第八十八話 皮肉

 

 

 

「お疲れ様、だな。缶コーヒー買っといてやったから休憩しろ」


 今日も、最近では社長の独演会と言われている何も決まらないミーティングに参加してきた後輩達を大樹は同情と共に労った。


「ああ、ありがたいっす」

「カフェインと糖分が恋しかった!」

「いつもありがとうございます、先輩」


 疲れた顔を隠せない様子の後輩達が、口々に大樹へ感謝の意を表す。


「……そろそろマジで、いい加減にしてほしくなってきたっす……」


 缶コーヒーをグビっと一口飲んだ工藤がため息混じりに、同時に微かな苛立ちも見せながら舌打ちしかねない調子でボソッと呟いた。


「ほんとにね……マジで事故ってくれないかな」


 そう同意の声を返したのは、戻ってきてからグデっと背もたれにもたれている夏木だ。

 顔も上げずに冷めた口調だった辺りに、発した言葉の本気度が窺える。


「……そろそろどころじゃない気もするけどね。でも、いい加減にして欲しいのは激しく同意」


 一口飲んだ缶コーヒーを机に置いて、自分の肩を億劫そうに揉みほぐす綾瀬。その整った美貌には、隠せない苛立ちと疲労がありありと出ていた。

 そんな三人に対し、大樹はため息を吐いた。


(いい加減、こいつらのストレスも限界か……)


 何せ本当に参加の意義もなく、何も決まらないミーティングへ毎日のように出席していれば、そうなるのも無理ないだろう。

 その会議の内容も、クソ社長の自慢げな話や、マウントを取っての一方的な意見をぶつけられ、正論で反論しても「それでは八十点がいいところだな」と、やれやれと首を振りながらひたすら上から目線でダメ出しされ、そこから反論した内容にプラスアルファした意見をさも最初から考えていたようにドヤ顔でのたまってから、またダメ出ししてくる。


 そんな本当に意味の無い会議が毎日の様に延々と繰り返されているらしい。

 伝達形なのは、未だに大樹は一度も呼ばれていないからだ。


(その点を考えると、高卒でラッキーとしか思えんな)


 別に高卒であることにコンプレックスを抱えているつもりは無いが、この会社がブラック化してからは何かとそれを突かれて鬱陶しい思いをしてきたので、皮肉に感じてしまう。

 だからと言って、現状、大樹に害が無いかと言えばそんなことは勿論、否だ。

 後輩達の仕事が滞って、予定していたスケジュールに大幅な遅れが発生している。そのため、大樹も後輩達も今月の土日はまともに休めるかは絶望的な状況だ。


(……前の土日も休めなかったせいで、玲華さんガッカリしてたしな……)


 正確には土日休めなかったことに対して、玲華は仕方ないことだと思っていたようだが、大樹が朝も早いからシャワーで済ますと伝えた時に、激しくガッカリしていたのだが、疲れていた大樹はその前後の違いに気づかなかったのだ。


(けど、今月はもう諦めてもらうしかねえな……)


 同居を始めたばかりだというのに、残念だという気持ちは大樹にも勿論ある。

 が、それ以上に――


「ったく、何なんっすか、この感想文って……」

「はあ、勤務時間外にこの本読んで、書評をまとめておけって……」

「この忙しい時に……! 大体、勤務時間外って、それもう殆ど寝る時間なのに……!」


 後輩達が歯軋りを鳴らしかねない様子で、手元の本を憎々しげに睨んでいる。

 どうやらクソ社長は最近、これまた誰かに勧められたのだろう自己啓発本を読み漁ることにハマっているらしく、その中でも特に感銘を受けたものを、社員達に配って教えてあげた上に、その上で感想文らしきものを求めているようだ。

