名探偵・朝飯前太郎


「犯人はあなたですね?」


 名探偵・朝飯前太郎あさめしまえたろうは、四人目の容疑者に向けて重々しい口調で告げた。

 容疑者は顔面に緊張感を貼り付けたまま、指定された言葉を口にする。


「……いいえ」


 前太郎は容疑者を睨み付ける。微動だにせず、息すら止めて、射るような目付きでそうしている。

 二秒、三秒、両者の間に時間が流れたのち、前太郎の体のある部分が反応を示す。

 口ひげである。

 鼻の下、左右に分け、毛先を跳ねさせたそれの両端が、糸によって引っ張りあげられたかのように、ピョイン!と反応した。


「あなたは今、嘘をつきました。よって犯人は、あなたです!」


 それを合図に、待機していた警察が一斉になだれ込む。犯人は確保され、事件は無事解決したのである。


 ひと仕事を終え、前太郎は息を吐いた。

 殺人事件現場に到着してから、ものの四分の解決劇だった。短い時間とは言え、一回にかける労力は凄まじい。

 仕事着にしているケープ付きロングコートの襟元を少し開け、ネクタイを緩める。その仕草に漂う若年性のおっさん感と、しかしまだ消失し切ってはいない少年感が、前太郎の探偵としての風格にポップな愛嬌を付け添えている。つまり、実年齢よりも老けて見える疲労感を無防備という意味でのショタ感が包み込んでいて結果的に可愛いおっさんに仕上がっているというほんともう、好き。


「前太郎さん、現場を去るまでが名探偵ですよ! まだネクタイ緩めちゃだめです!」


 私は前太郎さんに駆け寄り、ネクタイを締め直す。前太郎さんはなで肩をさらに落として脱力しつつ、口を尖らせた。


「えーもういいよぉ、終わったんだから」

「こら、ダメです! 現場では探偵口調でお願いします!」

「うへぇ、わかりました」


 前太郎さんはいつもこんなふうだから困る。せっかく名探偵なんだから、事件解決後もちゃんと名探偵でいて欲しいのに……。


 私の名前は桜餅甘奈さくらもちかんな。大学に通いながら、朝飯探偵事務所で前太郎さんの助手やってます。

 私は子供の頃から名探偵と名の付くおじさんが大好き。小説や漫画や映画など、たくさんの探偵物を手当り次第に摂取してきました。

 名探偵の名推理や解決シーンのかっこよさはもちろん、素の姿とのギャップや、個性的日常シーンなど、探偵物は最高のエンタメ媒体なんです。名探偵がおじさん限定なのはまぁ、私のこうまぁ、趣味です。


 でも、そんな名探偵のおじさんなど、創作の世界での存在にすぎません。そんなことはわかっていながらも、世界のどこかにはいるかもしれない、会ってみたい、という気持ちを消すことができず、もしかしたら、という希望の元、あらゆる探偵事務所を調べ回りました。そしてついに、理想とする名探偵を、ネットニュースの隅に見つけたのです。それが、朝飯前太郎さんでした。


 前太郎さんは、生きる嘘発見器として探偵界隈でその名を轟かせていました。前太郎さんにかかれば、どんな難事件でも即座に解決。警察からの信頼も厚い、今引っ張りだこの名探偵、と書かれた記事の中に、口ひげをはやしたおじさんの写真。

 ボサボサの髪の毛、怯えた子犬のような目、自信なさげななで肩……。語られる実績とのギャップを感じさせるその外見は、まさに私が探し求めていた名探偵の姿でした。


 さっそく朝飯前太郎探偵事務所へ連絡。助手として雇って欲しい、掃除でも洗濯でもなんでもやるので、そこで働かせてください、と一息で言い終えると、弱々しい声が……。


「い、今すぐ、バニラ、アイスを………」


 そこで途切れた電話。ただ事ではないと察した私は慌てて朝飯探偵事務所へ向かい、その最寄りのコンビニでバニラアイスを購入して事務所のドアを叩きました。


「朝飯前太郎さん! バニラアイス買ってきました! ……あれ、鍵開いてる! 失礼します!」


 室内には、倒れた前太郎さん。私は慌てて駆け寄りました。


「バニラアイスです!」


 私の声にうっすらと目を開けた前太郎さん。私は前太郎さんの上半身を起こし、スプーンをお借りして一口ずつ食べさせてあげました。するとみるみる生気を取り戻した前太郎さん。今ならそれが、事件解決後の糖分不足によるものだとわかるのですが、その時の私は、「甘いもの好きなんだー」と、新たに入手した個人情報にドキドキわくわくしていました。


「ありがとう。いやぁ、死ぬとこだったぁ」


 そう言って笑った前太郎さんの目尻の垂れ方に人の良さが滲んでいてでもどうにも拭いきれない疲労感と漂い出している加齢感とでもそれを打ち消す少年のような純粋な輝きがその目にあってこの人こそ私の探していた名探偵だ!と確信しました。

