第八十六話 すれ違い
「社長が会議を始めるからと、お前らを呼んでるぞ、すぐに用意して来い」
午後に入って少ししたところで、五味がダルそうに大樹達へそう声をかけてきた。
「会議……? 何のでしょう?」
面倒だという感情を隠そうともしない面持ちで聞き返す大樹に、五味はフンと鼻を鳴らす。
「俺も聞いてねえよ。さっさとしろ」
最近、見た感じ割と真面目に働いているせいか、そこそこ疲労が顔に出てきた五味もどこか不満そうな辺り、本当に知らず、急な話なのだろう。
先代と比べると、良いところがまるで見つからない現在の社長は時折、自分が社長だということを思い出したように、突飛に何かを始め出す。
それが良い方向に繋がるものであれば結構なことだが、今までそういったことは無く、碌な結果になったことがない。
しかし、いきなり何かをしろでなく、会議というならまだマシな方だ。
浪費するのが時間だけで済むし、最終的に決定されてしまうくだらない結果を、話の持って行き方次第ではまだ少しマシな結果に持っていけるかもしれないからだ。
始まる前から疲れた気分になりながら大樹達は席を立つ。
「ああ、柳、お前はいらないそうだ。他の三人だけ来い」
その言葉に大樹は眉をひそめる。
「俺以外、ですか……?」
「ああ。お前はお呼びじゃないそうだ」
五味が億劫そうに言うのを目にして、大樹は純粋に不思議がった。
かねてより、五味が社長からの言葉を代弁する時、それが大樹を軽んじているような内容であればあるほど、それはもう嬉しそうに嫌らしそうに蔑みながら伝えてくるからだ。
だというのに、今はそれが一切見えない。
思わず大樹は五味へ向けている目をパチパチと瞬かせてしまった。
それは大樹だけでなく、後輩達も同じで面食らったように五味を見ている。
綾瀬など、これは本当にあの五味なのかと偽物を疑うように訝しげですらある。
「えーっと……俺だけが呼ばれている、というのでなく、この三人が呼ばれている、ということで間違いないですか……?」
聞き間違いかと思ってそう尋ねると、五味は苛立ったようにしながら応じた。
「さっきからそう言ってんだろうが、お前は残って仕事してろ」
その物言いもただ苛立ってるようなだけで、蔑みの色は無く、大樹は呆気にとられてしまった。
「そ、う、です、か……」
五味相手には珍しいほど辿々しく返事をした大樹は後輩達を見渡した。
見事なほどに全員怪訝な顔である。
大樹と目が合うと、ひとまず五味への不審には蓋をし、会議への参加についての是非を目で問うてきた。
それに関しては、一応は社長の召集なので「行ってこい」と無言で頷く。寧ろそうするしかない。一応は社長、の命令であるからして。
何かと上司からセクハラ紛いのターゲットになる綾瀬が不安そうにしているので、工藤に目で頼むと伝えておく。
大樹の意をしっかりと受け取ったように頷き返してくれた工藤に後は任せることにする。
そして後輩達が五味の後に続いて、会議室へと向かうのを見て、大樹は座り直した。
「ふーむ……?」
大樹だけを呼ばないことにはまだわかる。何かと大樹を馬鹿にしたがるクソ社長だから。
だが、実際には後輩達が心配という点を除けば会議に呼ばれないことはラッキーなことである。どうせくだらない話を社長が自慢げに長々とするだけで、眠いのを堪えるだけの時間になるのがわかっているからだ。
しかし、どうにも先ほどの五味の態度が不可思議で大樹はここ暫く覚えが無いほどに首を傾げて唸った。
まるで会議に呼ばれるのが嫌なようにも見えたし、それはつまり進める予定だった仕事が出来ないことへの苛立ちのようで――
「――いや、無いな……仕事するか……」
考えてもサッパリわからず、大樹は後輩達を待ちながら仕事を再開することにした。
◇◆◇◆◇◆◇
「あああ~……」
社長室で玲華が己のデスクに額をつけて悶えていた。
心境を表すように足がバタバタとして、更には文字通りに頭を抱えている。
「私ってば何てことを……ああああ~……」
今日何度目かわからない呟きを繰り返しては醜態を晒している。
ここが社長室でそうそう人が来ないからとは言え、いくらなんでも緩み過ぎだろう。
そんな中で堪え兼ねたように、大きなため息の音が響いた。
「……いい加減に仕事を進めてくれませんか、年末も近いんですよ」
うんざりしたように言ったのは、玲華の秘書である麻里だ。
