失恋の先にあるもの
帰還者……それはあたしたちの間では都市伝説級の存在になっている。
50年以上前に地球を襲った厄災SNS。その脅威を怖れた人類は地球を捨て他の惑星へ移住する計画を立てた。しかしその試みすらもSNSによって阻まれ、移住者は全員行方不明となった。
それが10年ほど前から行方不明になっていた移住船が突如地球の静止軌道上に出現し始めている。そして中央の庇護の元、ある特定の集落に保護され、一般人との接触を完全に断って生活している、それが帰還者に関する都市伝説。
はっきり言ってほとんど信用していない。あたしの周りで帰還者の話をする人は一人もいない。ニュースにも取り上げられない。ネットにはチラホラ話題が上がっているものの眉唾な情報ばかりだ。
そんな幽霊級のあやふやな存在の帰還者が、今、あたしの目の前に座っている。とても信じられない。
「おばあちゃん、どういうこと。一般人と帰還者の接触は認められていないんでしょう。と言うか本当に存在していたことすら信じられないんだけど」
「今回は特例なの。あたしだって会いたくなんかなかったわ。かつての同級生に老いてヨボヨボになった姿なんか見せたくないもの。でも中央のお役人にどうしてもとお願いされてね、一肌脱ぐ気になったのよ」
またおばあちゃんのお節介焼きが発動か。面倒見の良さには何度も助けられたけど今回は度が過ぎるんじゃない。
「中央の役人か。きっとアズマさんだな」
「そうよ。聞いたわ、あなたが1年間どうやって生活していたのか。同い年の女の子と一緒に暮らしていたのでしょう。
ホクトさんは苦虫を噛み潰したような顔をして横を向いた。今の彼氏に「ねえ、あなたの元カノってどんな人だったの」って訊いたら、きっとこんな顔をするんだろうな。彼氏いないから訊けないけど。
「北斗君、あなたはバカよ」
「なっ、それは言い過ぎだろう」
今日のおばあちゃんは強気だなあ。しばらくおとなしく聞いていようっと。
「いいえ。あなたは女の子の気持ちを全然わかっていない。西さんがあたしのことを秘密にしていたからって、それでどうして怒ったりするのよ。逆に感謝すべきだわ。他の女には絶対に渡したくないという西さんの愛情の深さに」
「だけどサイはボクを騙していたんだ。許せないよ」
「それは西さんの意思ではない。教えてもらったでしょ。中央からの依頼に従っただけだって。それもこれもあなたを助けるためにしたこと。彼女を責めるのはお門違いよ」
「……」
ホクトさんは黙ってしまった。口喧嘩で祖母に勝てる人なんて見たことないもの。まあ、当然の結果ね。
「あなた、西さんがどんな人か、何も聞いてないの」
「どんなって、稲田集落の住人なんだろう。両親は小さい頃に亡くなったって言っていたけど」
「それだけ?」
頷くホクトさん。この人、サイさんって女の子と喧嘩して家を飛び出してきたみたいね。ちょっと興味が出てきたわ。
「なら教えてあげる。西さんも帰還者なのよ。あなたと同じようにね」
「サイが帰還者! 本当なのか」
「本当よ。第一次の移住船で最初に地球を発ち、今から12年前、最初に静止軌道上に出現した帰還者の一人。彼女の両親は超光速技術の専門家でね。もう30才近かったけれど特別に第一次の移住者に選ばれたのよ。そして5才になる彼女を連れて親子3人で旅立ち、12年前に帰還した」
「知らなかった。サイはそんなこと何も教えてくれなかった」
「言う必要がなかったからでしょうね。あるいはあなたに余計な同情をして欲しくなかったのか」
話の内容が重すぎない。あたしここに座っていてもいいの?
