蟹摂食思考機構

木村凌和

1

『え、待って待って待って。なんて言った?』

 ディスプレイに映ったタマちゃんが眉間に皺を寄せる。あお髪のポニーテール、まるいのに鋭い眼つき、すっきりとした顎と鼻筋はデータであることを差し引いてもとてもきれいな女の子だ。そんな顔も、タマちゃんが片手で頭を抱えたからそれ以上は見えない。

 私のひいおばあちゃんにあたるタマちゃんの、私と同い年だった頃をシミュレートしたデータ・・・・・・らしいけど、私達からすれば感覚はタイムスリップだ。過去のヒトと話している。本当にタイムスリップなんだっけ? 施設利用時に毎回受ける額面通りの説明がなんとなく頭の中を駆けめぐる。指定時間から観測したデータを再現しているだけ、過去干渉によって起きた大事故の再発を防ぐため、うんぬん。結局シミュレートじゃん。

「じゃもう一回ね」

 十七歳のタマちゃんに、私の表情と発言を入力した反応が再生される。タマちゃんは鋭い眼をぐんにゃりさせて、手で私に先を促す。

「うちに帰ったら、シェアメイトの蟹が《カルサイト》のキャリーに告白してたの」

 事は二十四時間前に遡る。


※※※


 14:33:05 pm

 室温変更24.0℃

 挙動翻訳・・・・・・・・・・・・

 「キャリー、愛しています」


「はいいいいいいい?」

「お帰りなさい、アキ。なにもありませんでしたよ。わたくしがいるから当然ですが」

 思わず大声をあげると、キャリーが声をすっ飛ばしてきた。リビングのスピーカーからだからだいぶ大音量だ。淡々とした素っ気なく冷たい声だけど、照れ隠しであることを私はちゃあんと知っている。

 私は月一の登校日から帰ってすぐ、部屋のログを一日分確認したところだった。

 私とキャリー、蟹がシェアする部屋は私の所有物だ。だから部屋の管理責任は私にある。一応。ほとんど部屋を管理し掌握しているのは《カルサイト》であるキャリーだった。キャリーがいる限りなにも起こりようはないんだけど、管理責任として一日部屋で起こったことを玄関のモニターで斜め読みして、なにもなかったことを確認するはずだった。

「え、あ、うん。ただいまキャリー。いやいちおう確認、確認をね。ね、キャリー」

 蟹となにかあった? 言いかけて思いとどまる。キャリーがすんなり話してくれるわけがない。この高慢ちきな電子生命――《カルサイト》シリーズのひとりは、電子生命だけあってヒトをはぐらかすのがうまい。

「なんでしょう? アキのことだから大したことではありませんね。一件申請事項があります」

 一昔前までは人工知能と呼ばれていた存在も、今は〝あらゆる生命を有するものが持ちうる権利〟を慮って電子生命と呼ばれる。彼らあるいは彼女らは、世界じゅうに及んだ電子網を駆け回り、サーバー上にたむろし、インターネットと呼ばれるものから電子生命以外を排除した。

 こんにちインターネットに接続することができるのは、電子生命にコネがある者だけだ。例えば私みたいに、部屋をシェアしているとか。電子生命は優れているほど身体が大きくなる。リソースの燃費が悪いぶん、たむろするサーバーも限られる。だからこうやって、電子生命はヒトの住居を管理しインターネットにゲストしてやる代わりに本拠地となるサーバーを求めるのだ。私の部屋にはたまたま両親が置いていった、お下がりのサーバーがあった。

 あくまでも大家は私だから、シェアメイトである限りキャリーは部屋のシェアを始めたときに決めた権限以上のことをするには私の許可が必要になる。

「摂食機構の購入を申請します。ご心配なく、わたくしの口座から送金済みです。アキには手の届かない高級品ですが、わたくしには余裕ですので」

「別にいいけど。摂食機構? キャリー、味覚に興味なかったよね? どうしたの?」

「……蟹が」

 キャリーは気まずそうに言葉を切った。もぞもぞなにか言っているようで、ははあ、これは私に見えないところで蟹と会話してるんだな――私、まだ玄関だし。蟹の姿見えないし。蟹との会話はキャリーの、蟹の挙動から意思を読みとる挙動翻訳しかないわけだし。目の前で内緒話されるのって良い気がしない。蟹はなんだって? え、ていうかキャリー、蟹の告白に応じるわけ?