 そして配られた本は当然のように無料ではない。給料から天引きされるらしい。もうどこから突っ込んでいいのかわからない。


「この本、学生の時に買ったやつなのに……」


 綾瀬が無念そうに肩を落としているのを、工藤と夏木が気の毒そうに見ている。


「それも、余りにつまらなくて共感出来なかったから途中で読むのやめたやつ……」


 工藤と夏木がかける言葉が見つからないかのように口をパクパクとさせてから、首を左右に振りながら手元の本に目を落とす。

 その目は「マジか、そんなにつまらない本なのか、これ」と、更なる絶望に彩られていた。


 ――そんな彼らを見て、弱音など吐けるものだろうか。


 本人にそのつもりは無いのだろうが、徹底的と言えるほどに最近のクソ社長は社員の心を折りにかかっている。

 そんな中で後輩達の心の支えはたった一つ――


「今月、今月乗り切ればこの会社ともおさらばっす……」

「あと三週間、あと三週間……」

「来年はちゃんとした尊敬できる社長の下で働ける、来年は……」


 後輩達がブツブツと一心に自分へ言い聞かせている通りに、転職が決まっていることだ。

 彼らが会議に参加している他の社員よりまだ元気なのは、輝かしいゴールが待っているからだ。

 そうでなければ、大樹は強制的にでも彼らを休ませていただろう。


(感謝しますよ、玲華さん……)


 つくづくそう思ってしまうのも無理からぬことだった。


「ああ、あと三週間――実質には三週間を切っているがそれだけだ。踏ん張ってくれ」


 酷なことを言っている自覚はあるが、そう望んだのは彼らで、そう言わなければ怒るのも彼らなのだ。


「うっす、終わりの見えなかった今までに比べたらよゆーっす」

「そうそう。来年はあのお洒落で綺麗なオフィスでまともな経営者の人の下で働けると思うと……!」

「本当にね。今までのことを考えたらあとたったの三週間――問題ありません。立つ鳥、跡を濁さずと言いますしね。今の仕事を終わらせてから、文句も言わせず――は無理でしょうけど、せめてこちらの憂いは無くして立ちましょう」


 最後の綾瀬の言葉に、思わず大樹は苦笑する。


「すまんな、付き合わせてしまって」

「やめてください、先輩。付き合うって言ったのはこちらなんですから。ねえ、皆?」


 綾瀬の呼びかけに、工藤と夏木がニッと良い笑みを浮かべる。

 そんな後輩達の心意気と頼もしい笑顔に、大樹は黙って小さく頭を下げることで返礼とした。

 どこかほんわかした空気が漂い、それぞれリフレッシュ出来たのを実感しながら、さて仕事に戻ろうかと大樹が目と姿勢で促そうとした時だ。


「げ……」


 その人物の登場に一番先に気づいたのは、肩を回して若干目線が後ろに流れていた工藤だ。

 工藤の声につられてか、続いて夏木がその小さな顔に嫌悪感をこれでもかと露わにする。


「さっき終わったばっかなのに、何でここに来るのよ……」

「もう見た瞬間に一気に気が萎えてくるわね……」


 夏木に負けず劣らずな悪感情でその美貌を歪ませる綾瀬。

 大樹は後輩達の声だけで、目を向けずとも誰がいるのかわかった。

 この会社の二代目のクソ社長である。

 彼は社員の様子を見にきてやったという感情を隠しもしない顔で、ゆったりと室内を歩き始める。


「お疲れ様です……」


 社長が通りがかった席にいた同僚達が控えめに声をかけていく。

 それを受けた社長は澄ました顔で、ウンウンと頷いて一応の反応を返す。

 そうしながら偶に立ち止まっては、踏ん反り返りそうなほど偉そうに、そして自分の正しさを微塵も疑ってない様子で、何か注意するように口を動かしては、社員達をペコペコさせていく。

