第八十四話 家庭の味

 

 

 

「ふむ……どうして、カレールウがあるのかは置いとくとして、あるのなら話は早い」


 サウナ後の水分補給も終え、夕飯の準備をしようと納戸の中を覗き込みながら大樹が呟くと、玲華は小首を傾げた。


「ねえ、スパイスとかも一応揃ってるわよ?」


 その言葉から、大樹がカレールウを使うことが意外のように思われていることがわかる。


「どうしてスパイスが揃ってるかも置いとくとして、俺はカレーを作るのに、各種スパイスからってやり方じゃないんですよ」

「そうなの? なんか意外……」


 言葉通りに意外そうなだけで、ガッカリしてる様子は無い。


「そうですか? カレー出す洋食屋もあるにはあるでしょうが、スパイスからやってるとこなんて、そうそう無いと思いますよ」

「そうなんだ?」

「ええ。第一、日本で販売されている各メーカーのカレールウって、呆れるほど品質高いんですから、無理せず使えばいい話です」

「ふーん……なんか聞いてると、大樹くんってカレーにはそこまでこだわって無い感じ?」


 そんな玲華の疑問に、大樹は苦笑する。


「いえ? そんなことありませんよ。俺も日本人ですからカレーは好きですし」


 玲華は再び小首を傾げる。


「そうなの? でも、カレールウ使ったら……」


 皆同じ味になるんじゃ、と言いたげな玲華に、大樹はニヤリと笑う。


「カレールウ使って作るにしても、色々こだわりは出せますよ――隠し味に何を入れるかとか、でね」


 独自の味を作る方法は他にも色々とあるが、わかりやすい方法の一つとしてはこれだろう。


「! 隠し味! なるほど!」


 目から鱗な玲華に、大樹は確かあったはずだと納戸の中を漁る。


「確か前に見た記憶が……玲華さんが食べてなければあるはず……――あった」


 大樹が手にしたそれを見て玲華は目を丸くする。


「え!? それ隠し味に使うの――!?」

「ええ。意外かもしれませんが、美味いんですよ」

「え、ええ……?」


 露骨に疑わしげな目を向けてくる玲華に、大樹は自信の笑みを浮かべてキッチンへと向かう。







 具材を刻んだり、無かった福神漬けの代わりを用意し、下ごしらえを済ませると、大樹は鍋に熱を通す。

 サラダ油をなじませると、みじん切りした玉ねぎを炒める。


(これがあるのと無いのとで味が随分変わるからな……)


 玉ねぎが飴色になったら、ニンジンを入れて炒める。

 少ししたら鶏のもも肉を入れて、一緒に炒める。

 鶏肉の色が白くなり、ニンジンに熱が通ったと思ったところで水を入れる。

 水はカレールウの箱に記載されている作り方に必要な量より敢えて少な目にしておく。

 沸騰してきたところで、火を緩めて数分置いておく。そして少ししたらアクを取り除き、カットしておいたメークインを入れて蓋をする。


「……お芋だけ、後に入れるのね?」


 飯炊きを終えてヒマそうに大樹の周りをウロチョロしていた玲華が、ここで声をかけてきた。


「ええ。その方が崩れにくくなるので」

「ふうん?」


 いまいち要領を得ていない様子の玲華に大樹は更に説明する。


「メークインを使っているのでそれほど煮崩れの心配はありませんが、芋は煮込むと形が崩れやすいんですよね。対してニンジンは少し火が通るのに時間がかかります。なので時間差にした方が崩れずに済むってことです」

