第八十七話 すれ違い(色々と


すみません、長らくお待たせして……


◇◆◇◆◇◆◇ ◇◆◇◆◇◆◇



「はあー、やっと終わったっす」

「はー、肩凝るよ、これじゃ」

「これほど時間の無駄遣いを実感することって無いわね……」


 もう恒例となってしまった社長発案の会議から戻って来た工藤、夏木、綾瀬が椅子に座って億劫そうに口々に愚痴る。


「お疲れさんだな。ほれ、缶コーヒー買っといてやったぞ」


 そろそろ終わる頃かと見込んでついさっき、大樹が買ってきておいた缶コーヒーを渡してやると、後輩達は顔を輝かせる。


「ありがとうございまっす、先輩」

「やったー、先輩!」

「ああ、ありがとうございます、先輩」


 口々に礼を告げて、ありがたそうにコーヒーを飲み始める後輩達。


「話に中身が無いから聞き流してても、疲れるっすよね、あの会議」

「本当、そうだよ。いきなり質問してきて下手なこと答えると訳わかんない感じに追求してくるしさ」

「あれは、何を返しても駄目出ししてくるやつだから、下手でなくても意味ないわよ」

「あー、やっぱりそういう感じ?」

「そう。ただ、マウントとりたいだけみたいだから」

「あー、なるほど、確かにそんな感じっすね……ははっ、殴りたい、あのドヤ顔……」


 微糖のコーヒーで口が緩んだのか、次々と愚痴を吐き出す後輩達に、大樹は苦笑を浮かべる。


(思ってた通り……いや、思っていた以上に録でもない会議が繰り返されてるみたいだな……そのせいで何度目のリスケだ……?)


 ありがたくも会議の参加を拒否られている大樹は、参加を強いられている後輩達の手前、溢れ出そうになったため息を飲み込んだ。

 気まぐれで始まったと思われた社長主催の会議は、何が切っ掛けになって社長を張り切らせているのか、連日繰り返されることになり、お陰で後輩達の疲労度合いがひどい。


「てかさ、あのクソ社長、何で今更アレなんっすかね?」


 傾けていた缶コーヒーを机に置いた工藤が心底参ったようにボヤくと、綾瀬は肩をピクッと震わせてから顔を俯かせ、反対に夏木は身を乗り出した。


「ねえ? 本当に今時って感じ? アレ聞いてて恥ずかしくなるんだけど」

「多分すけど、どっかで影響受けたんじゃねーっすかね?」

「あー、もしかして、どっかのセミナーとか?」

「セミナー……行くっすかね? あの禄に仕事しないクソ社長が」

「ああ、そう言われたらそうかも……」

「多分っすけど、どっかでパーティとか、そういう何かの集まりの時に会ったんじゃないんっすかね? アレっぽい人に」

「ああ、っぽいね。なんかそういう人達が集まるようなとこに行く自分格好いい、みたいな?」

「それっすね。間違いない」


 工藤と夏木がうんうんと話し合っている中で、綾瀬が存在感を消すかのように静かにしているのに大樹は内心で首を傾げつつ、二人の間に口を挟んだ。


「さっきから言ってるアレとは何だ? 工藤、夏木」


 そう呼びかけると、再び綾瀬が動揺したように肩を揺らして先ほど以上に深く顔を俯かせ、更には肩を窄めるように身を縮こませた。


「ああ、アレってのは、アレっすよ――」


 答えになってない工藤のその続きを、夏木が嫌悪感を隠さない口調で言った。


「意識高い系ですよ」

「……なに?」


 大樹の怪訝な表情を見て、工藤が説明する。


「意識高い系ってのは、簡単に言えば、やたらと横文字ワードを連発したり、オシャレなカフェに行ってる姿を自撮りしたやつをSNSに投稿したり、人脈アピールしたりして――まあ、自分はすごいやつだとアピールして、実態は大したことの無い人のことっす」

