二つの絵画

上高田志郎

第1話

 高校二年の頃、クラス替えした新しい教室には、いろんな顔があった。一年のとき同じクラスの者もいたし、廊下で見かけたことのある顔も、まったく知らない初めての顔もあった。かなえさんはたいそうかわいくて男子の間で噂になっていた。手足が長く、肌は同じ女子と比べても官能的な色をしていて真珠のようだった。何か特別なものでも塗っているのかとも思った。私はそういうことに遅れている方だったが、女子だけでなく、男子も身だしなみに一生けんめいになる年頃だったのは間違いない。私は冷静というよりあきらめが早くて、どうせ自分には縁がない世界と決めて透明な壁を作り、恋愛に感動しないよう気をつけていた。

 あの頃も今も、私には才能と呼べるものは何一つない。それでも私の学校はのんきなもので、才能があろうがなかろうが、みな仲がよかった。能力や見てくれに差があっても私たちは実に穏やかだったと思う。中学はともかく、高校とはそういうものではないだろうか。この学校に入りたいなーと思って入学してくる奴らは、それだけで気が合うのが前提のはずだからだ。教室はいつも笑い声であふれていた。何の変哲もないただの平日にダービーで全財産かけたような絶叫が教室に響いても珍しくなかった。ただ、私はどちらかというと静かな教室の方が好きだった。クラス全員が寝ているんじゃないかという五時間目なんか特に。私の学校はあまり真面目なほうじゃなかったから、教師が俺もちょっと寝ていいかといって腰かけて目を閉じたこともあったが、誰も何も言わなかった。

 かなえさんはいつも明るくて周りに人が集まっていた。違うクラスからも授業が終わるたびにかなえさんに会いにくる人が絶えなかった。楽しそうでなによりだ。クラスが明るくなるのはいいことで、実際ほんとに輝いてみえた。人間の精神とは不思議なもので、誰かがテレビの画面調整でもいじっているかのように、かなえさんの周りは明るさが違ったのだ。多くの人がそれを感じていたからこそ近づきになりたかったのだろうと思う。潜在的に本能的に、陽の光を求めるように。十代の子供がそんなことは口に出して言えなかったが、今、当時の誰かに訊いてみたら、私と同じことを感じていたと告白するだろう。

 そんなかなえさんだからよく男子の間で話題になっていた。友達どころか口をきいたことのない者でも「かなえ」と呼んでいた。かなえという名前がすでに芸能人のように名詞化していて、それをいいことに初めて口をきく者でも「かなえ」となれなれしく呼ぶことができた。かなえさんがそれに抗議をしたことは記憶にない。あるいは薄ら笑いぐらいしていたのかもしれない。かなえさんは気安く声をかけられてもまったく意に介していなかった。

私は選択授業でかなえさんと同じ美術を選んでいた。美術は人気がなかったが、かなえさんが選んだことを知った男どもは後から悔しがっていた。

 美大になど一人も進学しない高校の美術の時間は、みなその時だけ小学生に戻ってしまったかのようににぎやかだった。他の教科の教師よりも距離が近く、ちょっと年上の友達のようで、会話の中にさりげなくため口やからかいをまぜても本気で怒ったりしなかった。私たちがねだると紙に乱暴に線を足したり筆を乱暴に動かして驚愕の声を起こさせた。かなえさんは教師にもかなえと呼ばれていて、いつもの教室にいるよりずっと楽しそうにはしゃいでいて、それがこのうえなく自然だった。私は楽しそうな方を向きたかったが、美術教室の背もたれのない小さな椅子に座っていつもより足を開いているかなえさんのふとももが容赦なかったので目を伏せていることの方が多かった。かなえさんは男からの好意の視線を充分知っていて、なおかつわずかばかりのサービスを提供してくれる人だった。確信犯というやつだ。だいたいそういうのはあざといといって嫌われるはずなのだが、かなえさんを嫌う人はいなかったと思う。

