1-11
屋上に出るのは初めて。なぜって、基本的には出ちゃいけないって校則で決まっているから。
どうして出ちゃいけないか。それについては色んな憶測が飛び交っていた。
あるウワサでは、むかしここから飛び降り自殺をした女の子がいたって話。
その子はすこぶる成績優秀で、当時はクレセント開校以来の天才とも言われていたらしい。言うなれば、いまのエリスンみたいな子だった。だけど、その子は見かけほどタフじゃなかった。仕事へのストイックさを保つために、彼女の内面はグズグズに溶けていったらしい。見ず知らずの男と寝て、殺して、奪って、逃げて、堕ろして……。そんな繰り返しに彼女は疲れてしまって。ある日、その身を投げ出した。地面に打ち付けられた彼女は、最期のときまでガールフレンドと手をつないでたらしい。もちろん相手はクレセントの他の生徒だった。レズビアンっていうか、心を許しあえるパートナーだったらしい。それが死を分かつときまで一緒だったなんて。ロマンチックだけど、悲しいと思う。
いまだに煉瓦造りの舗装路には、赤いシミが残っていると聞く。もう何十年も前の話らしいけれど。だけど、それ以降は誰も屋上に出ることができなくなった。でっかい南京錠を壊さない限りは。
だけどエリスンは、ふつうに鍵を開けて入った。校長から鍵を借りたらしい。ほんと、エリートっていうのは何でも話が通るみたい。
ドアを開けると、潮風がふわっと舞い込んできた。とたんに肌がベットリとする。磯の香りがすこしクサイぐらいだ。
「さて、はやく始めよう」
エリスンはそれだけ言って屋上へ。わたしもあとを追った。
外はすごい夕焼けだった。林の向こう、クレセントを囲む木立の先に砂浜が見える。水平線は緩やかに弧を描いて、この地球が球体であることをわたしに語っているみたいだった。
「どうして屋上を選んだのさ?」
わたしは文句を垂れた。でも、本当のところは時間稼ぎだった。
「理由はいくつかある」
エリスンは学生服の上着に手をかける。ブラウスだけになると、首元に結んだリボンをしゅるりと抜き払った。
「まず決着の方法は任せると、教官には言われた。第二に、場所も私が選んでいいと言われた。だから、ここを選んだ」
「どうして?」
――答えになってないし。
わたしはそう言いたいのをぐっとこらえた。
「どうして、か。M2、あなたはここで自殺した生徒の話を知ってる?」
スカートのポケットに手を突っ込んだ。引っ張り出すと、エリスンの手にはタバコが握られていた。優等生の彼女が吸うのは、なんかイメージに合わず意外だった。
「吸う?」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
わたしは一本だけもらおうとした。だけど、エリスンのやつは箱ごとわたしに投げてよこした。ひょいって、キャッチボールでもするみたいに。だからわたしもびっくりして、危うく落としかけた。
一本
「あんたは吸わないの?」
エリスンは首を横に振った。
「故あって禁煙した。それはあなたにあげるわ」
「ああそう。じゃあ、ありがたく頂くけれど。でも、意外だね。優等生のあんたが喫煙者だったなんて」
「前に付き合っていた男が吸っていて、私も吸わされた。それから少しだけ癖になっていた……それだけのこと」
「そう。その男はどうしたの?」
「殺したわ」
「ああそう」
つくづくエリスンと話すのは面倒だって思った。言葉に詰まるって言うか、彼女は会話のキャッチボールをするつもりがないんだと思う。スペンサーとは別の意味で面倒なんだよね。スペンサーの場合、こっちが投げたボールをあらぬ方向に投げ返してくるんだけど。エリスンの場合は、ど真ん中に火の玉ストレートを投げ込んでくるわけ。そりゃ守備範囲だけども、早すぎて拾えないっていう感じのやつ。
「それでここを選んだ理由だけど」
「話、もどるのね」
「ここで自殺した子がいたでしょう。大昔に。ここが立ち入り禁止になった理由を作った子よ」
エリスンはわたしを無視して続けた。
「その子、サンドラって言ったらしいわ。私みたいに腕の立つ娘で、クレセントの言うことをきっちり守る娘だった。だけど、それゆえに彼女の理解者は少なかった。唯一、ルームメイトの少女だけが理解者だった。そして二人はお互いを愛し合い、最期には――」
「舗装路のシミになった」
「そうよ。ねえ、M2……いや、牧志ミヒロ。あなたは、二人が幸せだったと思う?」
「……なに。そんな禅問答をするためにこの場所を選んだわけ?」
「質問に答えて。あなたはどう思う? それに答えたら、始めるから」
エリスンが右の拳をぐっと握りしめた。腕の筋肉が収縮し、血管が浮き出る。華奢な少女の印象は消えて、突然に彼女は戦士に変わった。わたしみたいなのとは大違いだ。
「そうだね」
と、わたしはタバコをひと吸い。吸いさしのそれを側溝に投げ捨てた。
「死んだやつが幸せだとは、少なくともわたしは思わないよ。無様だと思う」
「そう。……よかったわ。あなたが最期の相手で」
「は? それどういうこ――」
そうわたしが言い掛けたときだ。
エリスンの姿が消えた。
いや、正確には彼女は姿勢を低くして、わたしの胸元に飛び込んできた。右の拳を握りしめ、大きく振りかぶって。
試合開始。その合図は、どこにも存在しない。強いて言えば彼女の宣言通りだった。わたしが禅問答に答えたその瞬間だったんだ。
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