 そうしてある程度室内を回った社長の視線が大樹達の一角に当たり、社長がこちらへ向かってくる。

 その間、ワザとらしいほどに大樹とは目を合わさない。


「お疲れ様です……」


 すぐ側まで来た社長へ、後輩達が無表情に声を出した。

 大樹も一応声は出している。それでも社長は大樹と一切、目を合わせない。

 社長は小さく頷くことで返すと、ジロジロと後輩達を眺める。

 そしてまたウンウンと頷いたのを見た大樹は、声をかけられて後輩達のストレスが増える前にと、サンドバッグになるために先んじて社長へ声をかけた。


「社長、最近毎日のように開いているミーティングですが、いい加減業務に差し障りがあるので、回数を減らしてもらえないでしょうか」


 大樹はワザと声を重く、そして気持ち大きく出すことで、無視させないようにした。

 そのために室内の大樹達とは離れた席にいる同僚達まで、こちらへと振り返る。

 それに気づいたからか、社長は小さく舌打ちをして大樹を見下ろすように目を向けると、少し考えた素振りを見せてから嘲笑するように口角を上げた。


「自分が呼ばれて無いからといっての僻みか、柳?」


 そう言われた大樹は最初、本当にその意味がわからなかった。

 これは大樹がミーティングに対して呼ばれて無いことに、一ミリの不満もなく、本当に心の底から喜んでいたためだろう。

 だからその意味することを理解することに時間がかかってしまったのだ。

 だがそれも社長の嫌らしい笑みを受けてる内に理解に及ぶ。

 つまりは、社長直々のミーティングに後輩が呼ばれて先輩である大樹が呼ばれていないことに、大樹が不満や嫉妬を抱えているから、先のように大樹が言ったのだと社長は判断したようだ。


 思わず「アホか、お前は」の言葉が口から出そうになった大樹は、懸命に表情を取り繕った。

 横目で見ると綾瀬が呆れを隠す余裕もない様子でポカンと社長を見上げていた。

 そんな彼女に言及される前にと、大樹は一度「ゴホン」と咳払いして声を上げた。


「いえ、そのようなことは……度重なるミーティングによって業務に遅れが生じている故の意見です」


 ただただ事実であることで回答すると、社長は気を害したように眉を歪めた。


「ふん、それはお前の管理能力のせいだろう。自身の能力不足の理由を外に向けるなと常々言っているだろう」


 色々と突っ込みたかったが、後輩達のムッとした顔が視界に入ってグッと我慢する。


「事前にミーティングが何時から何時まで聞いていたのなら、私の能力不足のせいかもしれません」


 社長の言い分に対して一部を認めるように言いつつ大樹は皮肉った。

 要はいつもいつも予定を予め宣言することなく、いきなりミーティングを開催し、いつ終わるとも知らせず、ダラダラと無駄に時間を重ねるお前が悪いのだと大樹は暗に告げたのである。


「何だ、俺が悪いとでも言うつもりか、柳」


 不愉快そうな社長に対し、大樹は戯けたように肩を竦めて見せた。


「まさか、そんな。私はただ、聡明な社長ならミーティング回数を減らすことなど簡単なことではないかと意見具申しているだけです」

 声音はアッサリとしたもので、周囲もそう聴こえたかもしれない。

 が、大樹の目は一切の笑みも媚びも帯びずに社長を見上げ見据えていた。

 その上、言っている内容ときたら直訳すると「お前が聡明でなくバカだから、悪戯にミーティングの回数を重ねることになるんだ」である。


「柳、貴様……」


 己の無知無能具合には呆れるほど鈍いと定評のある社長でも、大樹の言い回し、皮肉には気づいたようで、目に怒りを露わにして大樹を睨み据える。

 だが、自分のことを度量の、懐の深い社長だと見られたい、見られていると勘違いしている彼は皆の前で、声を大にして怒鳴り叫ぶような真似はしなかった。

 浅く呼吸をして己を落ち着かせた社長は、親分がヤンチャな子分を嗜めるような、抑えた口調で話し始めた。

 これが彼の思い描く格好いい社長の姿なのだろう。


「いいか、柳。今やっているミーティングの重要性や必要性を全く知らない、理解も出来ない高卒のお前に言っても仕方のないことかもしれないが、今回は特別にミーティングで話し合っていることを俺自らお前に丁寧に教えてやろう」


 だが、声を出すほどに自尊心や嘲笑の色が露わになる社長の顔が大樹には非常に醜いものに見えた。


(本当に……玲華さんとは正反対のやつだな)


