失くしてしまった愚かさと純真
「ボクの記憶が偽物だって……」
北斗様の目は宙を
「あなたの記憶を操作したことに関しては謝罪するしかありません。しかしそれには理由があるのです。それを今からお話しいたします」
北斗様は無言で頷きました。意見を述べる気力さえ失っているようでした。
「SNSの終焉から数十年が経ち、この星に再び古代の自然の風景が戻り始めた頃、奇妙な出来事が起きたのです。地球を旅立ったはずの移住船の帰還です。地球だけでなく他の星でもSNSの再来を防ぐために超光速技術は完全に封印されていました。他の星との連絡は光を用いた通信に切り替わっていたため、移住者が目的の星に到着したかどうかを知るには数十年経たなければわからなかったのです。届き始めた通信によれば、地球からの移住者が到着した星はひとつもありませんでした。そして移住船の帰還は年を追うごとに多くなっていきました」
「たどり着けなかったのはボクだけじゃなかったのか」
「はい。今もまだ未帰還の者はおりますが、恐らく数年のうちに全員帰還するであろうと思われています。地球を旅立って帰還までの数十年間、移住船がどこをどのように彷徨っていたのか、それはいまだにわかっていません。船に残された航行記録にもデータは残されていないのです。このような現象が発生した仮説として現在もっとも支持されているのはSNSは星だけでなく宇宙空間にも及んでいた、という考え方です。帰還した移住船の航行記録は全て最初の超光速航行開始の時点で途切れていました。跳躍を開始した瞬間、銀河は移住船も処置の対象とみなしSNSを作用させたのです。星では磁極混乱として現れる現象が、移住船に対しては別時空への跳躍として現れ、地球という細胞が正常化する時まで漂流させ続けたのではないか。そのように考えられております。船が超光速航行に入る時、万が一の事態に備えて必ず冷凍睡眠処理が施されます。移住者の皆様はその状態で別時空を彷徨い、数十年後にそのままの状態で帰還されたのです」
ここで私はお茶をいただきました。もう一度むせるようなはしたない真似はしたくなかったからです。
北斗様はしばらく考え込んでおりました。私の説明が理解できない様子でした。実は私自身もこの仮説を完全に理解しているわけではないのです。いや、私だけでなく誰一人理解できている者はいないでしょう。
行方不明になっていた移住者が冷凍睡眠状態で数十年ぶりに地球へ帰還した、確かなのはその事実だけなのです。
「まだ納得できたわけではありません。あまりにも現実離れした話なので」
北斗様の口調は以前にも増して重々しく感じられました。
「ここが地球であることも、現在が50年後であることも取り敢えず認めましょう。けれどボクの記憶を改ざんしたことだけは認めたくありません。なぜそんなことをする必要があったのですか」
「あなたを守りたかったからですよ、北斗様」
「ボクを守る? 何からボクを守ると言うのですか」
「最初は記憶の操作などはしておりませんでした。帰還して冷凍睡眠から目覚めた皆様にはありのままの経緯を説明していたのです。しかしそれは大きな間違いでした。自分の置かれている状況を理解した帰還者のほとんどが死を選択されてしまったのです。ある方は自ら命を絶ち、ある方は衰弱して病死され、ある方は行方不明となり息絶えた状態で発見されました。人間とは弱い者です。住む場所を変えただけで、親しい方と別れただけで、自分に価値を見いだせないだけで、傷つき、悩み、絶望します。希望の星には行けず、親しい方はすでに世を去り、以前とは全く違う社会システムになっている、そんな環境にいきなり放り込まれた帰還者の皆様の心理的ストレスは想像以上のものだったのです」
思わず声が震えました。思い出したのです。日ごとに元気を失い、やがて死を選んでしまった何人もの帰還者の皆様の姿を。あれは本当に痛ましい日々でした。
「彼らを死の誘惑から守るために当局は記憶の操作を決断しました。移住船が帰還するとすぐに乗組員を中央の生体研究施設へ運び、冷凍睡眠状態のまま脳へデータを送り込みました。『最初の跳躍で事故。救命船による漂流。偶然見つけた星への着陸を決意。救命船は燃え尽きカプセルだけが地表に到達』全ての帰還者に同じデータを植え付けました。そして実際に彼らをカプセルに入れて、特別に割り当てられた集落へ運び、そこの住人に発見させたのです。その後は北斗様の記憶にある通りです。この処置によって帰還者の生存率は大きく向上しました。この星への着陸は自分の意思である、それだけで人は生きる希望を持ちえるものなのです。わかっていただけたでしょうか」
