第九十一話 久々な一時

 

 

 

「おかえりー!」


 玄関扉を開けると、玲華が満面の笑顔で出迎えてくれて、大樹の頬が思わず綻ぶ。


「ただいま戻りました、玲華さん」


 そう告げると、玲華は噴き出し気味に笑った。


「そこは『ただいま』だけでいいんじゃないの? 固くない?」

「ははっ……そうですね。ただいま」

「はい、おかえり!」


 十二月も半ばの土曜日、大樹は久方ぶりに22時台というの時間に帰宅をすることが出来た。

 最近まではずっと夜中の一時前後の帰宅だったため、玲華には待たずに寝てもらっていたが、今日はこの時間だったため迎えてもらえたのだ。

 同居を始めてからずっと遅い帰宅だったから、大樹も玲華も自然と笑顔だ。

 それもこれもクソ社長の意味も中身も無い会議が無くなり、それによって仕事がスムーズに進むようになったためだ。

 なので、今日ぐらいは終電帰りでなくてもいいかと、この時間での帰宅となったのだ。

 普段なら「飲み行きましょう!」と後輩達が良く誘ってくれるが、退職まで二週間となった今、飲みに行くのはそれからの方が、色々と盛り上がるんじゃという結論になったため、それぞれ真っ直ぐ帰ることとなった。

「ねえ、ご飯炊いただけなんだけど、それで良かったの?」

「ええ。それで十分です。後は適当にどうにかします」


 早く帰ることを決めたのは急なことだったので、玲華はそのための準備などしていなかった。

 何か食べたくなった大樹が帰る際に米だけ炊いて欲しい旨をメッセージで送ったのだ――つまりは同居以前と同じということでもある。


「まあ、前もそうだったしねー。でも冷蔵庫の中、大したもの無いと思うのよね」

「それは元より期待していないので大丈夫です」


 大樹がごく当たり前に返すと、玲華はムスッとした横目を向けてくる。


「そう言われるのも、なんだかなー」

「ははは」

「笑って誤魔化さない!」

「ははは」

「こらー!!」


 口ではそう言いながら大樹の腕を掴んで揺さぶってくる玲華であったが、顔は楽しそうであったとか。




「こうしてゆっくり顔合わせるのって久しぶりよね?」


 背広とコートを脱いでリビングで一息吐いていると、対面に腰掛けた玲華がニコニコと口を開く。


「まあ……朝を除くとそうなりますね」


 そう言う大樹の歯切れが悪いのは、なんだかんだと寝ぼけ気味の玲華が毎朝見送ってくれていたからだ。「行ってらっしゃいのチュー」付きで。

 暗にそう口にしなかったことについて察したのだろう、玲華の頬が薄らピンクづく。


「あ、朝は半分寝ぼけてるからノーカンよ、ノーカン」


 そう言って空気を変えるように「ゴホン」と咳払いした玲華は、思い出したように言った。


「あ、お風呂の用意しておいたわよ。入るでしょ?」

「ありがたい、もちろん入らせてもらいます」


 ここ二週間は帰ってきた時間が時間だったのでシャワーだけで済ませていたため、久しぶりに湯に浸かれることを想像して大樹の頬が緩む。


「ふっふーん、すぐ入る? それとも何か食べてからにするの?」

「そうですね。先に何か食べましょうか……」


 言いながら大樹は勝手知ったるとばかりに冷蔵庫へ向かい、中を確認する。


「うむ……」


 やはり大したものはないな、と続く言葉を大樹は口にせず飲みこんだ。


「もう、だからさっき言ったじゃない。大したものは無いって」

「いや、何も言ってないじゃないですか」

「さっきの間だけで何を思ってるかわかるわよ」

「……恐れ入りました」

「やっぱり思ったんじゃないの!」


 トンと軽く肘打ちしてくる玲華を、大樹は何故だか無性に可愛く思った。


(……さっき玲華さんが言ったように久しぶりだからか? 俺も相当浮かれてるみてえだな……)