「あと、やたらと上から目線で大したことないことをドヤ顔で説明してきたり、とかもありますね」


 夏木の捕捉に大樹は「ふむ……?」と顎を撫でた。

 あんなロクデナシのSNSに関しては興味が一切ないから内容は知らないが、会議での様子から二人がそう言うのであれば――


「横文字ワードを妙に出してくるということか? 後は……上から目線で話すのはデフォだったな」


 実際は大したことない人物というのは、大樹達にとっては十分以上に周知している事実であり、そして自分をすごいと見せる――大物ぶるのもあのクソ社長は普段から良くやっており――どころか、それだけはいつも頑張っているようなやつである。


「甘いですよ。上から目線とかいつものことですけど、それに拍車がかかってる感じで」

「そうっすね。とにかく、ひたすら――」


 そこから続く言葉は工藤と夏木の二人、だけでなく大樹の口からもついと出て揃った。


「――ウザい」


 そして三人で顔を見合わせ、深々とため息を吐く。

 そうしたところで、ここまで禄に会話に参加していなかった綾瀬が、無表情で大樹に資料を渡してきた。


「――先輩、これ確認してサインいただけますか」

「ん? ああ、わかった」


 機械的に受け取って大樹が資料に目を落としていると、先ほどの綾瀬の妙に硬かった雰囲気からちょっとした記憶が刺激されて声を出した。


「……そういえば、横文字ワードを連発すると言えば――っ!?」


 途端、隣から壮絶な気配と視線を感じて、大樹は綾瀬へと振り向いた。


「――なにか……?」


 ギンッといった擬音が聴こえそうな勢いでこちらを睨む綾瀬に、大樹はブンブンと首を横に振る。


「い、いや……何でもないぞ……綾瀬……?」

「……そうですか。先輩、早くサインをお願いします」

「あ、ああ、わかった……」


 ブンブンと今度は縦に首を振って、大樹は資料にサインをする。勿論、中身はちゃんと確認済みだ。


「――ありがとうございます」


 渡すと綾瀬は、すぐさまPCに向き合いカタカタとキーボードを叩く。

 大樹がふと対面にいる工藤と夏木に目をやると、二人は苦笑しつつ大樹に気の毒そうな視線を送ってきた。


(……どうやら、この話題は地雷のようだな)


 内心でため息を吐く大樹の耳には隣から、まるで話しかけるなと言わんばかりにキーボードがカタカタと硬質な音を響かせていた。




◇◆◇◆◇◆◇




「麻里ちゃん、さっきの契約書、目通したからOK出しといて」

「かしこまりました」


 麻里からの返事を耳にしながら、玲華は機械的にマウスをクリックして、次の仕事を進める。

 左手でコーヒーカップを掴み、傾けようとしたところで、それが冷えていることに、更には一口分も無いことに気付いてカップを置き直す。


「麻里ちゃん、コーヒー欲しー」

「かしこまりました」


 席を立つ麻里を横目に、ふと時計を見上げるともう三時となっていた。


(さっき見た時は十二時代だったのに……)


 まだ一時間ぐらいの感覚だった玲華は驚きつつ、少し休憩するかと両手を揃えて上げ、背筋を伸ばす。 


「んんっ……」


 そうしたところで何か甘いものが欲しく感じ、それを告げようとしたところで麻里が正面に立った。


「お待たせしました」


 そうして目の前に配膳されたのは香り高く湯気の立ったコーヒーカップと、ラングドシャやサブレといった菓子が盛られた籠である。


「あ……」


 欲しいと言おうとしたら正にピッタリなお菓子が出てきたので、驚きの声が漏れた。 


「今日は随分と集中していらしたようなので――いらないなら片付けますが?」

「う、ううん。もらうわ、ちょうど欲しかったとこだったから」

「はい、どうぞ」


 慇懃に返した麻里は静かな足取りで自席に戻った。


(……我が秘書ながら、相変わらず察しが良すぎるわ)


