第八十九話 英断()




「仕事に於いて一番大切なことですか。そうですね――仕事の成果、利益をトップが一人占めすることなく、働きに応じて社員を労い分かち合うことでしょうか」


 大樹が言い終えたと同時に、室内が一瞬だけザワつくも、それもすぐに治まり、痛く感じるほどの緊張感が広がってシンと静まる。

 大樹の放った痛烈過ぎる皮肉に後輩達がゴクリと喉を動かした。

 それを横目に、大樹はあいも変わらずの真面目ぶった顔を向けて、僅かに先代の面影のある、内面は似ても似つかないまさにロクデナシのクソ社長の反応を待った。


 その時にふと大樹の脳裏に、懐かしい声が蘇る。


 ――定時過ぎて、ましてや飲みに来てる時に社長なんて大仰に呼ぶんじゃねえ。おやっさんと呼べっていつも言ってんだろうが、大樹


 誇れるものと言ったら料理と筋肉ぐらいしかない自分を拾ってくれた先代の社長。

 仕事をしてる時は厳しい面もあったが、必要なことを、知るべきことを、教えてくれた。

 仕事を終えて飲みに連れてってくれるといつものように先の言葉を言って屈託なく笑っていた。

 この近辺で飲み歩くコースも、大人な店での飲み方も、高級な店での食事の作法も、ちょっとした悪い遊びも、色んなことを教えてくれた。


(……そう、俺にとってはもう一人の親父、みたいな人だった……だというのに、その人の本当の息子であるこいつは本当に……)


 表情を崩さず、知らぬ内に現社長を見上げる大樹の目の光が爛々と強くなる。

 最初の頃はあの社長の息子なのだからと、大樹は軌道修正を願って機を見ては口を出した。

 だが、最初から高卒とバカにしてくるプライドだけは高い二代目のこの男には一切届かず、イエスマンな取り巻き達に邪魔をされ、山のように仕事を振られ、いつしか大樹は軌道修正は諦め、後輩を守ることだけに苦心していた。

 先代社長が作った会社を守るには、大樹はまだまだ若過ぎたのだ。


 ――会社を作ってから働くばかりで、カミさんに任せきりにしたせいだろうな……大樹、一応言っておくが義理に思って、なんて考え持つなよ。んなことは俺は望んじゃいないからな。好きに動け、お前はお前のやりたいように生きろ――


 病室でその後に僅かな言葉を残した数日後に、大樹の恩人であり敬愛する社長は亡くなった。

 大樹は恩師の言う通り、やりたいようにやって――最低限の義理は果たしたと自負している。

 現状の心残りは先代の時から付き合いの深い会社との仕事だけ。

 それももう色々と話は通しているし、仕事の終わりも見えている。

 次の転職先も決まった。後輩達も。

 もう大樹としてはいつクビになっても問題ない。

 つまり、このクソ社長をいくら怒らせても何の不安も無い。

 これから辞めるまでの間ぐらいは好きに言わせてもらおう。


(どうせ、クビを宣告されたところで即日解雇にも出来ねえだろうしな……)


 このクソ社長は大樹を高卒のバカと嘲りながらも、何だかんだと難しい仕事は大樹に任せてくるし、社長にとってお利口でなかった大樹をクビにせず、こき使っていた。

 決して認めはしないだろうが、大樹が社を辞めて困ることぐらいは理解しているのだろう。


(この際だから……)