 小さい頃からそういう視線にさらされるのも苦労が多そうだが、かなえさんに限ればいらぬ心配だったのだろう。かなえさんの魅力はなんといっても太ももで、私は生涯であれほど美しい太ももは二度と見ることができなかった。月の光のように見るものを恍惚とさせる。当時から足だけ飾れないもんかなと思っていた。野球のバットになったらボールを投げるどころじゃないだろうとも思った。髪の毛の光沢も他の女子に比べて明らかに違っていた。かなえさんを作る全ての部品がそれぞれ独立した意志を持って美しくなろうと飛び跳ねているようだった。

 私は自分で描くのはともかく、綺麗な絵画を見ることが大好きだった。巨匠たちの図録を熱心に見るのは学校で私だけだった。ヘタクソなくせに雰囲気だけはつかんでいた。色を塗っていけば、我ながら日本に紹介されたことのない印象派の作品ができあがった。驚いて私の絵を見るかなえさんの表情は忘れられない。お菓子売り場やおもちゃ売り場を前にした子供のような目の輝き。夢中で私の絵を見ていた。かなえさんはぐずりも泣きわめきもしなかったが、少し怒ったように「うまいじゃん」といった。あいまいな返事しかできなかった私に「どうやって描いたの?」といった。「ただ普通に描いただけだよ」といった私は、当たり前の返事をしたつもりが何か隠しているような物言いになっていることに気づいた。

「ただ見てまねしただけだよ」私は図録をかなえさんに渡した。

「何これ超キレー」といって図録を見るかなえさんの横顔を見るのは幸せだった。図録を持つ両手が、まるで小さな子供が絵本を持つようにみえたことをよく覚えている。他にもいっぱい生徒がいたが、誰もわたしとかなえさんの会話に割って入ってこなかった。

「これ借りていい?」

「もちろん、学校のだから」

「じゃ、いいの?」

「全然いいよ持ってって」

 かなえさんの喜びはわたしの喜びだった。

 その後の授業で完成した風景画は二人ともはっきりと図録の影響が表れていた。

「みてみて、すごくないこれ?」そういって私を呼ぶかなえさんは無邪気そのものだった。

「ああ、すごいすごい」

「待って、ちゃんとみてみ、すっごい上手く描けたから」

 わたしはかなえさんの横にたって絵を見た。「すごいうまい。すごいきれいだね」

「でしょ? すっごいがんばったもん」

 私とかなえさんの風景画は美術教室で並んで飾られることになった。大げさに言えば私がモネでかなえさんはルノワールだった。ささいな興味からちょっと真似してみるだけでこんなにも劇的に上達するのかという感動もあった。

「二人とも美大でも目指すか!」先生の軽口にかなえさんは世慣れた媚態で余裕の対応だった。私は一週間ぐらい真剣に考えたような気がする。

 

 記憶はどんどん遠ざかっていく。時間が戻らないのだから当然なのだが、私はいつでも過ぎて行った記憶に戻れるものだと思っていた。電車に乗って隣の駅に行くような感じで。しかし歳を重ねると、線路は落っこちて駅はどこにも見当たらない。時間は一直線かもしれないが、思い出は海に浮かぶ大小さまざまな浮島のようで、移動手段は電車も船も必要ないのだ。目を閉じればその島に行くことができる。あるいは目を開けたままでも。しかし、その島々は音もなく沈んでいくのだが。

 

 美術の最後の時間がどんなだったか何一つ覚えていない。時間は連続しているのだから無かった訳がないのだが、どんなにがんばっても思い出せないところに無力さを思い知る。最近はなんでもデータに残すのが当たり前だが、ほんとうに何の変哲もない日常こそ積極的に残しておくべきなのかもしれない。

 

 かなえさんの思い出は後二つだけだ。時間は飛んで卒業式間近の教室、私は一人学校に登校していた。留年の恐れがある生徒はこの代で私だけだった。好きなだけ赤点を取ったむくいである。誰もいない三年の校舎、教室に毎朝登校し、そこで反省用の提出物や、難易度を下げた追試のための勉強をした。すぐにあきるので図書室に移動して時間をつぶしていた。ぶらぶらして教室に戻るとかなえさんが教室の中にいた。

「どうしたの?なんか用事?」私は驚いてはいたが、留年するかもしれない生徒の妙な貫禄がついていたと思う。普段の時間に比べて、周りに他の生徒がいないとこんなに堂々とできるもんかなと、ゆっくりまっすぐかなえさんを見ることができた。

