恐怖から始まった扉の向こうで騙されて失った恋は……最終話

沢田和早

 

きのう、失恋した

校門前で見かけた彼

 今日は絶対に人生最悪の日。

 いつもは授業が終わればすぐに校門を出る帰宅部のあたしが、部活動が終わるまで待って、頑張って、でも結局無駄に終わっちゃった。

 こんな気分のままじゃとても帰る気になれない。今夜は学校に泊まっちゃおうかなあ。


「おい、こんな所で何をしている。用がないなら帰りなさい」


 いけない、教師に見つかっちゃった。実習用温室ハウスは真冬でも暖かいけど外から丸見えなのが難点ね。仕方ない、帰るとしますか。


「うう、寒い」


 外に出た途端、北風が吹き付けてきた。マフラーに顔を埋めて校門へ向かう。

 と、そこに誰かが立っているのに気付いた。もうすっかり日が暮れているし照明灯の光も弱々しくてはっきりとはわからないけど、男の人、それも若い、たぶん高校生。

 でも制服を着ていないし、一度帰宅して着替えてまた来たのかな。


(こんな所で何をしているんだろう)


 さっきから全然動かない。校門から少し離れた場所で校舎を見上げている。ただそれだけ。こんな時刻にこんな寒空の下で何もせずに突っ立っているだけなんて、どこからどう見ても怪しい人物だ。


(どうしよう。裏門から帰ろうかな)


 そう思って立ち止まった瞬間、なぜかその人と目が合ってしまった。ここで引き返したら変に思われそう。


(いいや。知らない振りして通り過ぎよう)


 そこには何も存在しないかのような遠い目をしてあたしは歩く。校門を出て、その人の横を通り過ぎようとした時、声が聞こえた。


「ずいぶん変わってしまったな」


 その言葉が不思議と心に沁みた。声の感じからするとやはり高校生のようだ。気になってチラリと顔を見ると意外にもイケメン。彼氏募集中の女子高生魂が火を吹いた。


「あの、何か御用ですか」


 声が少し上ずっている。落ち着け、あたし。


「いや、用はここじゃなくて別の場所なんだ。だけど近くまで来たら何だか懐かしくなってね、ちょっと寄ってみたんだ」

「ここの卒業生の方ですか」

「卒業はしてない。昔ここに通っていたんだ」


 どういうこと。在校生でも卒業生でもないって何? あっ、ひょっとして転校しちゃったって意味かな。それならわかる。


「変わったよ、本当に。校舎を覆っていたドームも人工の観葉ディスプレイもなくなって、今は本当の空と自然の植物がそれに代わっている。昔、自分がここに存在していたことが不思議に思えるくらい変わってしまった」


 ちょっと待って。この人、いつの時代の話をしているの。あたしが幼稚園に通い出した時にはもう今と同じ状態だったんですけど。やっぱりどこか変な人なのかな。


「おや、ナナミじゃないか」

「あっ、おばあちゃん」


 振り返ると祖母が立っていた。土いじりが大好きで、もう70才近い年齢にもかかわらず、週に3回、学校の近くにある古代農法試験場に通っている。今日は通所日だったのね。


「珍しいね、おまえがこんな時間まで学校にいるなんて。いつもならとっくに帰宅している時刻……」


 祖母の言葉が途切れた。こちらに向かって歩いていた足もとまっている。半開きの口、見開かれた目、その視線の先はあたしではなく、あたしの前に立っているこの人に向けられている。ひょっとしてあたしの彼氏と勘違いしちゃったとか。安心して、違うから。


「長居しすぎたみたいだね。これで失礼するよ」


 その人はまるで逃げるように足早に去っていった。もしかしてあたしに対して不埒なことを企んでいたけれど、保護者が来たので慌てて逃げてしまったとか、そんな感じ?


「ナナミ、あの人とはどこで知り合ったんだい」

「知り合いじゃないよ。帰ろうとしたらそこに突っ立っていたんで、何か用ですか、って話しかけただけ」

「そう……」


 祖母にしては歯切れの悪い返事だ。いつもはズバズバと言いたいことを言うのに。


「ところで今日のイベントはどうだったの。おまえの初めての挑戦は……ああ、答えなくてもいいよ。その顔を見ればわかるから」

「うっ……」


 さっきの自分を思い出して泣きそうになる。せっかく忘れかけていたのにまた悲しみがぶり返しちゃった。だからと言って祖母を責められない。昨日まで我が事のように協力してくれたのだ。結果を知りたがるのは当然だしあたしにも報告する義務がある。