 今更ながらもっと早くこうしておけば良かったかもなと思いながら大樹は、激情を堪えるようにピクピクと眉を揺らす社長を見据えた。


「柳、貴様……」


 絞り出すように声を出した社長に大樹は片眉を上げる。


「おや、どうなさったんですか、社長? 今私の言ったことに何か心当たりが――それか、まさかの話ですが身に覚えでも?」


 まさかそんなことありませんよね、と副音声に乗せた大樹の煽りも含んだその言葉に社長は迂闊に怒りを顕にすることが出来ない。

 何故なら、大樹の言ったことを認めることになるからだ。

 有名無実と化している、社長の会社の私物化のことを。

 代わりに彼は今にも噴火しそうな気配、激情を懸命に堪えて、怒りを見せるでもなく、反論もせずに矛先を変えた。


「……ちっ、俺は仕事に於いてと聞いたんだ。誰が社のあり方について聞いた」


 口を動かすに連れて、気持ちを落ち着かせることが出来たのだろう。

 声音には、「これだから高卒のバカは」といった嘲りがたっぷりと混ぜられたいた。

 対して、その程度の反論しか出来ないかと大樹は、落胆にも似た感情を覚えた。


「ああ、それは失礼しました。ですが――」

「あん?」

「似たようなものではないでしょうか。仕事に於いて大事なこと、社のあり方。会社に所属しているのであれば……違いませんか?」


 挑発するように見上げる大樹に、社長はギリと歯軋りを鳴らした。


「生意気な……」


 口数少なくそれだけ返した社長に、大樹は更に言い募る。


「それと、これは一番大事なことかはわかりませんが――」


 こう前置きすることで、大樹は社長にマウントをとり難くさせる。

 先の社長の質問のネックは「一番大事」という点である。

 これさえ無ければ、どれが答えにもなり、どれも反論し難くなる。


「――仕事に於いて、納期を守ることは非常に大事なことだということは、ならばご理解いただけると存じます」


 これに対して、反論の言葉を思いつかなかったようで、社長は渋々ながらの顔からなんとか取り繕って鷹揚に頷いてみせた。


「……ああ、そうだろうな」


 ここで大樹は一見は柔和は顔を作って畳みかけた。


「流石、社長です。そこで今、私が班員と抱えている仕事ですが、度重なるミーティングによって納期がギリギリどころか危ないラインでして。その上、私は、高卒の大したことの無い社員です。この二つの要因によって、先ほど社長も肯定された納期を守ることが非常に難しい事態になっています。ああ、もちろん社長が、ミーティングで斯様な事態を招いていると存ざぬことは理解しています。なので社長、社長が先ほど認めた納期を認めるためにも暫し、ミーティングの開催を見合わせる決断を、なら間違いなく判断すると、私は確信しています……、なら」


 最後を殊更強調して大樹は一気に言い切った。

 この言葉の内容は、大樹は仕事の納期が危うい点として、まずは社長の開くミーティングを挙げ、次点として、社長が口ぐせのように言う大樹が高卒だからという点で、原因はこの二つしかないと断言し、そう思わせながら話を進めたことだ。

 何も大樹は卑屈になって「高卒だから」と言った訳ではない。

 それだけ言ってくるぐらいならば、少しぐらい盾に使っても問題無いだろうと思ってのことだ。

 何せ、社長がいつも言っているのだから。

 そして、この二つの問題によって納期が遅れるのなら、問題を取り除かなければいかないが、大樹を取り除くことは出来ない。

 大樹がこの仕事を過去から担当し、今現在も主導しているのだから。


 ならば取り除くはミーティングしかないと、それしか答えは無いのだと匂わせたが、それならば事態の要因は社長のミーティング一択になってしまうため、大樹は社長に逃げ道を用意してやった。

 報告が無かったから、今の事態を招いているという点である。

 こう言ってやったことで、今の事態に社長の責は無いということにしてやったのである。

 だが、これは言い換えれば、「事態を把握したのならわかってるよな、ああん?」だ。

 更に聡明な社長ならと付け足すことで、「バカじゃないなら反対しないよな、バカじゃないなら」である。

 こうまで論じられた社長がまだミーティングを開くには二つの道しかない。

 その一つは完璧な理論武装により、大樹を論破することだが、何回やっても碌な決定の出てないミーティングなのだから難しいだろう。

 オマケに、社長もミーティングを開いている意義や議題がふわふわしたハッキリしたもので無いし、社長自身も途中から何を主題に話し合いしているのか、恐らく、いや間違いなくわかっていないだろう。

 何せ、マウントをとって悦に入ることに夢中なようなのだから。

 なので、社長は理論では反論出来ない。


 もう一つの道は、聡明でない=バカだと開き直って強行することだ。が、この社長はこれだけは絶対にしない。

 社員達の前で、自らをバカと発言するような真似は絶対にしない、いい格好しいの男だから――と言うよりもそれしか頭にない男だからである。

 然して、社長はギリギリとこちらにまで聴こえてくるほどの歯軋りを鳴らして、怨敵を見るかの如く大樹を睨み据えた末に――


「……いいだろう。暫くの間、ミーティングはとしてやろう」


 憤怒の表情が見え隠れする顔で絞り出すように言ったのである。


(よし、言質は取った……!)