「ああ、なるほど」

「……まあ、敢えて煮崩れさせて食べる家もありますけどね。そこはそれぞれの家のやり方があります」

「ふむふむ」

「カレーはどの家でも作られるありふれたものですが、それだけ作り方、食べ方があって、その家の味ってものが出来ていきますね」

「ああ、聞いたことあるわ。大樹くんが鶏肉入れたみたいに?」

「そうですね。カレーに入れる肉は西日本では牛肉が主流ですし、東日本では豚肉です」

「でも、大樹くんは鶏肉?」

「ええ。俺の作るカレーは鶏肉です」

「……なるほど!」


 納得した顔で興味津々で鍋を覗き込む玲華に苦笑する。

 メークインにもう少しで火が通るといったところで、今度はくし切りした玉ねぎをドッサリと入れる。


「……ねえ、最初に玉ねぎ入れて炒めてなかった……?」


 なのに、また追加投入するのかと小首を傾げる玲華に、大樹は鍋に蓋をしながら答える。


「最初に入れて炒めた玉ねぎは、まあ……味付け用の玉ねぎだと思ってもらえたら。で、さっき入れたのはカレーで食べる用の玉ねぎです」

「ふうん……? あ、これも煮崩れさせないために後入れしたってことでしょ?」


 閃いたように言う玲華に、大樹は目を瞠った。


「……正解です。よくわかりましたね」

「ふっふーん」


 大樹は感心した。

 昼食の時に柚子胡椒を当てたことといい、どうやら今日の玲華はただのポンコツではないようだ。


「……なんか今バカにされたような……」


 ジトっとした目を向けてくる玲華に、大樹は目を瞬かせる。


「俺がですか? いや、何を言ってるんですか?」

「むう……本当に?」

「本当ですよ。どうやら今日の玲華さんはただのポンコツじゃないなと思ってただけですよ」

「そ、そう――!? ぽ、ポンコツ言うな!!」


 大樹の言葉に納得しかけたが、すぐに心外なと抗議する玲華に、大樹は首を振る。


「何言ってるんですか、ポンコツなんて言ってませんよ。ただのポンコツじゃない、って思ったことを言っただけですよ」


 そう、大樹はポンコツだとは言ってない。


「お、同じことじゃない! それにその言い方だと、普段から私のことをポンコツだって思ってるってことでしょ!?」

「……言い換えればそうなりますね」

「言い換えなくてもそうでしょうが!!」

「まあまあ落ち着いてください、玲華さん」

「誰のせいだと思ってるのよ!?」

「……状況を察するに俺、でしょうか」

「何が状況を察するによ! 察さなくてもわかるでしょうに!!」


 荒ぶる玲華に、大樹は噴出しそうになるのを我慢しつつ宥めようと試みる。


「はは、いや、申し訳ない。美味いカレー作るので勘弁してください」

「むう……」


 暫し大樹を睨んでから玲華はビシッと指差してきた。


「美味しくなかったら許さないわよ!!」

「ははーっ」


 昨晩の玲華のように奉るかの如く返事をすると、玲華も思い出したようで噴き出しそうな顔になった。


「――っ、く……ご、ゴホンッ」


 咳払いして厳めしい顔を何とか維持することに成功した玲華を横目に、大樹はカレールウをこれでもかと細かく刻む。


「……そんなに刻む必要ってあるの?」


 気になったようで、玲華は不機嫌さを脇に置いたようで大樹に質問してきた。


「ええ。水を少な目にしてましてね。そのままだと溶かすのに時間がかかるので」


 刻み終えたルウを大樹は少しずつ鍋に入れていく。全部はまだ入れない四分の三ほどを徐々にだ。

 そうして徐々に漂い始めるカレーの匂い。


「はあ……カレーの匂いって相変わらず暴力的ね……」

「ですね……」


 サウナに入ってスッキリしたせいもあるのだろう、急速的に大樹は腹が減ったきた。

 今すぐ食べたいのを我慢しつつ、大樹はルウを溶かしながら鍋の中を攪拌していく。


「……確かに水分が少ないような……」


 脇から鍋を覗き込みながら首を傾げる玲華に大樹は頷いた。


「ええ。なので、水分を足します」

「……お水入れるの? お水も後入れ……?」


 それには一体どんな意味が不思議がる玲華に、大樹は冷蔵庫へ目を向ける。


「あの中にあるもので水分を補います」

「……?」


 ますます不思議そうな玲華を横目に大樹は冷蔵庫を開けて昼にも使ったものを取り出す。


「あ、牛乳……え、牛乳!?」


 カレーにそれを入れることがよほど予想外だったのか玲華は二度見した。


「ええ、牛乳です。これを――」


 まだ驚いて目を丸くしている玲華の前で、大樹は鍋の中に牛乳をドボドボと注いだ。


「えええええ!?」

「――こんなもんか」


 水分がほどよくなったところで中身を混ぜながら大樹は火を強くした。


「ちょ、ちょっと!? カレーが白く――! ううん? なんかカレーっぽい色じゃないわよ、これ!?」


 牛乳が入ったことにより鍋の中身が真っ白になった――訳ではない。

 混ざることによって、茶色かったのが白っぽい薄茶色になっている。


「大丈夫ですよ」