「おばあちゃんが手伝ってくれた力作が無駄になっちゃった。ごめんね」

「気を落とさないの。次にまた頑張ればいいのよ。そうだ」


 祖母が何か思い付いたようだ。目尻に皺を寄せた薄笑い。嫌な予感がする。こういう表情をする時はたいていトンデモナイことを言い出すんだから。


「明日、富士高原で人と会う約束があるんだけど、ナナミ、おまえも連れていってあげるよ」

「富士高原! ウソ、冗談でしょう」


 その地名を聞くだけで虫酸が走る。そこは農業の聖地。その地を拠点にしてこの国の農業は発展を遂げた。そして毎年実施される遠足の目的地でもある。

 地獄だ。夜明け前の始発電車に乗って昼過ぎに着き、最終電車に乗って深夜に帰宅する。もちろん持参するお弁当は朝昼晩の三食分。それが幼稚園の頃からずっと続いている。


『日帰り遠足の目的地としては遠方すぎる』

 と何度も意見を申し立てたが、

『千年以上続く伝統を変えるわけにはいかない』

 との理由で続けられている。


「冗談なんか言うもんかね。あっ、泊まりじゃないよ。日帰りだよ。遠足で毎年行っているから慣れっこだろ」

「遠足で毎年行っているから行きたくないの。おばあちゃん一人で行って」


 と固く辞退したのだが、祖母は一度言い出したら決して引き下がらない。


 翌日、日の出前に叩き起こされたあたしは強引に電車に乗せられて富士高原へと連行された。

 遠足と同じように駅から富士茶屋までは徒歩。着いた時にはおやつの時間になっていた。


「こちらでお待ちください」

「えっ、何ここ。すごいじゃない」


 富士茶屋の職員が通してくれた部屋はとんでもなく豪華だった。床に敷かれた厚みのある赤い布。天井からぶら下がっている照明器具。彫刻が施されたテーブル。ふかふかの背もたれ付き長椅子。どれもこれも一目で高級な調度品とわかる。


「ここは中央や海外の要人が利用する特別室だからねえ。どうだい、ナナミ。来てよかっただろう」

「う、うん」


 嬉しさを通り越して怖くなってきた。祖母はいったいどんな人と会う約束をしているんだろう。

 気持ちを落ち着かせようと職員が淹れてくれたお茶を飲む。んっ、美味しい。これって去年遠足で出されたお茶じゃない。この香りが好きなのよね。こっちのお茶請けは……小麦胚芽の焼き菓子ね。香ばしくていける。


「こちらでお待ちです」

「遅れてすみません」


 お茶とお菓子がなくなってしまった頃、ようやくその人はやってきた。あたしと祖母は立って出迎える。職員に招かれて入った来たのは若い男性。その顔を見て思わず声をあげてしまった。


「あ、あんた、昨日の校門前挙動不審男子じゃない」

「ははは。挙動不審はひどいな。だけど思った通りだ。やはりあなたがそうだったんですね、みなみさん」


 ミナミ……誰のことを言っているのかな。あたしも祖母もそんな名前じゃないし……いやちょっと待って。確か祖母の旧姓がミナミだったような気がする。


「あら、こんなおばあちゃんになっても私だってわかってくれたの。嬉しいわ。あなたは少しも変わらないのね、北斗ほくと君」


 やっぱりミナミは祖母のことか。でも、どうしちゃったんだろう。まるであたしたちと同じ女子高生みたいな口調になっている。


「その言葉……いつもそんな喋り方をしているのですか」

「いいえ。老けてしまった容姿はどうしようもないから、せめて話し方だけでも当時のままでいたいと思っただけ。そのほうがあなたも話し易いでしょう。あの頃と同じタメ口で話して構わないわよ。むしろその方が私も嬉しいわ」

「そうか。じゃあそうさせてもらうよ、南さん」


 ホクトさんが正面の椅子に腰かけた。あたしたちも座る。それにしてもこの二人、どういう関係なんだろう。昔からの知り合いみたいだけど年が離れすぎているし。ホクトさんのおじいちゃんと友達だったのかな。


「そちらにいるのはお孫さん?」


 あたしの話題になった。ちょっと緊張する。


「そう。孫娘のナナミ。花も恥じらう16才。カワイイでしょう」

「いや、昔の南さんの方が数倍かわいかったかな。それにあまり似てないね」


 な、なによ、その言い方。失礼しちゃう。あたしをダシにしておばあちゃんを褒めるのはやめてくれない。


「ふふふ。その無遠慮な言い方はちっとも変わっていないのね。何でも思ったまま言い放つあなたに、あたしは何度傷つけられたかわからないくらいよ」

「そ、そうだったのか。それは悪かった」


 おかしいわね。これじゃまるで同級生同士の会話じゃない。どうゆうこと? あ~もやもやする。訊いてみよう。


「ねえ、おばあちゃん。この人とはどんな関係なの。どんな用事で今日会うことになったの」

「北斗さんは高校の同級生。一年生の時に地球から旅立って行方不明になっていたけど、最近帰還したので会うことにしたの」

「帰還……えっ、ウソでしょ」


 あり得ない。そんなはずがない。おばあちゃんはきっとあたしをからかっているんだ。半信半疑の眼差しで正面に座るホクトさんを見る。


「ウソじゃない、ボクは帰還者だ。SNSによって別時空へ飛ばされ、半世紀以上経って地球へ帰還した過去の遺物とも言える存在、それがボクだ」

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