 それはともあれ、大樹は何で腹を満たすかについて考え始める。

 今晩はけっこう冷えて、暖かいものが食べたいなと思って――


「玲華さん、カップスープの素ってまだありましたっけ?」

「え? ああ、殆どの種類があるはずよ。何かとってこようか?」

「ええ。じゃあ、クリーム系の適当にお願いします」

「はいはい」


 そんな玲華の返事を耳にしながら大樹は冷蔵庫の中からとろけるタイプのスライスチーズと、パルメザンチーズをとった。


「ねえ、これでいい?」


 納戸から取り出したカップスープの素を掲げる玲華の手元を見ると、リクエスト通りにクリーム系のオニオンポタージュだった。


「バッチリです」

「ん、これでスープ作ればいい? お湯沸かす?」

「お願いします」

「はーい」


 愛想良く返事をしてケトルでお湯を沸かし始める玲華の横で、大樹はそう大きくない耐熱容器を取り出す。

 その中に茶碗一杯ぐらいのご飯を入れると、塩胡椒とパルメザンチーズをかけてよく混ぜ合わせる。


「……ご飯にパルメザンチーズ……?」


 大樹の手元を見ながら玲華が訝しげな声を出す。


「まあ、あまりご飯に直接はかけませんよね」

「うん……でも、大樹くんが作るものっていつも美味しいし……どんなのになるんだろ」


 そう言って期待感を露わにするようにソワソワする玲華に、大樹は苦笑する。


(これはまた食べられるな……)