 面接の時に、後輩達に語り彼らを感動させていた玲華は直視し難いほどに眩く美しかったのを大樹は思い出した。

 彼女は自然体で人の上に立ち尊敬される経営者なのだと、改めて理解した。


 さておき、あいも変わらず大樹を高卒のバカと見下して上から目線をする社長の戯言に対し、もう慣れっこな大樹の心中には細波一つ起こらなかったが、後輩達はそうではない。

 彼らの顔はこれでもかと嫌悪感や軽蔑といった負の感情によって歪められていた。

 そちらへ視線が向かないよう、大樹は肩に手を回してゴキゴキと首を回し鳴らして注目を集めながら聞いた。


「おお、そいつはありがたいですね。何を教えてくれるんで?」


 態度はともかくとして言葉の選びには媚びがありつつも、その実は全くと言っていいほど無い。が、社長にはわからないだろう。

 実際、社長は僅かながらに気を良くした様子で口を開いた。


「その前に、だ。柳、貴様は仕事に於いて何が一番大切かわかるか?」


 これから数分、もしかしたら十分以上、クソ社長の卿が乗ってもしかしたら一時間は時間を無駄にするかもと身構えていた大樹は目が点になりそうになった。

 「その前に」と付け加えたが、丁寧に教えてやると言いながらいきなり質問形式で来たからだ。

 その質問の内容も内容である。

 仕事に於いて何が一番大切か――そんなもの、いくらでもあり、その時々によって変わるものだ。

 そんな質問をドヤ顔でしてきた社長に大樹は遂に呆気にとられてしまったのだ。

 横目で見ると、後輩達が頭痛がするかのような仕草をしたり、「またか」といった目を社長へ向けている。


(ああ、これがさっき言ってたアレか……)


 後輩達の様子から大樹は察した。

 ここは何を答えても「それでは不正解、やれやれやっぱりお前は何もわかってないようだな」と言いながらマウントを取って、アレコレ、ネチネチと大樹を攻め立てて、ずっと社長のターンが始まるのだろう。

 大樹はどうしてやろうかと少し悩んだ。


(質問で返してやってもいいが、そうしたら間違いなくウザくなるだろうし、しかし何を答えても鬱陶しいのは間違いないし……――そうだ)


 どうせならと大樹はここでも皮肉の如き――意趣返しをすることにした。

 大樹はあごに手を当て、悩ましげに口を開いて言ったのである。


「仕事に於いて一番大切なことですか。そうですね――仕事の成果、利益をトップが一人占めすることなく、働きに応じて社員を労い分かち合うことでしょうか」




◇◆◇◆◇◆◇ ◇◆◇◆◇◆◇ ◇◆◇◆◇◆◇


質問に対する答えになってないのは大樹ももちろん承知で答えてますよ。


更新遅くなってすみません。

もっと早く更新出来たはずなのですが、それもこれも残業が悪いんです。

残業して当たり前といった空気を作って、強要してくる周囲が悪いんです。

私は悪くないです。


さて、言い訳はこの辺にして、前もチラッと触れはしましたし、アチコチで伝えたりはしてますが……

来週の10/30、当作品の二巻「社畜男はB人お姉さんに助けられて――」が発売になります!

書き下ろしは一巻ほどのボリュームはありませんが、番外編を一本だけ。

『社長あり幹部会議』があります。

いや、それもうただの幹部会議やんってのはわかってます。

会議というより、会議まで的な面が強い気もしますが、楽しめると思いますので是非手にとってみてください!

そしてイラストがこれまた……!!

書籍化を見越して書いててよかった玲華の水着シーン!!

カラーでバンと楽しんでください!

そして、綾瀬もまた可愛くてですね……もうこの子ヒロインでも良かったんじゃないかと思ったりしたりしたぐらいで……(笑)

とにかくあむさんが最高の仕事をしてくれましたので! このイラストだけでもう買う価値は十二分にあると思います!

既にアチコチで予約受け付けておりますので、宜しくお願いします!

はい、何も十冊買ってくれとは言いません! 五冊で十分ですので!!

あ、来週も更新します~





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る