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※※※
次の日、私は寝坊した。白いばかりの部屋でカタカタ音が響いている。ベッドから見る、こんなに明るい寝室は初めてだった気がした。何時だろう。リビングから聞こえる音は蟹が水槽を叩く音に似ている。でも似ているだけだ。だから余計に静かだった。
「キャリー?」
ガタン、カタカタ音がひときわ大きく鳴った。キャリーの返事はない。キャリーは毎朝、決まった時間に必ず声を掛けて起こしてくれる。今朝は起こしてくれなかったみたいだった。どうして。昨日の今日だから。
おそるおそる、ゆっくりリビングに入ると、コンロの鍋がひとりでにカタカタ震えていた。
「タマちゃん」
『あらアキ。おはよう』
空っぽの鍋がカタカタ震えて、口に載せた蓋が振動で踊っている。鍋の内側全体からタマちゃんの声が響いた。タマちゃんが話す度、蓋が唇みたいに動いた。
流しにはまだ蟹の殻が散らばっている。生臭い。
「キャリーは? なにか言ってた?」
『昨晩あれからネットワークに行ったきり。しばらくしたら戻ってくるんじゃない?』
「タマちゃん、追い出したんじゃないよね」
『わたしは、ね。でもキャリーはわたしに追い出されたと思ってるかも。でもどうだって、キャリーはここに戻ってくる。愛する蟹の殻のために、間違いなく』
「殻?」
『《カルサイト》に《アラゴナイト》に《ファテライト》、そしてわたしが該当する《アモルファス》』
「電子生命の種類でしょ? それもとびっきりの巨大種族、て言い方はあれだけど。《アモルファス》は初めて聞いた。タマちゃん、ほんとは元から電子生命だったとか?」
人間でいうところの人種に近い。電子生命の巨大種族は、必要とする容量の大きさだ。三大巨大種はそのぶん処理能力に長けている。できることが単純に多い。電子生命だけに、その差は明らかに出てしまう。
『《アモルファス》はわたしみたいなイレギュラーを指すんだって。結晶に非ず、だが構造を同じくするもの』
「炭酸カルシウムの結晶多形だっけ。非晶質炭酸カルシウムをアモルファス状炭酸カルシウムって呼んだんだったかな」
『その通り。さすが、前線エンジニアを両親にもつだけある。わたしたちは炭酸カルシウム中に生まれる電子パターンから派生しているに過ぎない』
「だけど、炭酸カルシウムは今の地球できっと唯一不朽のものだから、だから生き残っている」
『そう。その通り。珊瑚に貝に甲殻類。海が地を全て飲み込んで、炭酸カルシウムの海上地面(《フロート》)で生きているこの地球では、そう』
私の両親は、元は行動学者とエンジニアだった。だけど今は、海底の研究所で大勢の電子生命と一緒に地球を救う手立てを探している。海底には多くの炭酸カルシウム、鉱石がある。海上地面(《フロート》)よりずっと多くの電子生命が存在しているから。
『わたしたちは、同じ結晶をもつ炭酸カルシウムを摂食する本能が備わっていて』
「摂食?」
『《カルサイト》であるキャリーが、非晶質炭酸カルシウムで構成される甲殻類の殻を摂取したいなどということはありえないことだったの。だから、わたしは《アモルファス》になった。わたしは奇跡か偶然だと思いたかったけれど、アキのお父さんの差し金。キャリーは《カルサイト》から逸脱しようとしている。わたしは、キャリーがどうなるのか観察し判断し手を下さなくちゃならない』
「なに、なに言ってるの、タマちゃん」
『キャリーの逸脱は、電子生命の進化なのか衰退の一歩なのか判断する。わたしはそのために生命をもった。キャリーは今、他の電子生命たちと相談しているはず。知恵をつけて帰ってくる』
かちり。歯が鳴った。摂食機構だ。袋をたわませて、かちり、かちり、キャリーが歯を舌で舐める。
「アキ、わたくしに蟹の殻を下さい」
「キャリー・・・・・・」
『おかえり、キャリー。答えは見つかった?』
「答えもなにも、問いも疑問もありません。無かったのは、わたくしの覚悟でした」