 呆れに似た苦笑を浮かべて、玲華は早速とばかりにラングドシャを一つとって包装を破って「いただきまーす」一口かじる。


「んー、美味しい……」


 サクッとしたクッキー生地の食感の後に、チョコクリームの苦味と甘みが口に広がり、自然と頬が綻ぶ。

 手に残っているもう一口分も食べると、コーヒーを口にして中の甘さを苦味で流してスッキリとさせる。


「ふう……」


 ほのかな満足感ある吐息を漏らすと、同じく自分の席でおやつタイムをしていた麻里がコーヒーカップを置いて口を開いた。


「――で、今日はどうしてそんなに機嫌が悪いんです?」


 唐突にそう問われ、玲華は微妙に眉を寄せた。


「えーと……どうしてそう思ったのか聞いても?」

「社長は機嫌が悪い時、普段以上に集中して仕事をしますので」

「え、そ、そう……?」

「はい。特に今日は無言で無表情で淡々と進めておられましたし」

「う……そ、そうだった……? ごめんね……?」


 だとしたら、ずっと一緒の部屋にいる麻里はさぞかし息が詰まったことだろうと玲華は申し訳なく思った。


「いえ。良くあることですし、気にしてませんよ」

「うっ……」


 更に申し訳なく思い、胸にグサリときた。


「それに今更です。何年の付き合いだと思ってるんですか」


 微笑を浮かべて横目の麻里に、玲華は縮こまった。


「き、気をつけるわね……」

「構いませんよ。仕事に集中してもらえるのはこちらも助かりますし」

「そ、そう……」

「はい」


 それでも微妙に居た堪れない思いになって、それを飲み込むようにコーヒーを一口喉に流す。


「それでどうして機嫌が悪いんです? やはり柳さんですか?」


 寧ろそれしかありませんよねと言いたげな麻里の口調に、玲華は目を泳がす。


「え、えーっと、別に大樹くんが悪いって訳でもなくてね……?」

「はい」


 続きを促す麻里の相槌に、玲華は短くため息を吐いた。


「大樹くんの帰りが予想してた以上に遅くてね……」

「……終電ですか?」

「そう。もう今週はずっと。私がいつも寝る時間より後ぐらいに帰ってきてね……」


 終電に乗って帰ってくる大樹の帰宅時間というのが、もう深夜どころか夜中である。

 事前に伝えられた「どうぞ先に寝ていてください」の大樹のメッセージに対し、玲華は最初の月曜は待ってみた。

 結果、玲華はソファで寝落ちして、大樹に起こされ、そのまま自室のベッドに向かわされるという落ちとなった。

 そして次の日、前日と同様のメッセージに加えて、重点的に起きて待たなくていいと伝えられ、待つと気を遣わせることになるかと玲華は待たずに就寝することにしたのだ。


「……つまり、一緒の家にいながら顔は合わせてないということですか?」

「あー……ううん。朝にちょっと、だけ、顔合わせてるわよ……」


 遠い目をして言う答える玲華に、麻里はすぐに察した顔となった。


「ああ、社長、朝ちょっと弱かったんでしたよね」

「あ、はは……そうなのよね――」


 更に遠い目をする玲華に、麻里も更に察したような顔になった。

 夜のお出迎えが出来ないのなら朝の見送りは頑張ろうと、大樹が出るまでの時間にはと玲華は起きるようにした。

 が、玲華は実は朝に弱い。

 月曜の朝にもあったように、常に寝惚けた状態で見送りをしていたのだ。


「――だから、全然会ってる気がしないのよね、この一週間……一緒の家に住んでるのに……毎日顔合わせてるのに……」


 そう言う玲華であるが、月曜の朝と同じように以降も「いってらっしゃのチュー」は続いている。それも皆勤賞だ。やらかしなので、麻里に言うつもりはない玲華である。

 煤けた雰囲気を漂わせる玲華に、麻里は眉をひそめる。


「見事にすれ違いの生活ですね……」


 その言葉に玲華はガバッと机に伏せて泣き叫ぶ。


「そうなのよ! それもこれも大樹くんのブラック勤務のせい! 大樹くんの勤めてるブラック会社のせいなのよ!! 毎日ゆっくり顔を合わせられると思ってたのに!!」


 そうやってむせび泣く玲華に、珍しくも麻里がコメントに困ったような顔になった。