「そう。用事。勉強してんの?」

「あんまりしてない」

「しなよ。卒業できるの?」

「たぶん、大丈夫だと思う」

「たぶんって」

 かなえさん笑っていた。こげ茶色のコートがおとなしく机の上に置かれていて、眠っているようだった。ほとんどコートを着る生徒がいなかったけれど、かなえさんが着始めて周りの女子も着るようになった。それを一番喜んでいたのはかなえさんだった。

まるで付き合ってるみたいだなと私は思った。これが放課後だったらよかったのに。実際のところ私は公立高校で一日も休まず出席している生徒を留年させないだろうと甘くみていたのだが、どうも雲行きがあやしくなってきたので気が気でなかったのだ。赤点といっても、ほとんど一桁か0点だったのは、教師たちも思うところがあったのかもしれない。

「一人で怖くない?」

「怖くはない」私が笑って答えるとかなえさんは「えー」と言って笑った。かなえさんは二人きりで気まずい思いもしていないらしい。よく知らない頃なら如才がないなと心の中で冷笑していたことだろう。ただ、この時は、この先かなえさんの天分であるオープンさが誰かに傷つけられなければいいがと年長者のような心持だった。

ふと、かなえさんはこの教室で誰かを待っているのかもしれないという思いがひらめいた。それに考えが及ぶ程度には私も成長していたのだ。

「え、なに、帰るの?」かなえさんの声には驚き以上に非難の思いが濃かった。

「いや、図書室」

「なんで?」

「かなえさん、なんかここで用事あんじゃないの? いたら邪魔かなって?」

「ないよ。なんでそういうこと言うの?」

「ごめん」

「謝んないでよ」

 かなえさんの不機嫌は衝撃だった。ほんの数秒前の笑顔が夢のようにはかなく、全てが、二人がいる時間も空間も嘘の真っただ中にいるようだった。

私はなすすべもなく立っていた。次の指示を待つ仕事のできない男のように。かなえさんはふてくされて横を向いていた。恋人同士の修羅場みたいだとその時の私は思わないでもなかった。沈黙がどれくらいたっただろう。

「みんな終わっちゃう。ほんとに終わっちゃうよ!」かなえさんの怒鳴り声は女とは思えないぐらい太く、教室に響いた。その後、女子小学生のように涙を落として泣いた。椅子に座るとほんとうにえーんえーんと、うおーんうおーんと獣のように泣いた。私は自分もそう思っていたことを泣いているかなえさんに伝えることはできなかった。高校生活が終わってしまうことが信じられなかったし、不当に感じていた。なぜ終わらなくてはいけないのだろうか、そしてそれを当たり前のように受け入れている周りの者より自分は幼稚で劣っているのだろうかと思っていた。

わたしもかなえさんのように泣いて怒りたかった。白くて小さな拳を目に当てて、体を丸めて泣いているかなえさんを撫でて慰めたくなったが、それをしたら自分も嗚咽が漏れそうなので辞めにした。自分の感情が、体の感覚がコントロールできていない。この地球で突然居場所を失ってしまったかのような不安が襲った。この瞬間もこの時間も今までの高校生活も全部、突然手ごたえがなくなっていく、現実が綻んでいく。ただ一つ、かなえさんの泣き声だけが痛いぐらい耳に届いてそれだけが頼りだった。

「かなえさん、だいじょぶ、だいじょうぶだよ」よく言えたもんだと我ながら思った。それだけ言って、他に何も言えることがなかった。かなえさんの泣きじゃっくりもだんだん激しさを失ってきた。

 かなえさんの頭を見下ろしていると、再びなでてなぐさめたい気持ちが沸き起こったが、先ほどに比べて動機の不純さが勝っているようなので自制した。目の前の人を抱きしめたくなったのは初めてだった。その後、何がどうなったかは覚えていない。一緒に帰ったりはしていない。記憶はここで途切れてしまっている。