「わたくしに食べてほしいと、言うので」


※※※


「と、まあ、そういうわけでして」

『アキが同居人の恋愛事情に戸惑ってるのはわかった』

「そうそう、それで合ってる、合ってるんだけど」

 ディスプレイに映る十七歳だった頃のひいおばあちゃんは、私の一番の相談相手だ。血が繋がってるわけじゃないんだけど、だから素直に友達感覚でいられるのかもしれない。こんなのプライバシーすぎて友達にも相談できない――登校日が過ぎたばかりで直接会うなんて無理だ、みんな住んでるところがばらばらだし、電話はキャリーが全部記録しているんだから、藁でもシミュレートデータでもなんでもすがりたい気分だった。

『蟹がキャリーを好きなのが変ってこと?』

「……わかんない、正直。でも好きなら好きで、食べるとか食べられるとは別じゃない? とかなんとか……」

『愛には……色々なかたちがあるから……』

 タマちゃんが眼を泳がせる。私だってタマちゃんだったらそうとしか言えない。言えないんだけど、

「なんだかもやもやするんだなあ……。もしかしてこれって【ピーッ】【差別的表現です】」

 言い終わらないうちに、システムの警告音に割って入られた。システムに太鼓判を押されたみたいでへこむ。

『アキの時代には色んなひとが住んでるから、大変だよね。わたしじゃ想像の限界』

 タマちゃんが取りなしてわらう。ひとごとならではのお気楽さだ。

『大切なお友達なんだから、思いやりを忘れちゃいけないと思うよ』

 タマちゃんだったらどうするの。聞く前に結論を出されて突き放されたみたいだった。いや、どっちつかずの相談をした私がいけなかった。

 家に帰ると、巨大な箱が玄関でばらばらにされていた。壁に内蔵されているアームがキャリーに操られて、中身――銀色の棒やらコードを並べていく。

「ただいま、キャリー。これ、摂食機構? 早いね?」

「おかえりなさい、アキ。超特急便で手配しましたから」

 こんなに早くお目にかかると思ってなかった。浮き足だつキャリーの横を通り過ぎて、リビングの蟹と眼を合わせる。蟹の水槽はソファーの後ろ、棚の一番上だ。対角線上の部屋の隅には、キャリーが詰まっているサーバーが天井までそそり立っている。

「ただいまー蟹ーっ」

「【挙動翻訳】おかえりなさい」

 蟹は蟹っていう名前だ。毛ガニだ。お母さんから送られてきたんだけど、どうにも私には食べられそうもなかった。水を張ったバスタブの後水槽に入れて、私のシェアメイトになっている。

 全体が楕円のもったりとしたフォルム、はさみも脚の一本一本も丸みが強く、どっしりとした存在感がある。表面を毛が覆っていて一見厳めしいが、眼はとてもつぶらで大きく、くりくりしていて表情豊かだ。今も私を見上げて身体を横にゆする。私が帰ってきて喜んでいる。かわいらしい。

 これだけ表情豊かだから、両親が研究してサーバーに保存している挙動翻訳も適応できる。また、電子生命の中でもひときわ異才を放つ《カルサイト》シリーズのキャリーだからこそ挙動翻訳を実用して意志疎通できているのだ。

 蟹……、あなた、キャリーに食べられたいほど焦がれていただなんて……。

 気がついていなくてごめん。ごめん? これもちょっと違う。

「ありがとう、蟹」

 水槽の縁を撫でて側を立った。キャリーが蟹を食べるためには、私がお湯を沸かしてあげなくちゃいけない。

 鍋を置いてボタンを押すと、音もなく加熱が始まる。

 壁から伸びるアームがキャリーの摂食機構を組み上げ終えたらしい。リビングに運ばれてきた。カチカチ。キャリーが歯を噛み鳴らす。

「どうです、蟹」

「【挙動翻訳】かっこいい、しびれる」

 キャリーの銀色の顎は、サーバーにコードが繋がり、何本もの支柱に支えられ、顎と歯、ぬらぬらひかる舌で構成されている。ヒトの顎だけが浮いたようになって、全体が袋に包まれていた。咀嚼したものを受け止めるためのものだ。