 それが私と前太郎さんの出会いで、私はそのまま助手として働いています。


 今日も殺人事件を三件解決しました。いつもの通り、仕事から事務所へ帰ってすぐにバニラアイスを食べ始めた前太郎さんは、それをスプーンでちびちびと口に運びながら、大きく溜息をつきました。


「ねぇ甘奈ちゃん。なぜ人は人を殺すんだろうか」


 始まりました。事件が凄惨で残虐で重ければ重いほど、前太郎さんはメンタル的にへこんでしまうのです。事件を単に解決すべき対象として処理できず、そこに絡まる人間の憎悪や醜悪さにダメージを受けてしまう。つまり名探偵としては不必要な繊細さを抱えてしまっているのです。優しすぎるのです。だからそもそもこの仕事が向いてないのでしょう。しかし、嘘を見抜く口ひげの精度は確かなもので、それゆえ前太郎さんは名探偵であり続ける運命にあるのです。


「んー人にはそれぞれ譲れないものがありますからね。まぁしょうがないですよ」


 私はそう言いながら、前太郎さんのバニラアイスにチョコレートソースをかけます。


「だからってそんなにサクサク殺せるものかなぁ」

「サクサクって言うか、積もり積もったものが爆発してグサー!みたいな感じなんじゃないですか?」

「そっかぁ、悲しいなぁ。そんな、人を殺してしまうような強い気持ちなんて、悲しいなぁ」

「私はちょっと、わかるかもしれません」

「えぇっ!? 甘奈ちゃんも、人を殺すのぉ!?」

「殺しませんよ! 殺すまではいきませんけど、気持ちがこう爆発するみたいなのは、わかる気がします」

「えぇっ!? 甘奈ちゃんも爆発するのぉ!?」

「しませんよ! 原理として理解できるってだけで、あぁこぼしてますよアイス! もぉー」


 私は前太郎さんの膝の上に垂れたアイスをティッシュで拭き取りました。


「気持ちが溜まって爆発する原理? じゃあ甘奈ちゃんも何か気持ちを溜めてるとか?」

「そ、そりゃあいちおう、年頃の女の子ですから、まぁいろいろ、あったりなかったり」

「うわぁ! 恋だ!」

「ち、違いますよ!」


 その時前太郎さんの口ひげの両端がピョイン!と反応しました。しまった!


「ははは。嘘をつきましたね?」

「ついてません!」


 またピョイン!と跳ねます。だめだ!


「だれだれ? 大学の人?」

「前太郎さんには関係ないです!」


 ピョイン! もうやめて!


「えぇー僕の知ってる人ぉ!?」

「だから、前太郎さんじゃないです!!」


 ピョイーーーーン!!!


「えっ?」

「前太郎さんチョコチップいかがですかあああああ!?!?」

「えっ!? は、はいお願いしますううううう!!」


 私は前太郎さんのバニラアイスにチョコチップをぶっかけました。前太郎さんは私の勢いに押されてあわあわ言いながらスプーンですくって、口に入れました。そしてぱっと表情を光らせます。


「おぉ、おいしい! バニラアイスの冷たさの向こう側からチョコの苦味が来てすごく合う!」

「そうです! ビターチョコチップ、バニラアイスに合うんですよ。カカオ含有量70%のビターなのを選ぶのがポイントです」

「へー知らなかったぁおいしーい!」


 前太郎さんは満面の笑みでスプーンを運びます。とりあえず話をそらすことに成功したので、私はキッチンへ逃げます。バニラアイスの後はミルクティを飲むのがお決まりなので、お湯の準備を開始します。


「ありがとう甘奈ちゃん。君のおかげで、仕事後のこの時間がすごく楽しくなったよ。まだまだ名探偵としてやっていけそうな気がしてる。ほんとにありがとうねー」


 鼻歌を歌いながら言う前太郎さん。私はドキっとした心臓を抑えながら「こっ、こちらこそです!」と上ずった声で返すので精一杯。これだから前太郎さんはもぉ、好き。

 颯爽と事件を解決する名探偵でありながら、その素顔はどこか頼りなくも可愛いらしいおじさん。自分の気持ちに正直で、変に取り繕うのすら下手くそな前太郎さんを前にすると、私はほんとにまるで全然嘘をつけないようです。気を付けないと。


「ところで甘奈ちゃんの好きな人って」

「だから前太郎さんじゃないです!!!」


 ピョイーーーーーーーーン!!!!!


 私、桜餅甘奈。名探偵・朝飯前太郎さんの助手として、これからも精一杯頑張ります!


〈名探偵・朝飯前太郎 了〉

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なにかしら短編集 古川 @Mckinney

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