 それからも、私は毎日誰もいない教室に一人で通っていた。とても寒い毎日だった。空はずっと曇っていたと思う。ふらふらと他の学年の授業中に廊下を徘徊している私を目撃した者がいたかもしれないが、思い返して逆の立場になってみると、中々気味が悪い。そんな私と美術の先生が遭遇した。美術の先生も他の先生に比べればヒマが多いのかもしれなかった。

「なんだ、お前、何しに来てるんだ?」

「先生、俺留年しそうなんだけど」一人でも味方を増やしたい一心だった。すでに、私の想像の中で、先生は会議でただ一人留年に反対で、熱弁を奮ってもらった。

「バカだなあ。ちゃんと勉強しろ」

 泣き言を言っても、誰かに甘えてみても状況は改善しない。都合よく助けてくれるわけなどないのだ。私はこの時ようやく少しだけ大人になったのだと思う。

「先生、俺、あの絵記念に持って帰ろうかな」

 完成した風景画は持って帰っていなかった。引き上げた生徒はほとんどいなかったはずで、先生がよくボヤいていた。私の場合はかなえさんの横で満足だったことが大きい。

「おまえの絵ならかなえが一緒に持って帰ったぞ。もらってないのか?」

「ああ」意外な私の表情を見て先生は友達のように笑って言った。

「かなえにあげたっていいだろ? 欲しかったみたいだし」

「もう捨ててんじゃないかな?」私は照れ隠しに乱暴なことを言った。

「バカ! ちゃんと卒業しろよ」

 私は素直に返事をして頭を下げた。信じられないくらい気持ちが軽くなった。留年の恐怖は消え去りはしなかったが、そのたびに、かなえさんが私の絵を持っていることを思って、心を温めなおした。

 最後の登校日、私は各教科の先生たちに10代とは思えない謝罪をして許してもらった。数学の先生は納得していなかったが、周りの尽力があったのかもしれない。数学は追試でも0点だった。出来るわけがないのだ。


 卒業式当日は晴れていた。陽はすでに春になっていた。朝から祭りのような賑やかさで、みな数カ月ぶりに顔を合わせるのだから無理もない。私は遅刻して登校したぶん皆に驚かれた。「よかったな」とねぎらってもらい手を叩きあって喜んだ。

誰もが写真を撮っていて悲しんでいる者など一人もいなかった。どこまでも続く笑顔のなか、教室にかなえさんはいなかった。きっとすべての教室に連れて行かれ、ほとんどもみくちゃにされていたのではないか。

私たちのクラスは一番最初に体育館に入場することになっていた。廊下に並んでる時に、かなえさんの気配を感じたが顔は見えなかった。

全てのクラスが着席して卒業式が始まった。担任が一人ずつ生徒の名前を読み上げて、返事をして起立する。私の名前が呼ばれて返事をして立ち上がると「おお」というどよめきが起こった。留年しそうという評判は学年で知らない者がいないぐらいだったのだ。「あっは」というかなえさんの笑い声が体育館に響いた。「笑いすぎ!かなえ笑いすぎだから!」と周りにたしなめられてもかなえさんは笑いを止められなかった。ホームランの打撃音のように、私の耳にはいつまでもかなえさんの笑い声が残った。

 記憶はここで途切れている。卒業式の日、かなえさんと会話した記憶はない。忘れてしまっただけで、教室で他愛もない会話などしたのだろうか。思い出す方法はない。ただ間違いないのは、あの日、二人だけの教室でおこったことについては触れていない。美術の絵についてもだ。かなえさんが人生の次の場面に旅立つ時、私の絵を選んでくれことは、私の人生の支えになっていたと思う。そして恐らく、かなえさんが再び次に旅立つ時か、あるいはどこかのタイミングで、私の絵も役目を終えて処分されていることだろう。

 たった一度だけ、誰かに選ばれたことがある、それはささいなことかもしれないが、私の人生を支えていた。頭の悪い人間が世の中を渡っていくのに苦労はつきものだが、自業自得ではないか?

上手くいかなければやさぐれて、悪い人間になった方が楽だと何度も思ったが、かなえさんの笑い声がいつでも私を引き戻した。あの日の笑い声もまた、やがて遠くなり、最初から何一つなかったかのように沈んでいくのだ。


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