ばれないの。だけど、実験が失敗しているようなら、また次の被験者が選ばれる。ここでは少女たちが毎回十二年周期で死んでいくの。少なくとも開校依頼、つまりここ三〇〇年ぐらいはずっとね」
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