 慌てふためく玲華の反応を楽しみながら大樹は鍋の中身をゆっくり混ぜていく。


「ほ、本当に大丈夫なの、これ……?」


 鍋に対して恐る恐るといったような目を向ける玲華に、大樹は苦笑する。


「大丈夫ですって……ここで、まだ残っているルウを入れます」

「…………あ、ちょっと色がマシになった……? ううん、そうでもない……?」


 玲華が言った通りに、カレーの色が微妙に戻る。

 再び火にかけながら大樹は中身を混ぜていく。


「そして、これを入れます」


 さっき納戸から取り出してものを大樹は手に取った。


「出た――チョコレート」


 玲華の目は訝しげであり、露骨に「それも入れるの?」と書いてある。

 辛いと言われるカレーに甘味の代表格でもあるチョコレートを混ぜることが信じられないのだろう。

 そんな玲華に見られながら大樹は食べた時の反応が楽しみだと、包装を解いたチョコレートを少し割って、自分の口に入れる。


「うむ、美味い」

「え、何で食べてるの」

「これ丸々一枚使う訳じゃないですから。使わない分食べてるだけです――食べますか?」


 割ったチョコを向けながら問うと、玲華は頷いた。


「……食べる」


 そして口を「あーん」と開く。


「……」


 大樹は無言で玲華の口にチョコを放り込んでやる。


「――うん、チョコだわ」


 ペロリと唇を舐めて玲華が当たり前の感想を述べている。


「……チョコですからね」


 なんだかなと思いながら大樹は四分の三ほど残ったチョコを一口サイズに割っては鍋に入れて混ぜていく。

 ぐつぐつと煮えているので当たり前のようにチョコは綺麗に溶けていく。


「ああ……本当に入れちゃった……」


 折角作った砂の城を破壊されたかのような顔をする玲華。だが、スンスンと鼻を鳴らし――


「――なんか匂いは美味しそうね……カレーの匂いの裏に薄っすらチョコの香り……思ってたのと違って良い匂い……」


 さっきまで口にしていたことを忘れたかのように陶然とする玲華に、大樹は苦笑する。


「後は少し煮込んだら完成ですよ」

「! テーブル片付けるわね」


 そう言うと、嬉々とした様子でテーブルの上を片付け、拭き始める。

 如何にも食事が楽しみな様子の玲華に、大樹の頬が綻ぶ。

 カレーはもう時折混ぜるだけでいいので、他のを仕上げることにする。

 千切りして水に浸していた大根と水菜の水気を切り、塩水を通したリンゴと混ぜる。その上に縦半分に切ったプチトマトを散りばめ、細切りしたチーズも乗せる。

 仕上げにレモン汁、醤油、オリーブオイル、塩コショウを混ぜたドレッシングをかけて、サラダは完成。

 最後に福神漬けの代わりとして、酢と砂糖、醤油、水を混ぜてそれに漬け込んでいたキュウリである。福神漬けの代わりというよりも、口直しの意味合いの方が強いかもしれない。

 サラダ、キュウリを皿に盛りつけると、横で待機している玲華に渡す。


「ふふ、これも美味しそうね」


 テーブルまで運び、他の食器なども並べる。

 大樹は煮込んでいるカレーを混ぜて、味見をする。


(……久しぶりだな、このカレーも……)


 特に問題なかったので、皿にご飯を盛ってカレーをかける。


「――うむ、完成」


 綺麗に盛れたことに満足して、テーブルまで運ぶと待機している玲華が顔を輝かせる。


「ああ、お腹すいた! ……? あれ、なんか普通のカレーの色になってない?」


 最初に牛乳を入れた時の色から、殆ど元の色に戻ったカレーに玲華は首を傾げて不思議がっている。


「煮込んでいる間に戻ったんですよ。後はチョコでも色がついたのかもしれませんね」

「ああ、なるほど」

「それじゃ、食べましょうか」

「ええ! いただきます!」


 玲華と一緒に大樹も手を合わせた。


「いただきます」


 いつものように玲華はサラダへと手を伸ばす。


「これチーズ乗ってるのね」


 細切りしたチーズを見て嬉しそうにして、パクリと一口。

 同じく入っているリンゴのせいだろう、シャクシャクと小気味よい音がリビングに響くにつれて、玲華の目が丸くなっていき、一気に頬が綻んだ。


「美味しい! リンゴはすごく甘いし、でもドレッシングがしょっぱくて……」


 言いながら、続けてもう一口頬張って嬉しそうにしている。


「ドレッシングでリンゴの甘さが引き立ってるんですよ」

「あ、なるほど」

「後、リンゴとチーズって合うんですよね」

「あ、それか! なんか不思議なほど美味しく感じたのって!」

「恐らくそうだと思います」


 頷いてから大樹もサラダをつまんで口に入れる。

 レモン汁が混ざったドレッシングなのでサッパリした香りがまず口の中に広がり、噛むと大根、水菜、リンゴといった食感楽しい野菜と果物が心地よい音を立ててくれる。

 玲華にも言ったが、そこからチーズが良い仕事をするのだ。チーズの塩気とリンゴの酸味、合わさってどちらも美味さを引き立ててくれる。


(……リンゴとチーズだけでも十分な一品になるからな……うむ、美味い)


