1-7

 メリッサに言われてから、わたしはいったん部屋に戻った。わたしとダーニャの相部屋だ。

 左側に二段ベッドが並んで、右側にデスクが二つ。壁にはダーニャが好きなバンドのポスターがいっぱいに広げられていて、スピーカーからはラジオが聞こえていた。どこかからの海賊放送で、ひたすらロックを流しているチャンネルだった。いかにもダーニャらしい。いつもの昼下がりだ。

 いつもなら、わたしはこのラジオの音を聞いてやっと目を覚ます。それでダーニャにおはようって言って、かるい散歩に出るんだけど。そう考えると、今日はかなりいつものルーチンからズレていた。

 それもすべて、あのエリスンが妙なカッコで帰ってきたせいだったけれど。

「あ、やっと戻ってきた。いつもの散歩は終わった?」

 ダーニャが小脇にベースギターを抱えながら言った。彼女、いつもベースを撫でてる。そんなに弾けないんだけど、持ってるだけでいつも楽しそうだった。

「散歩には行ってない。とちゅうでメリッサに捕まっちゃった」

「メスゴリラに? なんだって?」

「仕事を振りたいからスペンサーのとこに行けってさ」

「お、マジで?」

 ダーニャはとたんに声のトーンがあがった。ベースを撫でる指もどこか乗り気な感じだ。

 無理もなかった。仕事に行くってことは、少なくとも一日以上は部屋を空けるってこと。つまりここは相部屋じゃなくて、ダーニャの一人部屋になる。一人部屋になったら何をするかって言ったら、もちろん泊まり込みのパーティなわけで。教官に隠れてコッソリみんなで集まる。ダーニャの場合は、同じバンド仲間を引き連れるつもりなんだろう。前も仕事で部屋を空けたら、部屋中レコードとタバコの吸い殻でひどいことになっていた。

「まだ決まったわけじゃないけどね。なんかコンペになるらしい。候補者が何人かいるんだって」

「候補者? 誰だよ」

「知らない。でも、『もしかしてエリスンが関係してます?』って聞いたら、まんざらでもない答えが返ってきたよ」

「エリスンって。ミヒロ、さすがにそれは自意識過剰だろ。ミヒロはクラスBのドベ。あいつは学年トップのエリート様じゃん」

「でも、そういう反応だったよ」

「ほんとかぁ?」

「ほんとだってば。競合でないにしろ、なにかしらエリスンに関係ありそうだよ。もしかしたら彼女の尻拭いかも」

「エリスンのケツ持ちって、それ相当ヤバい案件じゃないの? 飛行機乗り継ぎぐらいしかしたことないミヒロには無理でしょ」

「男を籠絡するぐらいなら、わたしだってやったことがある」

「その魅力の欠片もないペッタンコの体型で?」

「うるさい」

 わたしはピシャリと言いつけると、自分のプライベートスペースに戻った。つまりあのカーテンを取り付けたベッドの中。わたし、机に向かうよりベッドでゴロゴロしてるほうが好きだったし。


 五分か一〇分ぐらい寝ころんでた。たぶんスペンサーに会いたくなかったんだと思う。

 べつに仕事が嫌いなわけじゃない。いいことばっかりじゃないけれど。でも、クレセント以外の色んな場所に行けるのは好きだった。わたし、旅行とか好きだから。そこで会った人とかに話を聞いたり、そこにしかないモノを見てきたり。そういうのはすごく好きだった。

 でも、スペンサーに会うこと自体がイヤだったんだと思う。彼はわたしの主治医なんだけど、何度会っても空気がつかめないというか。とらえどころがないというか。とにかく、いつ喋っても微妙な空気になるから、すごくやりづらい相手なわけ。

 やがて決心が着くと、わたしはベッドから飛び起きた。そのころにはラジオは九〇年代ぐらいの曲を流すようになってて、ダーニャがノリノリでベースを弾いてた。

「ねえ、これ何の曲」

 カーテンを開けながら問う。

「ライドの『ヴェイパー・トレイル』だけど。どうかした?」

「べつに。聞いてみただけ。ねえ、スペンサーのとこ行ってくるよ」

「いってら。コンペ、とれるといいね」

「そう言って、わたしのいないあいだにバンド仲間と楽しみたいだけでしょ?」

「ご明察」

 ダーニャはベースにご執心。顔すら上げずに、わたしに言った。だからわたしも振り向かずに、手だけあげて彼女に挨拶した。

「じゃあね、行ってくるから」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る