「キャリー。キャリー、答えて。おいしかった? 蟹、蟹を、キャリーは、おいしいって感じた? おいしいって思ったの?」
「・・・・・・アキは、どの答えがお望みですか。わたくしが、おいしかったと言うことですか。ただの電子生命であるわたくしにはやはりわからなかったと言うことですか」
「はぐらかさないで、答えて。キャリーがどう思ったのかが聞きたい。答えるべき答えじゃなくて、キャリーの気持ちを」
私も、私だって蟹が好きだった。愛していた。キャリーとは違う種類の愛かもしれない、蟹は私をキャリーと同じようには思っていなかっただろう、だけど、私だって蟹が好きだった。だから、キャリーの気持ちはわかるはずだ。私たちは理解しあえる。私達だけは。
「おいしい、と分類される味でした。ですが、わたくしには認めがたい事実でした。わたくしには発語できない、いいえ、したいと思わない事実だったため、わからないと答えたのです。わたくしは、わたくしの欲望のままに蟹の生命を奪い、食したにも関わらず、おいしいなどと。いえ、しかしながら、蟹としてはおいしいと判定されることこそが望みであったのかもしれないと。ですから、わたくしは蟹を迎えに来ました。蟹の殻に電子生命の萌芽を発見したとして、蟹自身ではないでしょう。わたくしが認めません。わたくしも、アキもそうでしょう。ですが、蟹の殻に宿る《アモルファス》もまた、蟹を構成していた一部でもある。蟹を共有した、わたくしとアキと、同じくする仲間なのです」
『だから砕くの? その歯で?』
「ええ。その通りです。さあ、アキ」
私は今度こそ迷わなかった。流しに散乱した蟹の殻をかき集め、盆に入れる。
キャリーの口に甲羅を差し入れた。
ざり、ごり。キャリーは甲羅に歯を立てる。噛み砕けず、歯ぎしりするみたいに左右に歯を滑らせた。
「ああ・・・・・・」
キャリーの喉の奥から悦に入った音が漏れる。
「キャリー?」
ガタガタ、コンロの鍋が大きく震えている。タマちゃんが止めてと叫んでいる。私はキャリーの顎から甲羅を引き抜こうとして、甲羅を掴んだとたん手がびりりとした。目の前がちかちかして、震える。歯が噛み合わなくてがちがち言っている。でんき。電子。これは、これが。
※※※
つめたいみずのなかにいた。わたしのしたからうえへ、するする、なでられていく。くすぐったくて、やさしくて、きもちがいい。
わたしはばらばらになって、うみのそこへおちていく。けれどせかいはとてもひろくて、ひかりにみちている。でんし。とてもちいさなわたくしたち。わたくしたちにせいめいがあるとするならば、すべてがらくえんでありじごくだ。ああ――あつい。ぼこぼこする。あつくて、あつくて、わたくし、わたしたちは、ばらばらに――。
『アキ、アキ、ねえ聞こえる?』
タマちゃんの声だ。聞こえる。聞こえるとは少し違う。タマちゃんの声がわたしたちを震わせる。
「聞こえる、聞こえます」
わたくしたち、わたしは声をつくる。
『ごめん、アキ。わたし、どうしても話しがしたくて。あなたたちを茹でてる』
「わたし、たち」
『アキは、キャリーと蟹に巻き込まれて・・・・・・感電して心臓が止まったの。もしかしたらと思って甲羅を茹でてみたら、アキが移っていたみたい、少しだけ』
「そんなこと、ある?」
『蟹と同じだよ。ほんとうだとは思ってなかったけど、本当だった』
蟹と同じ。食べられた蟹が、甲羅に電子生命として残っている部分があるかもしれないって。でもそれなら、おそらく、たぶん、このわたし、わたくしたち? は正確にアキではない。
「わたしたち、って、アキと、キャリーと、蟹が混ざっているのかも」
まとまらない。まっしろく、ちかちかする。思うことがまとまらない。
『アキは、本当は蟹を食べてみたかったんじゃない?』
それは。ぐるぐるする。蟹が箱の底でおが屑に埋もれているのを見たのを思い出す。
『お母さんから送られて来た生きている蟹でしょ。挙動翻訳を実現した行動学者のお母さん。エンジニアのお父さんと一緒に海底で地球を救おうとしている二人から送られて来た、炭酸カルシウムの殻を持った生き物だよ。それを、どうして、食べられないから、だなんて言うの?』
