1-12

 初っぱな飛び込んできた右フックは、わたしのわき腹にクリーンヒットした。鳩尾めがけて正確に突き出された拳は、わたしから言葉を奪うに十分すぎた。

 言葉の代わりに嗚咽が漏れて、黄ばんだヨダレがこぼれ落ちた。排水溝に唾液が流れていく。

「がっ……はっ……いきなりは、ヒドくない……?」

「そうかしら。実際の仕事ビズの場で、あなたは同じ科白セリフを吐ける?」

 ――それを言われたら、なんとも返せないじゃないの。

 わたしは文句をつけたくなったのをぐっと押しこらえて、拳を握りしめた。サイドステップ。ダンスするみたいに。むかしブルース・リーの映画を見て、見よう見まねで練習したんだけど。それなりにサマになってたと思う。実戦的かどうかは別として。

「カンフー映画の見すぎよ」

「それはどうかな」

 わたし、俊敏さにだけは自信がある。背が小さいし、すばしっこいから。その点はエリスンよりわたしに利があった。

 ステップ、ステップ、ステップ。

 エリスンの右ストレートを交わす。左頬のすぐ横を肘関節が通り過ぎた。

 わたしはその右肘をはじくようにして、両手を突きだした。ほんと、相手をえいやって押す感じで。

 見てくれは最悪な攻撃だった。だって、エリスンの身体を押しこくった。ただそれだけなんだから。蹴ったのでも、殴ったのでも、はたまた関節を決めたのでもなく。ただ押した。

 でもそれが意外に効いたんだ。

 エリスンはとたんに体勢を崩した。両足はもつれて、足首をくじき、尻餅をつく。コンクリートの床は彼女の尾てい骨に大きな衝撃を与えただろう。

 でも、エリスンの表情は、それ以上の苦悶にゆがんでいた。痛み意外の何か。精神的な何かを壊されたときのよう。ガラス片を腹の内から抜き差しされたような、そんな顔だった。

 そしてエリスンは、そのまま立ち上がらなかった。

「……なんで立たないの?」

 座ったまま息をあえがせる彼女に、わたしは言った。あんまりにも肩透かしだったから、ほんとにやる気のない声出言ったと思う。

「どうしてだと思う?」

 まるで年齢を聞かれて「何歳だと思う?」と聞くバカな女みたいなセリフだ。本当は答えがわかっているからこそ、答えを隠したいからこそ、バカな女はこういうセリフを吐く。このときのエリスンもそうだった。

「わかるわよ、なんとなくだけど。ねえ、あんた、んでしょ」

 彼女にもらったタバコに火をつける。もう勝負のことなんてどうでもよくなっていた。もっと言えば、彼女の都合もなにもかも。

「その身体はもう、あんた一人のものじゃない。まともに戦えるカラダじゃない。違う? そのおなかにはもう一つの生命が宿ってる」

「そのとおり。この身体には、誰かの精液が染み着いて、その結果、私とどこかの男の結晶が宿った……。教官は堕ろせと言ったが、私は拒否した。私は、この子を産みたいと思ったんだ。だから、いまの私は戦えない。おまえにすら、勝てない」

「どうして堕ろさなかったの? どうして産みたいの?」

「どうしてだと思う?」

 またその質問か。

 わたしは吐きたくなるのをぐっとこらえた。

「知らないわよ」

「そうでしょうね。でも、それはきっと私が、ここで自殺した少女の気持ちが分かるようで分からないのと同じなんだと思う。私は、私だけのトロフィーを残してみたいと思った。ただそれだけ。誰かの言ったことを忠実にこなして、それを誉めてもらうとか。そういうのではなくて。私だけの何かを作って、それに認められたかった」

「まるで反抗期の中学生ね」

「かもね」

 エリスンはそう言って笑ったけれど、それはもちろん心からの笑みでは無かった。

「わたしの勝ちでいいよね? 副流煙、おなかの子に悪いでしょ。わたし出てくから」

 途中まで吸ったタバコを手に、わたしはドアノブに手をかけた。

 エリスンは崩れ落ちたまま、何も言わなかった。ただあのときのように、メリッサに連れられてきたときみたく、おなかを優しくさするばかりだった


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