 かといって玲華の分も用意しようかと尋ねても、こんな時間になんてと断られるだろう。

 そうしてる内にお湯が沸き、玲華がカップにスープの素を入れてお湯を注ごうとしたところで、大樹は声をかけた。


「あ、お湯ですが適量より少なめにしてくれますか」

「少なめに? わかった」


 そうしてカップにお湯が少なめに注がれて、玲華がそれをよくかき混ぜたところで受け取る。


「これでいいの?」

「ええ。ありがとうございます」


 礼を返して、大樹は受け取ったカップスープをご飯が入った耐熱容器に注いだ。


「わっ、もしかしてと思ったけど……」


 ご飯を混ぜただけで待っていた大樹を見て多少は玲華も予想していたらしい。


「ええ。これにかけて――」


 パルメザンチーズと塩胡椒が混ぜ合わされたご飯が、いい感じでスープで浸る。

 そこで大樹は冷蔵庫から卵と、とろけるチーズを取り出し、スープの浸ったご飯の上に卵を割り入れ、その卵の周りを四分割したチーズで囲む。


「これで良し、と。これを――」


 オーブントースターに入れ、電力を1000wにしてタイマーで8分かける。


「後は待つだけ、と」


 やることを終えて、大樹は手を洗う。


「また、なんか簡単そうに……」


 玲華がオーブンを食い入るように見つめている。


「……チーズをご飯に混ぜたりスープをかけた時は何してんだろって思ったけど、焼く前の見ただけでなんか美味しそうなものが出来そう……」


 出来上がりが気になるようでまたソワソワし始める玲華に、大樹も再びの苦笑である。


「まだ10分近くはかかりますから、座りませんか?」

「そ、そうね……」


 後ろ髪引かれるような玲華を引っ張って、大樹と玲華はリビング内で腰掛けた。




「終わったみたいですね」


 チンという音が聴こえて大樹が腰を上げると、玲華がピタッと後ろをついてくる。

 そしてトースターを開くと、大樹の背中越しに中を覗いていた玲華が感嘆した声を上げる。


「わあっ! 美味しそう……!」

「ええ。卵がいい感じですね」


 チーズがこんがり焼き目をつけてるその中央には、半熟の卵が白い膜を貼ってプルプルとしている。

 厚手の手袋で容器を取り出し、事前に敷いていたマットの上に載せる。

 そして最後の仕上げとして、ブラックペッパーを振りかける。


「み、見た目が一層お洒落な感じに……」


 何故かいつものように対面でなく、真横に座った玲華が目をキラキラさせている。


「ねえ、これって……?」

「ええ、ドリアですね。卵を載せてるので、エッグドリアってとこですか」

「やっぱり、ドリア……」

「はい。いただきます」


 食い入るようにすぐ隣からドリアを見つめる玲華に構わず大樹はスプーンを手に取り、まずは卵の当たらない部分に差し入れる。

 薄く焼き目のついたチーズはサクッと裂けてトロッとスープと混ざり合い、それが糸を引きながらご飯と混ざり合う。

 隣からゴクリと喉の鳴る音を耳にしながら大樹はスプーンで掬い、息をかけて冷ましてから口に入れる。


「はふっ……」


 やはり出来たてだったためにまだまだ熱かったが、その熱はスープ、ご飯、チーズと一緒に口の中から体に広がっていくようで、冷えたジンワリと体を暖めてくれる。

 味の方も申し分ない。濃いめに作ったスープはご飯と一緒に食べることで、濃さを感じさせない。

 そして中の塩胡椒と上にかけたブラックペッパーがピリッといいアクセントになって、スープだけではドリアとしては物足りない部分を補い、チーズの旨みも引き立てている。

 思っていた以上の出来栄えに大樹はうんうんと頷いた。

 そして真横でジーッと自分を見つめる目に気付かぬ素振りをしながら、二口目を口に入れる。


 ――ジー


 三口目を口に入れる。


 ――ジー


「はふっ……食べます――」

「ちょうだい」


 いい加減見ない振りもなんだったので、声をかけると超速で返答が来た。

 そして口をあーんと開けて待機する。

 餌を待つ雛鳥のような様に大樹は苦笑しながら、スプーンで掬った分を息かけ冷まして玲華の口に入れてやる。


「……はふっ…………美味しい!」


 目をキラキラとさせる玲華に、大樹は軽いドヤ顔を見せる。


「けっこういけるでしょ」

「うん! カップスープでドリア出来るなんて……! チーズがまたいい感じで!」

「ドリアといえばチーズですしね……」


 言いながら大樹は、卵の黄身の部分にスプーンを入れる。

 すると半熟の卵から黄身がトロッと流れて、もうその見た目だけで美味しさがグッと増したのがわかる。


「た、卵が……」


 玲華がよだれを垂らしそうな顔で、思わずといったように声を零す。

 大樹は黄身部分をチーズとご飯にしっかり絡ませてスプーンで掬い、口に入れる。


「ああ……」


 その一口食べたかったと言いたげに玲華が惜しそうに出した声を耳にしながら大樹は咀嚼する。

 卵の黄身部分が濃厚に口の中に広がる。味の方はもちろん美味い。


「はあ……」


 美味さからつい出るため息である。

 そしてもう一口と食べようとしたら玲華がグイッと身を寄せて、口を開いている。


「あーん」


 我慢できず言葉に出さず態度で一口ちょうだいと訴えている。


(……そうか、隣に座ったのはもらいやすくするためか)


 今更なことに大樹は気づいて苦笑する。

 からかいの意味を込めて見なかった振りをしようかと思ったが、後がうるさそうだったのでやめておくことにして、素直に大樹は一口分掬って玲華の小さな口に入れてやる。


「はふっ…………うう、やっぱり美味しい……!」


 ジーンとしている玲華に大樹はうんうんと頷きながらドリアを食べ進める。

 これ以上は玲華に良くないだろう。

 なので、大樹はすぐ隣からの玲華の物欲しそうな目を、心を鬼にして見ない振りをする。


「あ、ああっ……」

「はふっ、はふ……」

「ああ……」

「……ごちそうさまでした」

「あああ……」


 大樹は玲華のためにも頑張った。


「うう……仕方ないか、この時間だものね……」


 ガックリと肩を落として玲華は未練を振り払うように、首を横に振る。


「ねえ、お風呂入るんでしょ?」

「そうですね。入らせてもらいます」

「ん、じゃあ、私も一緒に入るから水着着て入ってね」

「は――え?」


 サラッと言われて驚く大樹に、玲華は薄ら頬を染めて上目遣いになって言う。


「……一人でゆっくりしたい?」

「い、いえ、そんなことは……」


 大樹はそう返すので精一杯であった。


「じゃあ、そういうことで!」


 ニッコリとする玲華に、大樹は力なく頷いて、浴場へと向かうのであった。

 

 

 ◇◆◇◆◇◆◇



これ、薄めで作れば病人にもいいですよ。

そん時はパルメザンチーズも塩コショウもいらないかな?

嫁が風邪ひいた時に作りました。

ご飯にスープかけて卵のっけてチーズ散らして焼くだけなので簡単ですよ


あ、ラノベニュースオンラインアワード2020年10月刊のアンケート投票で

当作の二巻も対象なので、出来たら応援よろしくお願いします……

https://ln-news.com/articles/110003

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