私の話は終わりました。いつの間にか空になっていたはずの湯呑にはお茶が満ちていました。西様が注いでくれたのでしょう。それを一気に飲み干し、それから深く息を吐きました。
「ここは地球……50年後の地球……じゃあ母さんや父さんは……」
北斗様の言葉は質問ではなくただのつぶやきのように聞こえました。私は答えます。
「残念ながら20年ほど前にお亡くなりになっておられます。しかしそれは移住船が帰還し始める前のことです。北斗様は無事に移住先の星へ到着し、今の地球と同じように農業中心の生活をしているはず、そう信じて逝かれたはずです」
「じゃあ、ボクの友達はどうなっているんですか。ボクの同級生、そして彼女は……」
この質問には即答できませんでした。少々厄介な問題があったのです。どのように答えようかと思案していると西様の口から思ってもみなかった言葉が飛び出しました。
「ミナミさんは生きています。家庭を持って幸せに暮らしているそうです」
心臓が止まるほど驚きました。南様については真実を教えないでおこうと事前に西様と打ち合わせしていたからです。SNSの混乱の中で行方不明になり、その後の消息はわからない、そのように私が説明するはずだったに、どうして……
「サイ!」
北斗様はいきなり立ち上がると乱暴に西様の肩を掴みました。
「どうして君がそれを知っているんだ」
「中央に問い合わせたのです。あなたが初恋の人を教えてくれた日に。そして生きていることを知りました」
「じゃあ君は南さんがこの国で暮らしていることを知っていながら、1年もの間、ボクには何も教えてくれなかったのかい」
無言で頷く西様。私は眉をひそめました。ああ、どこまで正直な方なのでしょう。あなたの口から言うべき話ではないのに。
「勘のいい君なら気付いていたはずだ。口では何とも思っていないと言いながらボクの中には彼女への気持ちが残っていることを。それなのに1年間もボクを騙し続けていたなんて。君がそこまで冷酷だとは思わなかった」
「お待ちください、北斗様」
このような言い方をされては黙ってはいられません。私は少し強めの口調で話しました。
「西様は正直で優しいお方です。南様についてお話しできなかったのは私たちの依頼を引き受けたからです。書き換えられた北斗様の記憶と矛盾するような言動は慎んで欲しい、その要請を守るためには隠し通すしかなかったのです。責められるのは西様ではありません。そのような無理な依頼をした私たちです」
「いいえ、それは違います、アズマさん」
西様は曇りのない眼差しをこちらに向けました。その瞳には強い意思が宿っていました。
「あなた方の要請がなかったとしてもあたしはミナミさんのことを言い出せなかったでしょう。もしホクトさんがそれを知れば、きっとあたしを捨てて彼女の元へ走ってしまうに違いない、あたしの中にはそんな気持ちが確かにあったのです。嫉妬、そうあたしはミナミさんに嫉妬していたのでしょうね。ホクトさんの心の中にはいつも彼女がいたのですから」
「西様……」
私は両手で顔を覆いました。なんという愚かな振る舞いなのでしょう。このような言葉は北斗様の怒りを静めるどころか、逆に火に油を注ぐようなものです。
「だったらどうして今になって教えるんだ。記憶の書き換えも南さんのことも黙っていてくれればよかったのに。そうすれば君もボクも苦しまずに済んだ、そうだろう」
「つらかったのです、あなたを騙し続けるのが。人は騙せても自分は騙せません。あなたに嘘を言うたびに人を騙している自分を再認識してしまう、それがつらくて我慢できなかったのです」
私は自分を責めました。帰還者の世話という大役を押し付けてしまったために、これほど正直で心の美しい人を苦しめてしまったのですから。
「嫉妬していたから話さなかった、騙すのがつらかったから話した。君の言っていることは支離滅裂だ。わかったよ、サイ。君がそんな人だとは思わなかった。結局自分のことしか考えていなかったんだね。ボクの幸せより自分の幸せ、そして当局の指示のほうが大切だったんだね」