「初めての帰還者ということで当局も困惑したみたい。もちろんありのままを話したそうよ。西さんの両親も最初は地球に帰り着けたことを素直に喜んでいた。だけど次第に二人の様子は変わっていた。無口になり、誰とも会おうとせず、部屋に閉じこもるようになった。人々も環境も激変しているのだから無理もない話よね。なにより二人を苦しめたのは超光速技術が完全に封印されていること。そしてそれこそがSNSを招いた原因であったこと。自分たちの信奉していた技術は用無しとなり、それどころか諸悪の根源であったことを知った二人は将来を悲観し、幼い西さんを道連れにして無理心中を図ったのよ」
「そんな……」
思わず声を出してしまった。サイさんのことは何も知らない。会ったこともない。それでもその女の子が気の毒で仕方なかった。
「残念ながら両親は助からなかった。でも西さんは奇跡的に助かった。当局が帰還者に記憶の改変を施すようになったのはこの事件が切っ掛けなのよ。こんな悲劇を二度と繰り返さないためにね。西さんは真実を知りながら生き続けている数少ない帰還者の一人。10年以上もの間、悲しみを抱えて一人で生きてきた。そんな彼女の前にあなたが現れた。当局から帰還者だと教えられ、命を救って欲しいと依頼された時、彼女は両親を思い出したはず。あんな悲しい出来事を繰り返したくない、北斗君に両親と同じ道を歩ませたくない、その一心であなたの世話をし、偽りの書かれた本を読み、1年間共に暮らしてきたのよ。そんな人を、一生感謝し続けても足りないほどの大恩人を、あなたはいとも簡単に見捨ててしまった。これがバカでなくて何だと言うの」
ホクトさんは顔を伏せている。言い返す気力もないみたい。祖母の言葉通りなら本当にひどい人だけど、こんなにしょげ返った姿を見せられると同情しちゃうわね。
ホクトさんの右手がコップを掴む。そのまま口へ運ぶ。そう言えばこの人、せっかくのお茶もお菓子も全然手をつけていなかった。祖母の勢いに圧倒されて味わう余裕もなかったのね。
「このお茶は……」
「驚いた? そうよ、SNSが始まった日、ここで出されたお茶よ。大騒ぎになって満足に味わえないまま遠足は終わってしまったでしょう。だから今日出してあげたの。それは紅茶。緑茶よりカフェイン含有量が多い大人の飲み物。あの日を思い出した?」
「そうだな。懐かしい味だ」
祖母がポケットから何か取り出した。ひどく汚れて傷だらけの丸い容器。
「それは、方位磁石……まだ持っていたのか」
「ええ、あたしの宝物ですもの。今はもうこんなにボロボロになってしまった。北斗君にとっては紅茶を飲んだのも方位磁石を見たのも1年ほど前のことに過ぎないけど、あたしにとっては50年以上も前のこと。あたしはあなたにとっての未来であり、あなたはあたしにとっての過去。あたしとあなたはもう同じ時を生きることはできないのよ」
ホクトさんは遠い目で祖母を見ていた。まるで高校生の祖母を見ているような目で。
「ひとつ教えてくれないか。南さんはボクの初恋の人だった。勇気がなくて告白できなかったけど、ずっと好きだった。君はボクをどう思っていたんだい」
「同じよ。あたしの初恋も北斗君だった。そしてあなたがあたしを好きなこともわかっていた」
きゃ~、なに、いきなり愛の告白。こっちまで恥ずかしくなっちゃうじゃない。ドキドキ。
「でも、北斗君とは一緒になれないこともわかっていた」
「一緒になれない? 意味がわからないな。好き同士なら一緒にいてこそ幸せになれるんじゃないのかい」
「違うわ。たとえ好きな相手であっても離れていたほうが幸せなことだってあるのよ。それを確信したのが他惑星への移住計画よ。あたしは地球を離れるつもりはなかった。どんなに荒廃してもこの星が好きだったから。富士高原の自然がある限り私は地球から離れない、そう決心していた。でもあなたは違った。何の躊躇もなく地球から去ってしまった。北斗君は共に生きる相手ではない、そう確信したわ。たとえSNSが起きなかったとしても、あたしたちは決して結ばれることはなかった、今ではそう思っているわ」
「そうか……空港で君の最後の言葉を聞いた時に覚えた予感は正しかったというわけか」
さっきまでのラブラブな雰囲気が消し飛んじゃった。愛の告白の直後に破局宣言って、いくら何でも急転直下すぎるんじゃない。
「あたしのことをずっと思っていてくれたことは素直に嬉しい。でもあたしでは北斗君を幸せにできない。あなたを幸せにできる人は別にいる。それはあなたもわかっているはず、そうでしょう」