 蟹と話すキャリーは得意げで、蟹はきらきらした眼を向けている。私はお腹が重くなってきた。摂食機構なんて初めて見たけど、こんなにグロテスクだなんて。

 蟹はこれからあれに砕かれるのか。

『もしかしたら、《カルサイト》の自演ということはない?』

 タマちゃんの声が聞こえた気がした。そんなわけない。タマちゃんのシミュレーションとは、専門施設だけでしか話すことができないんだから。

『それができるのが、電子生命なんだな。キャリーの隙に忍び込んでるだけだから、しーっ、ね』

「タマちゃん!? え、ええ!」

「侵入者を検知しました」

『だからしーって!』

 タマちゃんの声はなんと鍋から聞こえてきた。ぶくぶく、沸くお湯と一緒に蓋ががちがち言って、タマちゃんが慌てているみたいに見える。なんで鍋? ていうかタマちゃん、私の心読んだ?

「ほほう、給電ケーブルを伝ってくるとは古典的な。挙動翻訳までどこで手に入れたのです? ここはわたくしの家ですよ。残念ながら満員です」

 キャリーの声に合わせて摂食機構がカチカチいう。

『ひ孫が困っているから見に来ただけだよ、《カルサイト》のキャリー。君は蟹を食べたいがために嘘をついたんじゃないかい? 挙動翻訳は君にしかできず、アキには確かめる術がない』

 タマちゃんは電子生命ではなかったはずだ。とても近いけれど違う、ただのデータのはずなのに。

「シミュレートデータが電子生命になるのと同じことですよ、アキのひいおばあさん。あなた方がただ蟹に意思があることを認められないだけでしょう。残念なことに。だがわたくしには認めることができる。わたくしと蟹とは通じ合うことができる。その先を互いが、蟹が望んだということです。さあアキ、蟹を茹でて下さい」

『確かに、ただのシミュレートデータだったわたしが電子生命になってしまったことを考えれば、生命を有する蟹の意思を否定することは、わたしにはできない。キャリー、君が正しく蟹の意思を翻訳しているならね』

 ただ再生されるだけの存在から自律した生命になったタマちゃんは、タマちゃんを否定しないために、蟹を否定することはできない。

 キャリーは蟹の挙動翻訳をしない。タマちゃんもだ。おろおろきょろきょろする蟹にタマちゃんは見えていないはずだし、きっとなにが起こっているのかもわかっていないはずだ。でも蟹はきらきらした眼で私を見上げ、キャリーが獲得した歯を見つめる。

「蟹・・・・・・。私、は・・・・・・」

 私は蟹を掴んだ。煮え湯に突っ込んで蓋をする。鍋と蓋ががたがた言った。蟹が熱湯の中で悶えている。蓋を押さえる手がじりじりした。あつくて、こそばゆい。蟹がおとなしくなってから、鍋の中身をシンクにあける。真っ赤になってまるくちぢみあがった蟹に冷水をかけ、脚をもぐ。毛と熱さが腫れてきた指に刺さる。水膨れの出来始めた指の腹に力がかかる度びりびりする。殻からしろい身を引きずり出し、甲羅を割る。生臭く、潮くさい。しろい湯気の向こうに銀色の顎がひかっている。私は口の中のよだれを飲み込んで、銀色の歯にしろいむき身を差し出した。歯は不器用に蟹をむさぼる。

「どう、キャリー、おいしかった?」

 キャリーは蟹の身が付いたままの歯を鳴らす。袋が揺れてたぷたぷした。

「・・・・・・わかりません。わたくしには、どう答えるべきなのか」

 だろうね。コンロに戻された鍋と蓋が肩をすくめる。私は手に残った蟹の汁を舐める。やけどでぱんぱんに腫れ上がった手に感覚は無い。だけど蟹の味は口じゅうに広がった。おいしい。

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