この台詞も今日何度目かのことで、麻里の視線は冷たい。
「うっ……だ、だって、麻里ちゃん……」
玲華が情けない声を出すと、麻里は再度ため息を吐きながら無言で立ち上がり、コーヒーを立て始める。
そのまま無言でコーヒーを淹れ終えると、感情が窺えない顔で玲華の机にその一杯を機械的に置く。
「まずは一口飲んで落ち着いてくれますか」
その有無を言わさない迫力に、玲華はコクコクと頷いて、言われた通りにふーふーっと冷まして一口飲む。
コクリと飲み下すと、毎日飲んでいるコーヒー故か、少し落ち着きが戻っていくのを玲華は自覚していく。
そして、ふーっと一息吐くと、麻里は玲華の表情を確認しながら頷いた。
「落ち着いたようですね、では仕事を再開してください」
無情にそう言って、自席に戻ろうと麻里は踵を返した。
「え!? そ、それだけ!?」
これから話をするのかと思っていた玲華が麻里の背中へ向かって手を伸ばす。
「……それだけ、とは?」
どこか億劫そうに振り返った麻里に、玲華は怯んだ。
「え、だ、だって、いつもなら、話聞いてくれるじゃない……」
寧ろ尋問するかのように聞いてくるのが常な麻里なのに、その素っ気なさはなんだと玲華は言いたかった。
まごつきながら、拗ねたように玲華が返すと、麻里は「はあーっ……」と、これ見よがしに特大のため息を吐いたのである。
「あのですね、先輩――」
前置きするように告げられて思わず玲華は背筋を伸ばした。
「は、はい」
社長、でなく先輩と呼ばれたことにどこか不吉な気配を感じたのである。
「私も忙しいんです。何回も何回も同じ話聞いてるヒマなんて無いんです」
ジロリと見下ろしてくるその目は、それはもう冷たかった。
「うっ……そ、その……だって……」
「だってじゃありません。大体、今日何度目ですか――四度目ですか。そうやってジタバタと唸ってるのは」
「ううっ……」
そう、玲華が寝惚けていた朝の大胆な行動を思い出して悶え、そこから麻里に話を聞いてもらうという流れは既に三度行われていたのである。
「もう既に三度も付き合ってあげたんですから、いい加減にしてくれませんか」
「うううっ……」
「いい加減面倒だと思ってスルーしようと思っても、いつまでも構ってアピールして……そういう人、何て言うか知ってますか? 構ってちゃんって言うんですよ」
「うぐっ……」
玲華の精神に特大のダメージが入った。
「ご、ごめんなさい……」
流石に「構ってちゃん」扱いは堪えた玲華は、申し訳なく思いながらしょんぼりと頭を下げた。
それを受けた麻里は眉を複雑そうに曲げると、再びため息を吐いた。
「何度も言いますが、朝に先輩が柳さんにしたことは特に気にすることも無いと思いますよ。カップルだったら誰でもしてそうなことですし」
なんだかんだ言って話に付き合ってあげる麻里も麻里だろう。
「そ、そう? でも、私達まだ正式には付き合ってないというか……」
すかさず話に乗ってくれた麻里にさっきまでのやりとりを突っ込むようなことはしない玲華である。
「ええ。ですが、もうお互いの気持ちを認識してる状態で同棲を始めてるんですから、正式も何もないと思いますけど」
「や、やっぱりそう……よね?」
照れながらも遠慮がちに問いかける玲華に、麻里は頷く。
「ええ。そもそも『付き合いましょう』の言葉無しに、結果的に付き合ってるカップルなんて世の中にいくらでもいるんですから」
「え。そ、そう……?」
「ええ。例えばですが――ある男女がふと飲みに行きました。二人は恋人関係でなく、ただの同僚でした」
「ふむふむ」
「飲んでる途中で、何となくいい雰囲気になっていきます」
「ふむふむ」
「そして店を出た二人は、このまま帰るのが名残惜しいという顔で見つめ合い――気づいたらキスをしていました」
「ふ――ふむふむ……」
話を想像してみれば確かにこういうのはよくドラマや映画で観たことあった。
「そしてキスを終えてから、男は女の手を掴みつかつかと歩いていきます――行き先はホテルでした」
「ふ、ふむふむ……」
確かにこれもよくあるパターンだろう。玲華の頬がちょっと赤くなっていく。
「ホテルの部屋に入った二人は――もう言わなくても何が始まるかなんてわかりますよね?」
淡々と聞いてきた麻里に、玲華は躊躇いがちに頷いた。
「え、ええ……」