二人は気持ちを伝えあうことなく別れてしまったのか。でも今にして思えばそれが正解だったなんて、運命の神様は本当に人を弄ぶのが好きなのね。
「どうやら完膚なきまでに振られてしまったみたいだね。正直に言うと、昨日、校門の前で南さんの姿を見た時、ボクは失恋していたんだ。ボクの中にある南さんの思い出とはあまりにもかけ離れていたから。そして今日、ボクがこれまでずっと抱いていた君への恋は完全にとどめを刺された。だけどそれでよかったと思っている。昨日失恋したおかげで今日から新しい恋を始められるのだから」
「その言葉が聞けてよかった。ここへ来た甲斐があったわ」
「すみません、そろそろお時間です」
扉が開いて富士茶屋の職員から声が掛かった。特別室の使用は時間制みたいね。あたしたち三人は腰を上げる。
「まだ電車の時間には早いわ。休憩所で少し休んでいきましょうか」
「いや、ボクは行くよ」
「どうして。今行っても駅で待たなくてはいけないわ。ここで待つのも同じでしょう」
「ボクの行先はあの街じゃない。北の集落だ。一刻も早くボクの決心を彼女に伝えたいんだ」
祖母はにっこり笑った。もちろんあたしもだ。サイさん、幸せになってくれるといいな。
「それならあたしたちも途中まで見送るわ。ナナミ、行きましょう」
「え~、でも外は寒いし」
文句を言ったところで祖母に通じるはずがない。腕を掴まれて富士茶屋の外に出ると、2月の富士高原の風が容赦なく吹き付けてくる。う~、寒い。もう日が暮れかかっているから余計に風が冷たく感じられる。
「今日は君に会えてよかった。ありがとう」
「こちらこそ。今日から始まった西さんとの新しい恋、大切にしてね」
「サイとの新しい恋? ははは、南さんはボクの言葉がわかっていなかったみたいだね」
「ええっ!」
あたしは大声をあげた。信じられない光景があたしの目に飛び込んできた。ホクトさんが祖母を抱き締めたのだ。
「ボクは昨日の君に失恋した。そしてたった今、今日の君に恋したんだ。気付かなかったとでも思っているのかい。君の孫の名前、ナナミ。幼稚園の頃のままごと遊びで、ボクらの子供役の犬の人形に付けた名前。ナナミは七星。北斗七星って素敵でしょ、そう言って二人で考えて付けた名だ。結婚して子ができて孫ができても君はボクを想っていてくれた。だから自分の孫にその名を付けた。そうなんだろう」
「それは……」
祖母の頬が赤い。まるで本当の女子高生のようだ。
「五十年前の南さんより今の南さんのほうが何十倍も好きだ。君がどれだけボクのことを想ってくれていたか、ようやくわかったんだからね。ボクは決して忘れない。君がボクを忘れなかったように、サイと結婚して子ができて孫ができても、ボクはずっと南さんを想い続けるよ」
「ありがとう、北斗君」
それは夕暮れの富士高原が見せてくれた幻影だったのかもしれない。あたしには確かに見えていた。白髪ではなく長い黒髪を風になびかせ、最愛の人の胸に顔を埋めて頬を赤らめている17才の祖母の姿が。半世紀の時を越えてようやく二人の願いが叶った、そんな気がした。
「さようならー。ナナミちゃん、風邪には気を付けてねー」
ホクトさんは元気に高原を歩いていく。別れ際にクシャミをしたのは失敗だったな。
「おばあちゃん、今日はありがとう。ここへ連れて来たのはあたしを励ますためなんでしょ」
「そうだよ。少しは元気になったかね」
あらら、元の口調に戻っちゃった。祖母の女子高生言葉、カッコよかったのになあ。ちょっと残念。
「もう元気モリモリだよ。あーあ、2月14日に好きな人へお菓子をあげるなんて風習、誰が考えたのかな」
「何千年も前から続いているらしいよ。あたしは誰にもあげなかったけどねえ」
そう、昨日、あたしは盛大に失恋した。祖母と一緒に作った小豆と黒砂糖のお菓子は受け取ってももらえなかった。
死にたくなるくらい落ち込んだけど今は違う。祖母とホクトさんがあたしに元気をくれた。叶わなかった二人の恋。互いに相手の幸せを思いやる気持ち。好きな人が幸福ならそれだけであたしも幸福になれるのだ。たとえその人と一緒にいられなくても……
「あたしも頑張るぞー。幸せになるぞー」
遠ざかるホクトさんの背中に向かってあたしは叫んだ。失恋は新しい恋の始まり。今日からあたしも新しい恋に向かって歩き始めるんだ。力強く歩いていくあのホクトさんのように!
恐怖から始まった扉の向こうで騙されて失った恋は……最終話 沢田和早 @123456789
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