失恋
首筋から冷たい手が離れていくのがわかった。
私はゆっくりと目を開ける。
彼の虚ろな瞳が目の前にあった。
乾いた暖房が唸り声を上げる。喉の渇きが戻ってくる。少しずつ、身体があの青空から浮き上がって息を吹き返す。それでも彼の名前だけは空白のままだった。
私はゆっくりと立ち上がってスカートの裾を軽く払った。酸欠のような頭痛がした。
黒板の上に設置された時計はそんなに進んではいなかった。
鞄を肩にかけ、首を絞められたことも忘れて日常に戻っていこうとした。私たちの関係性に変化があるのは、きっと、どちらかが死んでしまってからだ。いつまでも私は彼の名前を覚えられないし思い出せない、知らないままで、彼は私を見殺しにできない。私に死ぬ勇気を与えることも、自らの手で殺すこともない。
朝、教室を訪れた時よりも軽い足取りで、私は教室の出入り口に向かった。彼はその場から一歩も動かず俯いていた。
そのまま教室を出ようとして、ふと足を止めた。
鞄の外ポケットに押し込んでいた進路希望調査のプリントを取り出す。几帳面に小さく折りたたまれたそれを広げ、印刷された文字をひとしきり眺めた。卒業後の進路はどのようなものを希望していますか。オープンキャンパスには参加しましたか。大学に進みますか。専門学校に進みますか。就職しますか。
最後に綴られた「未定」の文字を見て、心の底から鼻で笑った。
そしてその紙をくしゃくしゃに丸めて、空のゴミ箱に投げ捨てた。
「死にたくないよ」
彼が顔を上げる気配がした。振り向きもせずに続ける。
「だって怖いもの」
それだけ言い残して、私は教室を出た。
きっと私はこのまま流されるように残りの高校二年生を過ごして終わる。成績不振かあるいは出席日数不足でこの学校から姿を消す。きっとそういう筋書きになっている。そして私の隣の席の彼は努力を続け、私を殺せない彼は空白を埋めるように学年一位に繰り上がる。私は死なないまま何処かを這いずって生きていく。
芹沢さん 藍川理央 @AikawaR
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