恐怖から始まった扉の向こうで騙されて失った恋は……第三話

沢田和早

 

キミは絶対に騙される

銀河による治療

 その家は1年前とほとんど同じでした。

 木材と土壁で作られた粗末な平屋。質の悪いガラスをはめ込んだ窓。

 ただ掃除と手入れが行き届いているせいか荒れ果てたという印象は少しもなく、むしろその素朴さからは落ち着いた雰囲気さえ感じられました。


「こんにちは」


 玄関にぶら下がった鈴を揺らして声をかけると、すぐに扉が開かれました。出てきたのは西さい様です。


「遠いところをお越しいただきありがとうございます。さあ、どうぞ」


 招かれて中へ入ると北斗ほくと様が立ち上がって挨拶をしてくれました。初めて会った時よりも日に焼けてたくましい体付きになっています。


「お元気そうですね、北斗様」

「おかげさまで。この星の生活にもすっかり慣れました」


 明るい言葉を聞かされて重かった心が少し軽くなりました。

 テーブルについて出されたお茶を一口いただくと、私はすぐ用件に取り掛かりました。


「このたびは結婚を決意されたそうですね。おめでとうございます」

「ありがとうございます」


 照れくさそうに微笑む二人は子供のように見えました。まだ17才ですが今の社会では決して早すぎるわけではありません。私は鞄から書類を取り出しました。


「ご存じとは思いますが20才未満の婚姻には成人2名の保証が必要となります。こちらはそのための同意書。それからこちらは婚姻届け。こちらは……」

「あの、アズマさん」


 私の説明は西様の言葉で遮られました。目を上げると申し訳なそうにこちらを見ています。


「すみませんがもうひとつの依頼を先に済ませていただけないでしょうか」


 私はため息をつきました。実はこの依頼に関しては西様が翻意してくれることを望んでいたのです。できれば婚姻に関する説明だけして帰りたい、それが私の希望でした。


「構いませんが、本当によろしいのですか。それはあなたにとって大きな不利益になるかもしれないのですよ」

「はい、覚悟はできています。けれどもこれからずっとホクトさんと夫婦として暮らしていく以上、それはどうしても必要なことだと思うのです」


 西様の決心はよほど固いのでしょう。私は諦めるしかありませんでした。


「わかりました。それでは先にそちらを済ませることにいたしましょう。北斗様、これからの説明は全てあなたご自身に向けられるものです。驚かれるかもしれませんが、冷静に受け止めていただきたく思います」

「あ、はい。わかりました。何だかちょっと怖いな」


 無邪気に笑う北斗様を見ると心が挫けそうになります。が、弱気な自分に鞭打って私は始めました。


「1年前、私はここに資料や本を置いていきました。読まれましたか」

「はい。と言っても直接読んだのではなくほとんどサイに読んでもらったのですが」

「そこに書かれていた内容、特にこの星の歴史に関する記述は全て偽りです」

「えっ!」


 北斗様の驚きを無視して私は言葉を続けます。


「単刀直入に申し上げましょう。この星は地球です。そしてこの土地はあなたが生まれ住んだ国なのです」


 家の中は沈黙に包まれました。西様も北斗様も何も言いません。私も何も言わず次の言葉を待ちました。


「……ふふふ、ははは」


 北斗様は立ち上がるといきなり笑い始めました。おかしくて仕方ないようです。


「これは何の冗談ですか。もしかしてこの星には結婚の決まった男女をからかう風習でもあるんですか。そんな嘘でボクを騙してどうしようって言うんです」

「騙してなどおりません。真実を申し上げております」

「この星が地球のわけがありませんよ。ボクが地球を発ったのは約1年前。地表の大部分は放射性廃棄物と有害物質に汚染され、動物はもちろん植物ですらほとんど絶滅していました。ボクらの国で自然が残っているのは富士高原だけ。人類はコロニーの内部で生きていたのです。それなのにここはどうでしょう。米も豆も育ち、昆虫さえ生息しています。たった1年でこれだけの自然を取り戻せるはずがありません」

「おっしゃるとおりです。いかに科学力を駆使しようと失われた自然を1年で回復するのは不可能でしょう。しかし半世紀の時をかければそれは可能と言えるのではないですか」

「半世紀……そんな、まさか」

「そのまさかです。北斗様が地球を発たれてからすでに50年以上の歳月が経過しているのです」

「サイ、本当なのか」


 弱々しい声で尋ねる北斗様に無言で頷く西様。胸が痛みました。彼女には本当につらい役目を負わせてしまったのですから。


「そうか」


 北斗様は静かに椅子に座りました。西様が嘘をつけない人物であることは北斗様が一番ご存じのはずです。これで私の言葉にも素直に耳を傾けてくれるでしょう。


「話さねばならないことはたくさんあります。そうですね、まずはSNSから始めましょうか。今日こんにちではあれは厄災ではなく、銀河という疑似生命体によって処置された一種の浄化作用と考えられています」