 大樹はグッと机の下で拳を強く握った。

 こうなったらこっちのものだ。

 大樹は今日はとことんまでおちょくってやろうと、破顔して立ち上がった。


「流石は聡明な社長! ! 見事な英断です! さあ、皆! 我が社の聡明な社長に拍手を!!」


 そう言って、大樹は室内の全員に呼びかけながら力一杯手を叩いて見せた。

 それも社長の言葉を勝手に拡大解釈したものを付け加えてのことだ。

 ここまでのことを呆気にとられて見ていた後輩や、ミーティングの参加を強要させられていた他の同僚がハッとして大樹に続いて、立ち上がって力一杯の拍手を贈る。


「英断っす、偶にはいい判断するじゃないすか、社長!」

「今年一番賢いです、社長!!」

「初めての英断ですね!!」


 然りげ無く毒を吐いたのは後輩達だけではなく、他の同僚も一緒だった。


「今ある仕事が全部片付くまで! 英断です!」

「永遠に延期でも構いませんよ、見事な判断です!」


 ここまで来ると室内の社員全員が乗って、スタンディンオベーションだ。

 あの五味まで疲れた顔で苦笑しながら拍手を贈っている。

 大樹達に拍手をされて最初は驚き、そして憎々しげに大樹を睨んでいた社長であるが、次第に僅かに戸惑いの表情を見せ始める。

 恐らくは、恐れや恨みといった負の感情をまったく向けられることなく、おべっかでもない喜びや安堵といった正の感情だけを初めて社員達から向けられたためだろう。


 こうなると、調子に乗ることに対しても定評のあるこの社長、拍手をずっと向けれて複雑な顔をしながらも、少しだけ満更でもなさそうな表情を覗かせる。

 何せ彼は今、社員達から本当に心の底からの賛辞を拍手と共に贈られているからだ。

 初めての社長のまともな判断をここぞとばかりに評価されてるだけでも、賛辞は賛辞である。

 そうして少しばかり、拍手の嵐を帯びた社長は、皆を抑えるように両手を動かす。

 そして拍手が止むと、彼はキリッとした顔で、鷹揚に言ったのである。


「皆、納期を守ってしっかりやるように」


 そして返事を待つことなく、踵を返して室内を出て行った。

 扉のバタンと閉まる音の後、室内がシンと静まる。

 その中で、大樹は億劫な気分でドカッと椅子に座り、ネクタイを軽く緩めて、長く息を吐いた。


「ま、これで暫くはミーティングが無くなったな……」


 その声が機になったようで、ワッと室内で歓声が起こる。


「柳! 助かったぜ!」

「柳さん、最高っす!」

「ああ、これであの会議に参加せずにすむ!!」

「ありがとうな、柳!!」


 普段、暗い表情ばかりしてる同僚の明るい感謝の声に、大樹は嬉しく思いながら苦笑を滲ませた。

 後輩達はキラキラした顔で大樹を見つめている。


「や、やったっす、明日からはあの無駄な時間が無くなるっす……! 先輩、最高っす!!」

「お見事でした、先輩!! あのクソ社長をやり込めましたね!!」

「私がアメリカ人でしたら、抱きしめてキスしてるとこですよ、先輩!!」


 口にした通りに、今にも迫ってきそうな興奮した面持ちの綾瀬に驚きつつ、大樹は照れ臭くなりながら苦笑を深める。


(だが……――)


 社長が我に返ってコケにされたと思い直すのも時間の問題だろう。

 いや、もうそう思ってる可能性も十二分にある。

 そうして大樹に更なる嫌がらせをしてくるかもしれないが、まだ暫くは時間を稼げるだろう。

 そう、今月の残り三週間に満たない時間ぐらいならば、大丈夫だろう。


(その頃には、退職するタイミングだろうし……最後ぐらいは邪魔されることなく仕事終えてえしな)


 こう思うことぐらい許されて然るべきだろう。

 大樹はニヤッとした笑みを後輩達へ向けて言った。


「とにかく、暫くはあいつの邪魔も入らないだろうしな、一気に仕事片付けていくぞ」


 その呼びかけに後輩達はニッコリと笑って元気な声で応えたのであった。


「はい!」

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇ ◇◆◇◆◇◆◇ ◇◆◇◆◇◆◇


ちょっと無理矢理な気もしましたが、特に議論に強い訳ではない社長なので、これでもいいかなと納得くださればありがたいです。


さておき、本日より、本作「社畜男はB人お姉さんに助けられて―― 」の二巻が発売です!

電子書籍の方は昨日日付から配信が始まり、早速のご購入下さった方がたくさんいたようでありがたい限りです。

おかげさまで、BOOK☆WALKERさんで日間1位をとれたりと、編集さんと共に大喜びしています、本当にありがとうございます!

是非とも、学校帰り、仕事帰りに本屋によって手に取ってみてください。

なんなら玲華の水着イラストだけ見に行っても損は無いかと!

……私も本屋をめぐって自分の本が並んでる姿を見に行きたいとこですが、残業で難しそうなんですよね……(遠い目

一巻の発売日の時は緊急事態真っただ中で、軒並み本屋さん閉まっていて、本屋巡りしたくても出来ないという……タイトルに社畜と入れたのが不味かったのだろうか……などとふと思ってしまいました。


まあ、そんな訳ですので、出来たらでいいですので本屋で発見した方、Twitter等で報告くださると嬉しいです。私がめちゃくちゃ喜びます!(笑)

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