「まあ……でも、寝惚けてるとは言え、毎朝顔を合わせてるのですから、同居を始める前よりは会えてると考えたらマシではありませんか?」


 ある意味でもっともな麻里の意見に、玲華は伏せていた顔を上げて悲壮感たっぷりに首を左右に振る。


「違うのよ……私もそう思おうとしたんだけど……」

「けど……?」


 玲華は握った手をプルプルと震わせて言った。


「近くにいるのに、碌に顔を合わせられないことの方が何か寂しい気がするのよ……!」


 近いのに遠い。

 近くにいるはずなのに、会えない。

 それがために寂しさが際立ってくる、というのが玲華の心境である。

 下手に物理的距離が縮まった故の産物だろう。


「ああ……なるほど。確かにそうなるのかもしれませんね」


 うんうんと頷く麻里は続けて言った。


「まあ、でもそれは仕方ないとして、明日から週末なんですから――柳さんは、片方だけしか休めたこと無かったんでしたっけ? それでも一日休みなんですから、その日はゆっくりされたらいいじゃないですか」


 その言葉に玲華は俄然と顔を輝かせた。


「そうよ! やっと週末よ! 朝から夜までゆっくり出来るわ!!」


 寝不足気味の大樹のことだから昼前に起きるだろうが、それでも十分である。

 それに何より、もう見送らなくていいというのが玲華には嬉しい。

 大樹を見送った後に、自分の家に戻った時が一番寂寥感が募っていたからだ。

 そういう訳もあって、同居生活最初の週末を玲華は楽しみにしていたのだが、そこで玲華のスマホに通知が来た。


「――あ、大樹くんだ。ふっふ、明日は土曜なんだから頑張って起きていても問題無いんだ、か、ら……」


 メッセージを読むにつれて、玲華の声が尻つぼみに弱くなっていき、麻里は首を傾げかけてから、「あ」と察したような顔になった。

 そして一応、と言わんばかりに麻里は声をかけた。


「……どうされました?」


 その問いに、玲華はどんよりと沈んだ声で答えた。


「……大樹くん、今週末は土日両方とも出勤になったって……」

「……ご愁傷さまです……」


 暫し、重量感を感じるような静寂がこの社長室に舞い降りる。

 そしていつの間にか握り固められた玲華の拳がプルプルと震え――玲華は吠えた。


「憎い! 大樹くんの勤務先が!! ブラック企業が――っ!!」


 そんなことをホワイト企業として定評のある会社の社長が叫ぶ奇妙さがそこにはあった。


「どうしてくれようかしら!? 買収する!? そして大樹くんを苦しめる上層部全員のクビ飛ばしちゃう!? それか取引先全部の仕事こっちで奪って倒産に追い込む!?」


 基本は温厚な玲華の怒りが珍しく止まることを知らず、物騒なことを口走る。

 麻里が頭痛を堪えるかのような顔になって、ため息を吐いた。


「落ち着いてください、社長が言うと洒落になりません。やろうと思えば実現出来てしまうのですから。それに――企画開発事業部の方達の耳に入ってしまったらどうするのですか」


 その言葉に玲華はハッとする。


「……お、オッホン。そ、そうね、ちょっと興奮しちゃったわ」


 オホホと微笑みながら玲華は居住まいを正した。


「大体、柳さんは年内に辞めるのですからそれまでの我慢ですよ。そんなことを考えるより、もっと建設的なことに頭を働かせましょう」

「……建設的?」

「はい。例えばですが……連日の残業と休出で疲労の溜まった柳さんをどう労わるか、など」

「ふ、ふうん……?」

「なので今週末より来週末の方が、ですか。やり方次第では……効果覿面ですよ……?」


 そう言って麻里は小悪魔的に頬を吊り上げるのであった。

 

 

 ◇◆◇◆◇◆◇ ◇◆◇◆◇◆◇


次の更新は今回ほどの期間を空けるつもりはありませんので……

来月には書籍の二巻も出ますしね!

それまでには一区切りつけたいですしね。

今回は長らくお待たせして申し訳ないです。

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