 北斗様は何も言わず黙って聞いています。私は続けます。


「地球からの移住を開始して1年半ほど経った時、一番近い入植惑星から急報が届きました。驚くべき内容でした。その星でもSNSが発生していたのです。超光速通信の伝達速度は光速の10倍程度。15光年離れたその星から1年半後に届いたのですから、ほぼ地球と同時に発生したものと考えられました。当局は移住を一時中止させ他の星からの連絡を待ちました。同じでした。人類が移住した星では、ひとつの例外もなくSNSが発生していたのです。移住計画は完全に停止されました。その結果、地球に残された7割近い人類は逃げ場を失って大混乱に陥いりました。その頃の記録は正確には残っていませんが、その混乱によって半数近くまで人口が減った、そのような説もあるほどです」

「それが本当なら、事故が起きて移住先の星に行けなかったボクはすごく幸運だったってことですね」


 私は眉をひそめました。北斗様はまだここが地球であることを理解してくれていないようです。が、今、その間違いを指摘しても仕方ありません。私は話を続けます。


「多くの人々が絶望する中であることに気付いた人々もいました。地球を覆っていた汚染物質が劇的に減少しつつあったのです。人類によって奪い尽くされ汚されてしまった地球の海や大地。それが元の姿を取り戻し始めていたのです。SNSが始まって3年後、突然磁極混乱は収まりました。その時には地球は完全に浄化されていました。大気も大地も水も光も、その中で生物が自然に生きられる状態にまで回復していたのです。しばらくして届いた他の星からの連絡で全ての移住惑星で同じ現象が起きていることが確認されました。ただ、SNSが持続した期間については星によってまちまちでした。最も長く続いたのは地球です。そして科学の発達が進んでいる星ほど長く、農業を中心に開拓された星ほど短期間で終了していました。僅か1ヶ月程度で収束した星すらありました」

「つまりSNSの目的は人類の科学を滅ぼし星々の自然を回復させることだった、そう言いたいのですか」


 北斗様は並々ならぬ興味を示しています。どうやらSNSから話し始めたのは正解だったようです。


「いえ。その考え方は部分的に正しいのですが正解ではありません。なぜなら人類とて自然の一部に過ぎないのですからね。銀河から見れば人類の文明など蜂の巣や蟻塚とたいした違いはないのです。取るに足りないものです」

「ではどうしてSNSのような現象が起きたのです」

「人類の発達が性急すぎた、銀河はそれを正そうとしただけ、というのが現在最も信頼されている説です。光速を超える技術、これが銀河の逆鱗げきりんに触れたのでしょう。この技術は今の人類には早すぎたのです。そうですね、人体に例えるなら、身分不相応な技術を手に入れた人類はガン細胞のようなもの、銀河はこれを治療し正常な細胞に戻すために治療を施した、それがSNSという現象となって現れた、そんな風に言えると思います。ごほごほっ、失礼」


 はしたなくもむせてしまいました。少し喋り過ぎたようです。

 冷めてしまったお茶を飲んで喉を潤しました。一息入れてまた話し始めます。


「SNSが収束した後、地球をどのように立て直すか、それが次の課題となりました。もし銀河が人類の科学技術を疎ましく思うのなら、以前と同じ社会システムを構築すれば再びSNSを招きかねません。そこで当局は超光速技術を完全に封印し、数千年前の農業中心の社会を目指したのです。科学的な建造物や施設の大部分は破壊されていましたが、中央のエネルギー発生施設、そして電算システムと記録センターは強固な隔壁に守られて無傷でした。そこには絶滅した生物たちのDNA情報が保管されています。またこの国で唯一自然が残されていた富士高原はSNSによる被害を一切受けませんでした。その地を中心としてDNA情報から蘇らせた植物や昆虫を繁殖させ、50年かけてようやく現在のような姿にまで回復させたのです」

「そうですか……」


 北斗様は顔を上げると窓の外を眺め始めました。これまでの話を少し整理したいのでしょう。

 西様が新しいお茶を入れてくれました。まだ喉が渇いていたので有難く頂戴しました。


「お話はよくわかりました。アズマさんの話が本当ならばここが地球であっても少しの不思議もありません。ですが、まだ疑問は残っています」


 北斗様は険しい眼差しで私を睨んでいます。平静を装って私は答えます。


「どのような疑問ですか」

「SNSから50年経っていることです。それはボクの記憶とは完全に矛盾しています。移住船が事故に遭ったのは出発から11日目。この星に来たのは103日目。そしてボクはまだ17才です。この点についてはどう説明されるのですか」


 北斗様の口調に静かな怒りを感じたのか、西様が身を強張らせました。ここからの説明は私にとっても、そして彼女にとってもつらいものとなるでしょう。しかしもう後には引けません。


「私が置いていった資料や本の記述が偽りだったのと同じように、その記憶もまた偽りです。私たちがあなたに植え付けた架空の記憶に過ぎません。あなたは事故に遭い、冷凍睡眠の処理をされて別時空を漂流し、SNSから50年経った昨年ようやく地球へ帰還した、これが実際に起きた出来事なのです」

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