「そして朝になって二人は、和やかに朝を迎えたり、我に返ってハッとなったりと色々なパターンがありますね」
「……そうね」
「話し合い、何も無かったことにするパターンもあるでしょう。ですが、よくあるのが何も無かったことにしようと結論を出したにも関わらず、また二人で飲みに行って、同じことをズルズルとし――気づけば二人とも、すっかり互いを自分の恋人として意識している――ありますよね?」
「あるある!」
テレビドラマなどでは鉄板であろう。
もちろん、玲華の実体験によるあるあるではない。
「さて、この場合ですが、二人は『付き合おう』と話していたのでしょうか? 話さずに恋人になっていませんか?」
「あ――」
天啓が降ったように、玲華は自分の背に雷が落ちたような気がした。
「おわかりですか? この二人は正式に付き合おうなんて話をしてないのに恋人関係になっているんです」
「そ、そうね――!」
「こんな話、世の中にはゴロゴロ溢れています。つまり――お互いの気持ちを認識して同棲までしてる先輩なんて……」
わかるでしょう? と言いたげに麻里が首を振ると、玲華は目を輝かせて頷いた。
「そうよ! もう完全に恋人同士と言っても過言じゃないじゃない!」
麻里は、よく出来ましたと言わんばかりに微笑んだ。
「その通りです、先輩。これからも朝のように気にせずに柳さんを誘惑したらいいんです」
「そ、そうね、麻里ちゃん! 私、頑張るわ――!」
玲華が強く握った拳を天高く掲げると、麻里はうんうんと頷いた末に、そっと後ろに振り向いて肩を震わせる――そんな穏やかないつもの午後だった。
◇◆◇◆◇◆◇
後輩達がいない間、指示出しも無い分、一人仕事に熱中していた大樹はふと時計を見上げた。
「……? ……遅いな……」
いつもなら一時間ほどで終わるはずなのに、気づけばもう二時間が経っている。
何かやっかいな事態になっているのか、様子を見に行くべきか考えていると、会議室の方向からざわめきが聴こえてきて、終わったかと大樹はホッと安堵の息を吐いた。
「うーっす……戻りましたー……」
「戻りましたー……」
「お疲れ様です。ただいま戻りました……」
戻って来た後輩達の顔が、見事なほどにぐったりとしている。
いや、大体そうなると予想はしていたが、今日は特にひどいように思える。
「お疲れさん……そんなにひどかったのか、今日は?」
そう問うと、後輩達は互いに顔を見合わせ、疲れたようにため息を吐いた。
「そうっすね、今日は特にっすかね……」
「寝そうになるの堪えるのに必死でした……」
「ノートパソコン持って行けば、メモとってる振りして仕事出来たのにと思いました」
皆、遠い目をしている。
よほど今日はひどいものだったらしい。
「そ、そうか……会議の議題は何だったんだ?」
聞くと、工藤と夏木が二人して任せたと言わんばかりに綾瀬へ目を向ける。
綾瀬は眉をひそめると、堪えかねたようにため息を吐いた。
「……いつものように、社のためには何をすべきか、どういった目標を持つか――について、ですかね」
「……で、結論は? 何か出たのか?」
「……要約すると、『社のために頑張ろう』でしょうか」
「……」
掲げた議題の回答になっていない。
どころか具体性がかけらもなかった。
述べるべきポイントが本当に無いのだろう。
「そ、そうか……お疲れだったな。か、缶コーヒーでも飲むか……?」
二時間も使った結果がそれでは、徒労感も半端ないだろう。
大樹が労いを込めてそう提案すると、後輩達は力なく頷いた。
小銭を持って席を立った大樹は、自販機へ向かう。
(……しかし、二時間×三人か……今日ぐらいはと思ってたんだが……)
ため息を吐いて大樹はスマホに文字を打ち込み、玲華へとメッセージを送る。
『遅くなります。待たずに先に寝てください』
普段から遅いのがわかりきっているため、元よりそう言ってはいるが、今日は終電間際どころか終電での帰りになると大樹は悟ったからだ。
同居を始めての平日の初日がこれかと、大樹は重苦しい息を吐く。
あの碌に仕事をしない社長が、会議に二時間も使ったことも気になる。
(……また何か張り切り始めねえといいんだが……)
何もしないことがあの社長に唯一出来ることだと認識している大樹は嫌な予感を覚えずにいれなかったのであった。
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