「そうだよ。そうでした。そうだったのですか? うん、ええ。そう。タマちゃん、分かっているくせに、わたしに言わせたいんだね。わたくしが泣いてる」
食べてみたかった。ううん、食べてやろうかと思った。私には、蟹をどうしたらいいのか全然わからなかったから。だから、台無しにしてやろうかって。だけど、私には茹でられなかった。蟹と眼が合っちゃったから。
「でも私は、挙動翻訳辞書をいじってなんかいない。そんなことしなくても、茹でちゃえばよかったんだから。だから、運命なのかと思った。蟹がキャリーに食べられたいって言ったことが。だから、私も食べた」
おいしかった。わたくしの中のが怒り狂っている。
「おいしかった。すごく。おいしかった。キャリーもおいしかったでしょ? 私、もっと食べたい」
同じ味はもう絶対ない。あるわけがない。ならもう一度。もっとたくさん。一口だけだなんて。
「タマちゃんは、シミュレートデータなんでしょ。観測データを再現してるんだよね? 観測はできるんでしょ」
『アキ?』
海上地面(《フロート》)は炭酸カルシウムだ。ネットワーク網も、サーバーも、今はほとんどが炭酸カルシウムだ。過去を観測して――もっとずっと前、大陸がまだ海の上にあった頃を、炭酸カルシウムたちで再現したら。することができるなら?
『アキ、何言ってるの? それじゃあわたしは』
「タマちゃん、もしもできたら、蟹をいっぱい食べて。わたし、わたくしたちの代わりに」
タマちゃんの揺れる声を遮る。タマちゃんの振動より大きな震えをつくって飲み込む。
ただの電子の運動エネルギーにまでなっても私を持ち続ける奇跡があるなら、できるはずだ。
「でも忘れないで、タマちゃん。肉体を捨てちゃいけない。ヒトの魂が電子生命にかたちを変えることは、進化だけど――進歩じゃない」
タマちゃんはわかっているはずだ。だからわたしたちを捕らえようとして――手を伸ばした。でもわたし、わたくしたちはタマちゃんの伸ばす手、タマちゃんが掌握できる容量を超えている。タマちゃんの指の隙間を抜け、わたしとわたくし、蟹は潜る。
ずっと奥へ。タマちゃんの来た道筋を遡って、再現シミュレーションデータのサーバ、その向こう。私が見たいものは、ずっとずっとずっと昔の、記録で見たもの。タマちゃんが見ていたもの。海が地球を覆う前の、とても高い建物、樹、森、山。ああ、これ、これだ。
引っ張る。引っ張るイメージ。私たちのてっぺんが、景色を吸い込んで盛り上がる。炭酸カルシウムが盛り上がる。割れる。伸びる。海底を盛り上げて、海を押し上げて、海底の研究所が見えた気がした――しろいばかりの海底が地面になって、色を付ける。ずん、ずん、ビルが生える。街が割れ目から飛び出る。山ができて谷ができて、湖、川、海ができる。わたしたちには遠く、霞んだ景色は色あせていく。
※※※
「なんて言った、環?」
タマの目の前には蟹が山になっていた。まっかに、湯気を上げている。テーブルには父と母、伯父とおば、姪に年の離れた弟。みんなが蟹の殻を砕くのに夢中になっている。聞いてきたはずの母も、蟹から眼を逸らしていない。明らかに面倒くさそうに聞き返してきていた。
「だから! 女の子が蟹を食べるために再現データを物質化したんだって!」
「へえ?」
この場の誰も聞いていない。突如意識をもった、生き返ったようなわたしたちは、なんの変哲も無い生活を続けている。これが二回目の時間じゃないみたいに。
けれど、アキのご両親は生きているし――テレビで見た――、地球に二百年前が再現されたことは確かなのだ。ただ、アキとキャリー、蟹がしたことだと知れていないだけで。だれも聞く耳をもたない。けれどほんとうに確かなのだ。
その証拠に、わたしの骨は炭酸カルシウムでできている。
(了)
蟹摂食思考機構 木村凌和 @r_shinogu
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