 続けてもう一口入れる時はプチトマトも一緒に入れる。

 これも昼に食べたのと同じプチトマトなので、フレッシュで甘くてサラダの味を彩らせる。

 思わず満足の吐息が出る。


「さて、では――」


 玲華はスプーンをもって、カレーを掬い、恐る恐るといったように口に入れる。

 見た目が戻ったとは言え、中に何を入れたのかを改めて思い出しての反応なのだろう。

 大樹が苦笑していると、玲華はカレーを難しい顔で咀嚼していき、驚いたように目を真ん丸にする。


「……お――美味しい! えっと、何だろ? マイルドなカレー? チョコと牛乳って、カレーに合うんだ!?」

「チョコと牛乳というより……カレーって、よっぽど変なもので無い限り大体何入れても隠し味として機能してくれますよ」

「……そうなんだ?」


 小首を傾げた玲華は、続けてもう一口頬張って幸せそうになる。


「んー……、美味しい――!」


 蕩けそうな、そんな見惚れそうな笑顔に大樹の心が満足感に包まれていく。

 その幸福感と一緒に、大樹もカレーを頬張る。

 カレーのスパイシーな香りに混じって、チョコの香りが薄っすら口の中で広がる。その香りは決して喧嘩せず、互いの香りを引き立てている。更には牛乳を入れて煮込んだことにより、マイルドな仕上がりになったカレーである。

 チョコによる甘さがカレーの辛さの中に混じっているために、辛さは控えめと言っていいだろう。だが、カレーの辛さもちゃんと機能している。

 具が多めの方が好きな大樹が作ったために、芋、ニンジン、肉が口の中でゴロゴロしている。

 鶏肉はプルンと食感を与え、芋はほっこりと、ニンジンは甘味を引き立て、最後に煮込まれ柔らかくなった玉ねぎがトロッと来る。


(……うん、カレーはこうでなくちゃな)


 続けてもう一口頬張る。やはり美味い。


(……上出来だな)


 味見はしたが、ご飯と一緒に食べてこそのカレーである。

 大樹は仕上がりに満足した。


「美味しー……」


 玲華が美味しそうにパクパクと食べ進めていて、見ればもう半分ほどになっていた。


「チョコと牛乳、合うでしょ?」

「うん、最初に想像してたのとは全然違う感じ!」

「牛乳ですが、入れてる家はけっこうあると思いますよ」

「そうなの?」

「ええ。テレビで観たような気がしますし」

「へえー……チョコは?」

「チョコは少なかったような……」

「ふむふむ……じゃあ、牛乳とチョコの組み合わせは大樹くんが考えたの?」

「そうですね。と言っても、俺がオリジナルとは思えませんが。多分、他にもやってる人はいるでしょう」

「ふうん……でも、思いついたのはそうなのよね?」

「そう、ですね……色々試してみた結果ですしね」

「へえ。なら、すごいことだと思うけどね……こんなに美味しいし」


 そう言って、スプーンを口に入れて幸せそうな笑みを浮かべる。

 偽りを一切感じさせない玲華の言葉に、大樹はまた満足感を覚えたのであった。

 

 

 ◇◆◇◆◇◆◇ ◇◆◇◆◇◆◇


我が家のカレーの隠し味はこれだ!美味いんだぞ!


というのがあれば教えていただけると作者は喜びます。



この話の牛乳、チョコ入りのカレーを作る時は、ルウ自体の味が強くないというか自己主張の強くない感じのルウを使った方が美味くなると思います。『こくまろ』とか。私はいつも中辛を使ってます。


作り方としては箱に記載されている分量より水を少な目にして、牛乳を入れる感じですか。


この時に牛乳を入れ過ぎた場合、ルウが薄くなるのでその時はルウと足すことで調整が可能です。


チョコは牛乳いれて煮込んでる途中ぐらいに入れればいいかと。

入れるチョコの量は半箱のルウに対して板チョコ(メ○ジとか)四分の三ほどがお勧め。もっと少なくてもいいかもしれません。


話に書いた通り、このカレーすごくマイルドです。食べれば某チェーン店の味を思い出す人もきっといるでしょう。辛さを考えなければですが……


そしてこのカレー、子供にすごく受けがいいです。


歳の離れた従弟がいるのですが、「おかんのカレーより全然美味い」と、作った時の食いつきはいつもすごいです(笑)


お子様のおられる方は是非試してみてはいかがでしょう。

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