「北斗様、私の話を忘れたのですか。これはあくまでも帰還者の命を救うための処置なのです。西様から聞いております。最初の一週間、北斗様は死についてばかり考えておられたのではないですか。それを思い留まらせたのは誰ですか。もし西様がいなければあなたはどうなっていたでしょう。こうして生きていられるのは西様のおかげではないのですか」
「それについては感謝しています。ですが1年間もボクを騙していたことは許せません」
「……」
私は言葉を失いました。もはや北斗様を説得する手立てはない、そう思ったのです。
「では、北斗様はこれからどうなさるおつもりですか」
「真実を知った以上、ここには住めません。サイとの結婚も止めます。アズマさん、他に住む場所を紹介してくれませんか」
「わかりました。では当局とも相談の上、数日後もう一度訪問させていただきます。それまでに荷物をまとめておいてください」
「わがままを言ってすみません。失礼ですが少し席を外します。ここにいられるような気分ではないので」
北斗様は乱暴に椅子から立ち上がると扉を開けて出て行きました。私の失望は愚痴となって口からこぼれ落ちました。
「やはりこんな結果になってしまいましたか。残念です」
「ごめんなさい、アズマさん」
西様の弱々しい声が聞こえます。見ればその頬には涙が流れていました。声もたてず、肩も震わさず、ただ静かに西様は泣いていたのです。
「あなたが謝る必要はありません。無理なお願いをした私たちが悪いのです。同じ帰還者のあなたなら北斗様ともうまくやっていけると思ったのですが、やはりこれだけの任務を背負わせるには若すぎたようですね。さあ、涙を拭いて」
私が渡した布を西様は頬に当てました。それから大きく深呼吸すると顔を上げました。
「もう大丈夫です。お恥ずかしい姿を見せてしまいました」
「いいえ。気になさらないでください。今さらこんなことを申しても詮無いことですが本当にこれでよかったのですか。ほとんどの帰還者は真実を知らされることなく幸せに暮らしています。騙し続けるつらさより北斗様と共に生きられる喜びの方が遥かに大きいはず。それなのにどうして全てを打ち明けようと思ったのですか」
「ホクトさんがこれからあたしと共に生きていく人だからです。話したくないことは話さなくてもいい、でも話すのならば嘘ではなく全て真実であるべきです。もしそれでホクトさんがあたしを嫌いになるのなら仕方がないと思って諦めよう、そう考えたのです」
なんと愚かな考え方なのでしょう。そんなことをすれば破局は確実なのに敢えてその道を選ぶとは。
しかし私はまたそんな西様を少し羨ましく感じていたのです。そこには私が忘れてしまった純真さがありました。
そう、私もかつてはそのような愚かさを持っていたのです。北斗様のように些細なミスや欺瞞を許せず怒りに駆られたり、西様のように自分の正義を押し通すために不利な選択をしてしまったり、そのような時が確かに私にもあったのです。
しかし生きていくうちにその純真さは打算へと姿を変え、愚かさは小賢しさへと姿を変えました。西様の選択に敬意を払えぬ自分に、私は若干の恥ずかしささえ感じ始めていたのです。
「西様にはつらい役目を押し付けてしまいましたね。心より謝罪します」
「いいえ。こんな結果になってしまいましたが、私にとってこの1年間は掛け替えのない思い出となって残るでしょう。たとえこの先一人だけの人生となってもこの思い出があれば寂しくはありません。アズマさんには本当に感謝しています」
胸が熱くなりました。なぜ北斗様は彼女の中にある気高い精神に気付けなかったのか、不思議に思えてなりませんでした。
「さて、湿っぽい話はそろそろ切り上げましょうか。帰る前に北斗様とお話がしたいのですが、行く先に心当たりはありますか」
「きっと南にある高台のクスノキだと思います。あの人のお気に入りの場所なのです」
「わかりました。行ってみます」
私は出しっ放しになっていた書類を鞄にしまうと会釈をして家を出ました。南に目を向ければ立派な楠が空に向かって大きく枝を広げています。
「西様の幸せ、北斗様の幸せ、二人が幸福な人生を送るために今の私に何ができるだろうか……」
そんなことを考えながら私は楠に向けて歩き出しました。
恐怖から始まった扉の向こうで騙されて失った恋は……第三話 沢田和早 @123456789
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